三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。作品リスト、伝記原文比較等

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Posted by ミナモト on  | 

カラコンティ

ニアルコス・ファミリー所有の競走馬・カラコンティが、
日本生産馬として初めてアメリカの競馬の祭典・ブリーダーズカップのレースを勝利。

ニアルコスさんちの馬でヌレイエフの血を引いてるってことで、なんとなくテンション上がりました。
ちなみに父はバーンスタイン。(笑)

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Category : 競馬
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金細工の星の夢とか

目をつぶると
何もかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られて出てゆく
おまえの姿が


(寺山修司「さらば、テンポイント」より)


北の牧場には流れ星がよく似合うらしい。



私は最近競馬を見ないのだけど、今年の凱旋門賞のときはテレビに張り付いてしまいました。
地上波放送があるってスバラシイね。
(エルコンドルパサーの頃は、個人で実況を配信してくれるという人のサイトに張り付いた記憶がある。
 結局うまく聞けなかったなあ)

惜しかったけれどもオルフェーヴルはいい馬ですね。まず血統がいい。
父親がステイゴールドで、母の父がメジロマックイーン。ステイゴールドは日本では大レースをなかなか勝てず、いつも2着か3着だった。そんなところが面白いとファンに愛されていたが、海外での引退レース・香港ヴァーズで見事優勝。初のG1勝利を成し遂げ「究極の外弁慶」と称えられた。
メジロマックイーンは、父のメジロティターン・祖父のメジロアサマとともに天皇賞三代制覇、自身は史上初の春の天皇賞二連覇を成し遂げた、90年代最高の名馬の一頭。メジロアサマは生殖能力が低く生涯19頭の産駒しか残さなかったので、この馬の誕生は奇跡的であると言える。
オルフェーヴルのいいところ、もうひとつは気性。
騎手を振り落としたりレース中あさっての方向へ走っていったり、人の言うことをあまり聞かない。
それでも勝つときは勝つ。
人間が改良して作り出した生物であるサラブレッドが、人間の思うとおりにならないというのは本当に面白い。
私が最後に愛した馬(いまのところ)コスモバルクもそうだったし、
レースの映像や逸話を見る限り、ヌレイエフもそういう馬だったと思う。

凱旋門賞は世界一の大レースのように扱われているので、さぞかし歴史があるのだろうと思っていたら、第一回が1920年だそうなので結構最近なんですね。18世紀くらいからあると思ってた。
(ロンシャン競馬場の開場は1857年なのでそれはムリ。競馬の歴史が古いのはイギリスのほう)
椿姫のモデルであるマリ・デュプレシーを書いた本「椿姫と娼婦マリ」に、
マリがロンシャン競馬場に行くという場面がある。史実かどうかは知らない。
当時マリはなんとかいう貴族の囲われ者だった。マリは彼だけの恋人になりたいと願ったが、現実には娼婦として扱われ、色々な男性と関係を持っていた。競馬場でマリは思う。見せびらかして自慢するために飼われている、この馬たちと自分は同じだ、と。

ヴァツラフ・ニジンスキーの妻ロモラは、ニジンスキー(馬)の出走するレースに招待され、
かの馬の勇姿を見て泣き崩れたという。本当かな。なんだかできすぎているように感じる。
(かわいそうな仔馬はもう疲れました)
ニジンスキーは英国三冠馬だが、凱旋門賞を勝つことは出来なかった。三冠レースの最後・セントレジャーから凱旋門賞に向かうローテーションは、若馬には厳しすぎたのかもしれない。
「あの名馬ニジンスキーでも駄目なのか」それ以降、セントレジャーを回避する有力馬が増えた。「最も強い馬が勝つ」と言われたセントレジャーは価値を失い、ニジンスキーののち英国三冠馬となった馬はいない。

馬もバレエもわりと好きなので、私はよく考える。
ヌレエフは、ヌレイエフのことをどう思っていたんだろうか?
しかしそれについてはどこにも書いていない。
そしてまた考える。多分なんとも思っていなかったんだろうな。
ヌレイエフがヌレエフのことをなんとも思わなかったように。


★視界に広がる自分だけの大草原に、見知らぬダンサーの入る余地などない。

Category : 競馬
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ヌレエフの馬、あるいは五月の幻想

そんなわけで明日はダービーなのであった。しかししばらく真面目に競馬を見ていないうちに、騎手も血統もレース体系もかなり変わってしまい、何がなんだかさっぱりわからない。元々通でもなかったけど。
仕方ないので名前だけで決めて、本命はウインバリアシオン。バリアシオンはヴァリアシオン、すなわちバレエのソロのこと。母名はスーパーバレリーナ。
この手のバレエ関係の名前が付いた馬は、大抵ニジンスキーかヌレイエフか、さもなくばサドラーズウェルズの血を引いているのだが(3つとも馬の名前)、彼の場合はそうではないらしい。ただし、ノーザンダンサーの5×3×5のクロスは入っている。
ノーザンダンサー、北の踊り手という言葉から連想して「ニジンスキー」と名づけられた名馬が誕生したのをきっかけに、ヌレイエフだのサドラーズウェルズだの、それからリファールとかダンチヒとか、ノーザンダンサー産駒にバレエ関係の名前をつけることが流行したらしい、というのが定説。
(私の母によると、Northern Dancerという言葉自体がルドルフ・ヌレエフあるいはヴァツラフ・ニジンスキーを指す言葉だという説もあるそうな。しかし彼女が齎したヌレエフ情報が正しかったためしがないのであまり信用できない。ただ、ノーザンダンサーの生年が1961年であることだけはここに記しておく。この年バレエ界に起こった一大事件について知らない人は、ここにはいないでしょう)



特に何か探すでもなく、英国AmazonでDiane Solwayが書いたヌレエフの伝記の索引を見ていたところ、そこにひっそりとNorthern Dancerという項目があるのを発見して驚いてしまった。
ノーザンダンサー。
世界競馬の血統に恐ろしく莫大な影響を与えた、たぶん20世紀最高の名馬。
そしてヌレイエフの父。
ヌレイエフの馬主、スタブロス・ニアルコスとヌレエフが懇意であったことを知ったとき、私は大はしゃぎで手元にあったJulie Kavanaghのヌレエフ伝を紐解きニアルコスのページを探したのだが、ギリシャのプライヴェート・アイランドを貸したとかヘリも貸したとか(ジェット機もあったかな)ヨットのなんとか号でクルージングとか、あとオナシスとカラスがどうのこうのとかは載っていても、馬についてなんて一行も書いていなかった(と思う)。
海外サイトを探してもいまいちよくわからないし、ヌレエフとヌレイエフの関係について調べるのは半ば諦めて妄想で済ませていたのだけど、こっちの本にあったとは! なんでもやってみるものだし、調べてみるものだし、教えてもらうものですね(ありがとうございます)。
しかし、この索引にはどういう需要があるのかよくわからない。私以外に喜んだ人はいるのだろうか。

本文内を検索して一部読んでみたところ、「ニアルコスはヌレエフにちなみ名付けた競走馬を、贈り物として彼に与え共有した。名高いノーザンダンサー産駒のその若馬は無敗だったが、1年後には脚の負傷のため引退することになった」というようなことが書いてある。(さすがにwebではほんの一部しか読めない)
そうか、ヌレイエフってヌレエフの馬だったのか! 私はてっきり、ニアルコスがヌレエフ愛しさのあまり勝手に自分の馬に彼の名前をつけたのかと。
(冷静に考えてみれば酷いお話)
名義上の馬主はニアルコス一人なので、シェアとはいっても気持ち的なものだと思う。
いちおう指摘しておくと、実際はヌレイエフの引退理由は脚の怪我でなくウィルス性の感染症であり、その戦績は3戦2勝である(負けた1回は2000ギニーという英国の大レース、ヌレイエフは1位入線するも進路妨害のため失格。1980年5月3日のことだった)。
ちなみに馬のヌレイエフもヌレエフと同じように(?)気性が激しく、入厩前に牧場で他馬を2・3頭殺したという伝説が残っているそうだ。
……一緒にして申し訳ありません。人間の1000倍怖かったです。

それにしても、競馬史上に大きな名を残したサラブレッドが、同じく舞踊界の伝説となったひとりのダンサーに捧げられた存在であったというのは、なかなかロマンティックな物語ではないだろうか。ヌレエフに思い入れがなくっても。
ヨット、ジェット機、ヘリコプター。ギリシャの美しい島、そして父Northern Dancer、母Specialの、130万ドルのヌレイエフ。北の国から訪れた、特別なダンサーのために。
もっとも、ヌレエフが馬や競馬を好きだったかどうかはわからないし、一度だって愛馬のレースを見たことがあったかも怪しい。その手でヌレイエフの白い顔に触れて撫でてやったりなんかしていたら、とても素敵だとは思うんだけど、まあ忙しい人だから。夢は夢。
ヌレイエフ自身はそんなことは関係無しに、好きなように走り、好きなように生きた。目障りなものは殺してしまい、ルールなんか関係なく、一度も誰かのあとにゴールしたことのない彼は馬の世界の王者だった。命がけの全力疾走とはさっさとおさらばして、シーズンには子供を作り、残りはのんびり暮らした。競走馬としては、かなり幸せな生活。気性の激しい彼には、少したいくつだったかもしれないけれど。
1987年には脚の大怪我で生死の境をさまよったが、懸命な治療の末一命をとりとめる。新聞の「ヌレイエフ骨折、生命絶望か」とかいう見出しを見て血の涙を流した早とちりのバレエ・ファンが、全世界に3人くらいはいたんじゃないかと勝手に思っている。
その後も種牡馬生活を続けたが、蹄の腫瘍のため2001年に安楽死の処置を受けた。24歳。ヌレエフもニアルコスも、とうにこの世にいなかった。

ヌレイエフの仔は世界中で活躍した。ソヴィエトスター、シアトリカル、パントレセレブル、ストラヴィンスキー。一部の人の間では、ヌレエフよりもヌレイエフの名の方が有名なのではなかろうか(私がそうだから)。
ニアルコスはそんなヌレイエフの子供も何頭か所有している。ミエスク、フォティテン、スピニングワールド……どういうわけか、いずれもバレエともヌレエフとも何の関係もないようだ(ミエスクとフォティテンなんか語義不詳)。
80年にヌレイエフが病のため引退したのち、ヌレエフもまた病に侵されていたことが発覚したのを気にかけたためだと考えるのは、穿ちすぎだろうか?
一頭の競走馬の運命が、一人のダンサーの命までも引き摺ってしまう。なんてことは、ありえないのだけれど。


それはともかく、明日はお祭り、日本ダービー。
バリアシオンを応援するつもりでいたが、出走馬の中に3頭、ヌレイエフの血を引く馬がいるのを発見した。
ノーザンリバー、ショウナンパルフェ、そしてベルシャザール。
競馬とは血のロマン。あんまり人気はないようだけど、歴史の1ページになれるだろうか?


★おもな参考サイトさま
ヌレイエフ-wikipedia
ルイルイルイ World Horse Racing Museum
世界の名馬を日本語で

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Posted by ミナモト on  | 0 comments 

ヌレエフは呼び捨てで馬は陛下か

本日(あ、もう昨日だ)、ジャパンカップが行われていた東京競馬場に、シンボリルドルフ皇帝陛下がご来場遊ばされていました。29歳という馬としては相当な高齢な筈なのに、テレビで見たらすっごくキラキラしてて若々しかった! 心配していたので、ちょっと安心。
以前馬のヌレイエフについて書きましたが(※記事書き直しのため現在リンク切れ)、このルドルフは別にヌレエフとは関係はなく
神聖ローマ帝国のルドルフ1世だか2世だかから取った名前です。だから「皇帝」なんですね。

ちなみに、このブログのアドレスに含まれる文字列「lunarudy」はこの馬由来です。ヌレエフ無関係。
私は陛下の現役時代は見たことないのですが、数年前の一時期に
「無敗の三冠馬だなんてカッコイイ! 皇帝って通り名が素敵! ルドルフって、なんて格調高くて美しい名前なの!」と1人で大いに盛り上がり、(※当時ヌレエフのことは知らなかった)
うっかりブログやメールアドレスのアカウントに取り入れてしまったのでした(笑)。
ルナっていうのは子馬のころの呼び名だそうです。
お母さんの名前がスイートルナなのと、ルドルフのおでこに三日月の模様があったことから。
あと、強いんだけど気難しく、カリカリして凶暴な面もあったお馬さんだったそうなので、
狂気、「ルナティック」の意味もこめてます。ルナティックルディ。

じゃあブログタイトルの三日月はそこから取ったの? というとそういうわけではなく、
いいのが思いつかなかったので単に好きなミュージシャンの曲・アルバム名をもじっただけです。
内容をヌレエフファンブログに絞って再出発(?)したとき、もっとわかりやすいのに変えようかとも思ったけれど、なんとなくずるずるここまで来てしまいました。愛着もあるしまあいいや。


以上、こんな機会でもないとできない、心底どうでもいい裏話でした。
ネタが無いわけじゃないんだけど(ていうか有り余ってるけど)今は気力が無いので気分転換にこれだけ。

……あああ、ジャガーメイルとオウケンブルースリ……orz

Category : 競馬
Posted by ミナモト on  | 0 comments 

走るために生まれ生きるために走る生き物なのさ

どうもこんにちは。この夏で体重が5キロ減ってしまったミナモトです。
こうなったらもうこの調子で、エクササイズとかストレッチとかしながら
森下洋子様のスペックを目指そうと思います。身長ほぼ一緒だしい。
あと3キロです。
うーむ、こうして書くと、なんだかずいぶん太っていたようだなあ
BMI値測定サイトとかにこの数字をぶち込むと怒られるのですが(笑)、
洋子様だってお元気だしいいじゃん、と思っておきます。

プティの書いた本で、ヌレエフについて
「常に体重に強迫観念を持ち、競馬騎手の体型を理想としていた」などと書かれていましたが、
男のバレエダンサーがんなもんを目指したら、病気の前に栄養失調で死ねると思います。
誇張した表現なんだろうけど、気になったので一応突っ込んでおく。
ていうかマジだったら怖いので勘弁してください……orz
そりゃあ確かに、174センチ51キロの武弟とかも元気に生きてるけどさあ。
前テレビでサッカーしてるの見たことあるけど、脚なんか棒みたいだったよ。


競馬といえば。
数年前まで私の中では、ヌレエフも、ニジンスキーも、サドラーズ・ウェルズもオペラハウスも、
ダンツィヒもリファールもみーんな
「馬の名前」でした。

なぜか、競走馬の名前には、バレエに関連するものが多いのです。
「生きる芸術品」と呼ばれる、サラブレッドの細い脚やしなやかな体が、
美しいバレエダンサーを連想させるからでしょうか?
理由については、こちらのサイト様でも考察・紹介されています(更新停止されているようで、残念)

馬のニジンスキーがエプソム・ダービーに出走した際、人間のニジンスキーの妻・ロモラさんが
競馬場に招待され、馬のニジンスキーが見事勝利する姿を見て感涙に咽んだ……なんて話が
wikipediaに紹介されていました。美談……なのか? ニジンスキーは生前、
「馬になりたい」とか、「かわいそうな子馬はもう疲れました」とか口走っていたそうですが。

馬のニジンスキーが生まれたのは、人間のニジンスキーが世を去ったずっと後ですが、
馬のヌレイエフ(こう表記されることが多い)は1977年生まれ。
人間のヌレエフは、馬のヌレイエフのことを知っていたでしょうか?
知っていたとしても、病気のために3戦2勝でさっさと引退してしまったので、
あまり面白くはなかったかもしれない(笑)
ちなみに1敗は、1着入線したものの、他馬の進路を妨害したため失格になったのです。おいおい
馬のニジンスキーは、13戦11勝2着2回で、かなり立派な競走成績なのですが。

しかしニジンスキーにせよヌレイエフにせよ、その真価は競走成績ではなく、
種牡馬としての功績にあるかもしれない。
いちいち挙げると切りがないのでやめますが、いずれ劣らぬ名馬を大量に輩出しています。
名前も、バレエと関連していたりして面白いです。
詳しくは上記のサイトとかここここで。
prince nureyevとかrudi's fantasyとか、なかなか可愛らしくていいじゃないの(笑)
(両方、全然聞いたことのない馬だが)。
凝っているのはJeune Homme。元ネタはきっとLe Jeune Homme et La Mort...
ヌレエフが踊ったプティの傑作、『若者と死』ですね。


今、中央競馬に「ゴールスキー」という名の馬がいます。
バレエ演出家のアレクサンドル・ゴルスキーからとった名でしょう。
その母馬は「ニキーヤ」。バレエ『ラ・バヤデール』のヒロイン・ニキヤです。
ダートの名馬・ゴールドアリュールの母でもあります
(しかし、バヤデルカとゴルスキーって関連があったかしら)

そして、そのニキーヤの父こそがヌレイエフ。
ニキーヤは1993年3月生まれ。人間のヌレエフが亡くなった、わずか2ヶ月ほどあとです。
その時期に生まれた彼女に、ヌレエフ最後の作品のヒロインの名を与えた馬主は、
ヌレエフになにか思い入れがあったのでしょうか。
私は今はあまり競馬を見ませんが(コスモバルクに付き合ってるうちに疲れた……。後半数年は
「もうわかったからさっさと引退してゆっくりしてくれ」とばかり言っていた気がする。無理して中央の大レースに出て、ヘロヘロになりながら危険な走行で他馬の進路妨害をするのが見ていて辛すぎた。しかしうっかり引退式まで見に行ってしまった。余談だが、彼もヌレイエフの血を引いていたりする
)、
ニキーヤの子供たちのことは、ひそかに注目しています。

★その後、ヌレイエフと人間のヌレエフの関係について調べてみました。こちらからどうぞ。
※記事修正中につきリンク切れ。もうしばらくお待ちください
まあただ単にヌレイエフの馬主がヌレエフのパトロン(?)だったってだけの話ですが

Category : バレエ雑記
Posted by ミナモト on  | 0 comments 
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