三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。非常に申し訳ないけど大体リンク切れ

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『光と影』原文比較 5

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
転載元のコメント欄はこちら


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P.42 しかし次の瞬間天を仰いだ。守衛がクラスもオーディションも7日後にならないと始まらないと告げたのだ。
Pour la deuxième fois, il voit le ciel. Il s'avance. Un portier lui apprend que le ciel est fermé et que les cours et auditions ne commencent que dix jours plus tard.
(彼は2度目に天国を見た。彼は前に進み出た。守衛が彼に、天国の門は閉ざされていること、レッスンやオーディションは10日後まで始まらないことを告げた。)

オーディションを受けるべく、キーロフ劇場の前に立ったヌレエフ。cielの最も一般的な意味は「空」だが、空にfermé(閉じられた)という形容は似つかわしくない。cielには「天国」という意味もあり、これがキーロフの比喩なら、ヌレエフがcielを見てから前に進み出ることも、守衛がcielについて教えることも説明が付く。1度目に天国を見たのは生涯初めてバレエを見た日であることは、十分想像できる。

P.43 一八八六年の設立以来、キーロフバレエのサンクトペテルブルグマリンスキー劇場はワガノワ・アカデミーになった後も優秀なダンサーを輩出し、難攻不落の牙城だった。
Installé depuis 1886 au théâtre Mariinski de Saint-Pétersbourg, le Ballet du Kirov, qui forme par l'entremise de l'académie Vaganova les plus grands danseurs russes, a tout d'une citadelle imprenable.
(1886年以来サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場に配置されたキーロフ・バレエは、ワガノワ・アカデミーの仲介でロシア最高のダンサーたちを組織し、さながら難攻不落の砦だった。)

マリインスキー劇場はキーロフ・バレエを擁する歌劇場で、ワガノワ・アカデミーとは別組織。"par l'entremise de l'académie Vaganova "(ワガノワ・アカデミーの仲介で)とは、ワガノワ・アカデミーの卒業生の多くがキーロフ・バレエに入団したことを指す。
マリインスキー劇場のWebサイト(http://www.mariinsky.ru/en/about/)によると、1886年はバレエ団がボリショイ劇場からマリインスキー劇場に移転した年。

P.58 彼は革命以降のどんなに優秀なダンサーよりも傑出し、"ロミオとジュリエット"や"ローレンシア"などの作品はキーロフによって創作され、ボリショイで再演されたのはずっと後になってからだった。
Il est significatif que quelque-uns des meilleurs ballets soviétiques depuis la révolution, comme Roméo et Juliette ou Laurencia, aient été créés par le Kirov et repris par le Bolchoï longtemps aprés.
(「ロミオとジュリエット」や「ローレンシア」など、革命以後最高のソビエトバレエのいくつかはキーロフによって初演され、ずっと後でボリショイによって再演されたというのは意味深長である。)

"Il est significatif que ~"は英語の"It is significant that ~"に当たる構文で、「~だということは意味深長である」。「キーロフのほうがボリショイより自由に芸術を探求できる」というヌレエフの考えの傍証として、この文が書かれている。
訳本では"Il est significatif que ~"を「彼は~より意味がある」と解釈したため、形容詞比較級に必須なplusがsignificantifの前にないのを無視したり、balletsを「ダンサー」に変えたり、いろいろ無理をしている。

P.73 そこではルドルフの存在は注目には値しなかった。
La présence de Rudolf à cette garden-party n'est pas une surprise.
(この園遊会にルドルフが出席するのは驚くことではない。)

surpriseは英語同様「驚き」。「驚きではない」という文字通りの意味、そしてこの文に続く「フルシチョフ夫人はバレエ愛好家」を考え合わせると、「園遊会の主催者がバレエ好きなのだから、ヌレエフが出席するのも不思議はない」という意味合いだと推測できる。「注目に値しない」というとつまらない存在のような印象だが、実際には夫人はヌレエフを熱心に見たはずだし、取り巻きも夫人に合わせてヌレエフに視線を向けていたはず。

P.80 一二〇名のダンサーたちは単純に慣習の持つ力に従って行動していた。何をするにも団体で行う習慣を根絶するには何世代も必要だろう。
« Non pas, comme le soulignera Rudolf lui-même, qu'on eût dit aux cent vingt danseurs de la troupe d'agir ainsi : ils se conduisaient simplement de la sorte par la force de l'habitude, l'habitude qu'on a aujourd'hui dans notre pays de tout faire en groupe, tendance qu'il faudra des générations pour éradiquer. »
(ルドルフ自身が力説するように、「バレエ団のダンサー120名がそうするように言われたわけではない。皆が単にそのように振舞ったのは、習慣の力による。今日の我が国では何事も集団で行うという習慣、根絶するには何世代も要するであろう傾向だ」)

原文では明らかにヌレエフの述懐("Nureyev : An Autography"の引用)だが、訳本ではMeyer-Stableyの記述にされている。ヌレエフの伝記なのだから、ヌレエフの発言はそう明記するべきだと思う。

P.145 この公演では幾度か客席がどよめいた。
Certes les répétitions sont parfois houleuses :
(なるほどリハーサルでは幾度か波乱が生じた。)

répétitionは「稽古、リハーサル」、「公演」はreprésentation。この文の後で、ヌレエフが衣装を自分好みに直したとか、指揮者に注文を付けてフォンテーンがとりなしたとかいう公演前のいざこざが書かれており、それをhouleuses(騒然とした)と呼んでいる。

P.152 彼に言い寄ってくる女性をなすがままにし目の前の男性たちを震え上がらせています。世界中いたる所で押しかけてくる人を自在に操り
il laisse les femmes le courtiser, les hommes frissonner devant lui, il laisse venir à lui le monde tout entier,
(女性に自分を口説かせ、男性に自分の前で身震いさせ、全世界に自分のもとへ来させ、)

"laisser A(目的語) B(不定詞) "は「AにBをさせる」。させる行為はBだけなので、「BするAを好きなようにする」と同じ意味にはならない。

 

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『光と影』原文比較 4

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
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P.12 ヌレエフという名前はロシア人の名のように厳格な印象を与えないと思います。
Je ne nous considère pas, nous les Noureev, comme des Russes dans le sens le plus strict du mot.
(我々、つまり我々ヌレエフ家の者が言葉の最も厳密な意味でのロシア人だとは思わない。)

ここでのcommeは「~のように」でなく、イディオム"considèrer A comme B"「AをBだと見なす」の一部。本書を始めロシア人とよく呼ばれるヌレエフだが、この文の後で語るように、自分を厳密なロシア人だとは見なしていないということ。

P.20 音楽は情熱を生み出す母体となり、間違いなく彼の人生を埋め尽くしていった。
Il ne se doute pas alors qu'elle donnera bientôt naissance à l'unique passion qui va emplir sa vie.
(彼の人生を埋め尽くすことになる比類なき情熱が音楽からまもなく生まれるとは、当時の彼は予期していなかった。)

「人生を埋め尽くす(qui va emplir sa vie)」のは『光と影』では音楽のように読めるが、原文では情熱(passion)を修飾している。そしてこの情熱はまだ生まれていないということから、そしてヌレエフに関するいささかの知識があれば、それほどの情熱は音楽に対するものではないと分かる。
"se douter que ~"は「~だと予期する、気づく」。

P.52 レニングラードで出会い、ガールフレンドだったウーファのインナ・グリコーヴァに尋ねてみると、
Sa rencontre à Leningrad avec une ancienne amie d'Oufa, Inna Gickova, va l'amener à s'interroger sur son cas :
(ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとレニングラードで会ったことで、彼は自分のケースについて自問することになる。)

原文には男女両方を指しうる代名詞がいくつかあり、これらが分かるように原文を直訳すると「ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとの彼/彼女の出会いは、彼/彼女が彼/彼女のケースについて自問するようにしむけることになる」。3か所とも彼、ヌレエフと解釈すれば意味が通る文になる。
"s'interroger sur ~"は「~について自問する」。「彼女に尋ねる」なら"l'interroger"のはず。
なお、原本の謝辞を読むと分かるが、Meyer-Stableyは文献にはよく当たっていても、ヌレエフを直接知る関係者にはほとんど取材していない。訳本にはここのほかにも「情報を提供してくれた(P.210)」「話してくれた(P.264)」という表現があるが、Meyer-Stableyが自らインタビューしたかのような印象になるのは感心しない。

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『光と影』原文比較 追加

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
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P.14 ルディクは長女ローザ、次女ラジダと幼稚園に通うようになり、スポーツスクールにも行った。三七年に耳の病を発病した三女リリアは、聴力回復のため聾唖学校に通っていた。
Rudik va bientôt au jardin d'enfants avec sa sœur Razida, âgée de cinq ans. Rosa, l'aînée, fréquente une école de sports, tandis que Lilia, tombée malade en 1937, suit des cours pour sourds et muets, bien qu'elle entende encore un peu.
(ルディクは間もなく5歳の姉ラジダとともに幼稚園に通うようになった。最年長のローザはスポーツ学校によく通った一方、リリアは1937年に発病し、まだ少し聴力があるにもかかわらず、ろうあ者向けの授業を受けていた。)

訳本ではカットされたが、原本によるとルドルフが生まれたときローザは10歳、リリアは5歳、ラジダは3歳。つまりラジダは三女でリリアは次女。ローザは弟とともに幼稚園に通うには年上すぎ、原文でも幼稚園でなくスポーツスクールに行った。encoreには「再び」という意味もあるが、ここでは"bien que"(にもかかわらず)とともにあるので、「まだ」のほうが意味が通る。

P.23-24 私設の天文台によじ登っているかのどちらかでした」彼は小高い丘に登って何時間でもウーファの人びとの様子やゆっくり出発し徐々にスピードを上げていく汽車を飽くことなく眺めていた。日曜日になるとガウンを羽織った人が元気よく街を闊歩していた。彼らは毎週蒸し風呂に入りに来る。パジャマ姿の人や入浴後に体を叩くため小さな白樺の葉を持っている人もいた。
soit à grimper jusqu'à mon observatoire privé. » C'est une petite éminence du haute de laquelle il observe pendant des heures les gens d'Oufa. Le samedi, de petits groupes d'hommes trottent d'un pas vif, en peignoir, parfois même en pyjama. Ils viennent prendre leur bain de vapeur hebdomadaire. Certains portent un petit balai de feuilles de bouleau pour se fouetter après le bain. Mais une autre raison lui fait choisir cet observatoire : de là il domine la gare d'Oufa. Il y reste assis des heures, à regarder les trains démarrer lentement et prendre de la vitesse.
(私だけの展望台に登るかのどちらかだった」これは小さな丘で、彼はこの高さからウーファの人々を何時間も観察した。土曜日には少人数のグループがガウンやときにはパジャマすらを着てきびきびと歩く。週一回の蒸し風呂に入りに来るのだ。風呂上りに体を叩くために白樺の葉の小さなほうきを持つ者もいる。しかし彼がこの展望台を選んだ理由はもう一つあった。そこからはウーファの駅を見下ろせたのだ。彼はそこに何時間も座ったまま、列車がゆっくり発車し、加速していくのを見つめた。)

observatoireは丘の比喩で、幼いルドルフはここから地上を眺めていた。「天文台」はobservatoireの主要な意味ではあるが、この場合は比喩としてもふさわしくない。また、遠くに憧れるルドルフにとって、ウーファを離れる列車は特別なものだった。
P.55 簡単にこなせてしまうために
parce qu'il peine à réussir un pas,
(パに成功するのに苦労したために)

ワガノワでキャリアの遅れを取り戻すべく猛練習を重ねたヌレエフ。動詞peiner(苦労する)を「簡単にこなせる」とは解釈するのは無理だろう。

P.73-74 彼は舞台に登場したデンマークのスターダンサー、エリック・ブルーンを食い入るように見つめた。しかし彼は東ドイツ巡業に出発し、
il veut désespérément voir se produire la star danoise Erik Bruhn. Mais il est envoyé en tournée en Allemagne de l'Est.
(彼はデンマーク人のスター、エリック・ブルーンが出演するのを死ぬほど見たかった。しかし彼は東ドイツのツアーに送られた。)

1960年9月にアメリカン・バレエ・シアターのモスクワ公演が行われたときのこと。ヌレエフがこのときブルーンの踊りを直接見ることは、当局の妨害でかなわなかった。

P.77 ヨーロッパ行きに際しルドルフに与えられた許可は、驚くべきことに既婚ダンサー用のものだった。
L'autorisation accordée à Rudolf est d'autant plus surprenante que seuls les danseurs mariés sont autorisés à partir en tournée en Occident. (西側のツアーに出発することを許可されるのは既婚のダンサーだけなので、ルドルフに下りた許可はなおさら驚くべきものである。)

"d'autant plus A(形容詞) que B(節)"は「BであるだけますますAである」という意味。反抗的であるほか、独身であることも、ヌレエフが西側行きを許可されるには不利な材料だったということ。

 

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『光と影』原文比較2

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較。

元はTelperionさんによりコメント欄にまとめていただいたものであり
順序とレイアウトの変更を行ったほかは、ブログ管理者は内容に手を加えていません。

青字は邦訳の引用、カッコ内はTelperionさんによる翻訳
長いので分割してあります。原文比較その1はこちら

【元記事】
『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめ
『光と影』疑問点メモ

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P.47 ついに校長はルドルフのポケットから無理矢理アドレス帳を引っ張り出した。校長は彼がレニングラードにいたときに泊まっていたウダリツォーヴァの娘の名前を聞き出そうとしているのだと思った。彼女の電話番号は書いていなかった。が、突然激怒の火がつき、チュルコフは飛びかかって彼の手から手帳を取り上げた。
Le directeur insiste et oblige finalement Noureev à tirer son carnet d'adresses de sa poche. L'apprenti danseur croit s'en sortir en lui donnant le nom de la fille d'Oudeltsova chez qui il est descendu à Leningrad. Il prend cependant soin de ne pas donner son numéro de téléphone, prétendant qu'elle n'en a pas. Soudain, dans une flambée de rage, Chelkov bondit et lui arrache le carnet des mains.
(校長は執拗に命令し、ついにヌレエフにアドレス帳をポケットから出させた。見習いダンサーはレニングラードで家に泊まったウデルツォーワの娘の名を教えれば窮地から脱け出すだろうと信じた。それでも彼女は電話番号を持たないと主張し、彼女の電話番号を教えないように気を付けた。不意に憤怒に燃えたシェルコフは飛びかかって彼の手から手帳を奪い取った。)

ヌレエフは手帳を出したものの、最初はまだ自分の手に持っている。そうでないと、最後の「シェルコフ(校長の名)が奪い取った」が成立しない。2・3番目の文は、"s'en sortir"が「困難から脱出する」であること、elleが指す女性名詞として適切なのはウデルツォーワの娘しかないことさえ押さえれば、難しくない文だと思う。
なお、フランス語ではchは英語のshと同じ発音。現に、原本ではショスタコーヴィチをChostakovitch、バリシニコフをBarichnikovと表記している。

P.59 八月キーロフのバレエ団は分散してしまったのだ。若きプリマバレリーナは過酷に働きすぎて意欲を失ってしまった。彼女はひたすら筋肉を伸ばして休め、泥風呂につかり海岸に横たわり休養したいと願っていた。ルドルフはひとりでクリミアに旅立とうとしていたが、轟く雷のような電報を受け取るやいなや荷物をほどいた。
Au mois d'août, la troupe du Kirov se disperse. La jeune étoile a travaillé si dur qu'elle n'a plus qu'une envie : se détendre les muscles, prendre des bains de boue, s'allonger sur la plage et ne rien faire. Rudolf part seul pour la Crimée, mais il a à peine défait ses valises qu'un télégramme arrive comme un coup de tonnerre dans le ciel bleu.
(8月、キーロフの一座は散り散りになった。若きスターはあまりに過酷に働いたため、望みはもはや一つだけだった。筋肉をほぐし、泥風呂に入り、浜辺に寝そべり、何もしないことだ。ルドルフは単身クリミアに旅立ったが、荷物をほどくとすぐ、青天の霹靂のような電報が届いた。)

この文の前にキーロフの若い女性ダンサーは全く話題になっていない(ドジンスカヤは若くない)。泥風呂も海岸リゾートもあるクリミアにヌレエフが旅立つことから考えても、原文の"La jeune étoile"はヌレエフを指すとしか考えられない。「彼女」という意味で使われることが多い代名詞elleがあるのは確かだが、ここでは女性名詞étoileを受けているに過ぎず、実際の性別とは関係がない。
原文で「荷物をほどく」の時制は直説法複合過去、「電報が届く」は直説法現在なので、前者の方が早く起こっている。ヌレエフがクリミアに出かけたことからもうかがえるとおり、バレエ団が分散したというのは単なるシーズンオフだろう。

 

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『光と影』原文比較1

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較。

元はTelperionさんによりコメント欄にまとめていただいたものであり
順序とレイアウトの変更等を行ったほかは、ブログ管理者は内容には手を加えていません。

青字は邦訳の引用、カッコ内はTelperionさんによる翻訳
長いので分割してあります。原文比較その2はこちら

【元記事】
『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめ
『光と影』疑問点メモ

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≪「怪しい部分まとめ」補足部分≫

P.126 インド人の父親とアイルランド人の母親
d'un père indien et d'une mère irlando-écossaise
(インディアンの父親とスコットランド系アイルランド人の母親)

indienはインド人とアメリカインディアンの両方の意味があります。

P.135 魔法の詩
Le Poème magique

原文の段階で間違ってました。

P.210 ギレーヌ・テスマーはロシアのプリマの中でも叙情的なバレリーナだった。
tandis que Ghislaine Thesmar sera lyrique sur l'étoile russe :
(一方、ギレーヌ・テスマーはロシアのスターについては抒情的になる。)

l'étoile russeはヌレエフのことですね。

P.212 さまよえるオランダ人の歌
Chant d'un compagnon errant

compagnonにつくのが定冠詞(英語でのthe)だと2番目の単語がduになり、不定冠詞(英語でのa)だとd'unになります。日本語訳では関係ないので、どちらが正式なのかは追及しませんでした。

 

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『光と影』疑問点メモ

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめについて反響頂きありがとうございます。
上記記事では一応自分で「明らかにおかしいのでは?」と指摘できる部分を挙げてみたのですが
(麻薬云々だけ我慢できず)、他にもソース不確かだったり細かなところで疑問に感じる箇所があったので、こちらにそういう部分をまとめてみました。
参考程度にご覧ください。ご意見など頂けたら幸いです。
青字部分は本文あるいは参考資料の引用です

【2011年8月追記】ここにある疑問のほとんどは、Telperionさんによる原文との比較で解決済みです。
原文比較1も併せてご覧ください



★最近の追加分

P.178 理想的な体重を維持し、肩幅は広く小柄で腰は細くエジプトの彫像のような見事な体型だった。
俳優のアンソニー・パーキンスについての文章。どんなに細くて華奢であっても、身長188cmの男性を「小柄」と形容することには若干違和感を覚えます。前後の文章から、パーキンスを指すことは明確ではあるのですが。

P.119 共産主義に共鳴する二〇名ほどが「モスクワに帰れ、タタール人!」とわめいた。
Solway本P.172に同じような記述があるんですが、そこではGroup of French Communist agitators began shouting "Traitor!" and "Go back to Moscow!"となっています。traitorは「反逆者」の意。
「タタール人」でも罵倒としてはおかしくないのですが、原書でもそうなのか訳者の読み違えなのか少し気になります。

P.169 一〇分間待った陛下は既に立ち去ってしまった。その時期"王様と私"の公演を終えたばかりのヌレエフは侮辱を受けたのを気にかけた様子だった。
ヌレエフが買い物に夢中でスペイン国王との謁見に遅刻した話。この場合「侮辱を受けた」のは国王だと思うのですが、いまいち要領を得ない文章です。

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P.142 映画で黒鳥を踊る十九歳のブルーンを見たヌレエフは、
黒鳥ではなくせめて『黒鳥のパ・ド・ドゥ』の方がいいのでは。それに、ブルーンが19歳の頃の映像が存在し、それをヌレエフが見ることが出来たという状況にちょっと違和感。J・パーシヴァル著の『ヌレエフ 芸術と半生』によると、ABTがソビエト巡業に訪れた際その公演を見ることが出来なかったヌレエフは、友人に頼み公演の様子を8ミリフィルムで撮影してもらったらしい。そのときのことを言っているのだとすれば、19歳だったのはブルーンではなくヌレエフでは? しかしABTのソビエト公演は1960年のことなので、それはそれで年齢の計算が合わない。

P.151 「マーゴット、君は僕がどこにいても幸せだったことなんて一度もなかったのを知っているじゃないか」
マーゴ・フォンテーンの自伝(湯川京子訳/文化出版局)では「マーゴ、ぼくはもうよそで幸せになれない」。言ってることは間違ってないのかもしれないけど、大分ニュアンスが違って見えるのが気になる。
それと細かいことですが、上記自伝の訳者あとがきによると、フォンテーンは自分の名の発音は「マーゴット」ではなく「マーゴ」であると主張してるそうです。

P.195 ザーリスム
検索しても出てこない謎の言葉。たぶんツァーリズムtsarism

P.204 ブルーエンジェル
ディートリッヒ主演のドイツ映画Der blaue Engelのことだろうけど、邦題『嘆きの天使』のほうが通りがいいと思う。

P.233 ヴァレンチノは唇がつりあがりもじゃもじゃ眉毛で、背を高く見せるためにヒールのある靴を履き、太った体をコルセットで締め付けていたが、ロシアのエトワールはスクリーンでそのモデルのように醜くは演じなかった。
そこまで言うことないのでは。フランスではそんな認識? 
ていうか眉毛と身長は普通にヌレエフのことかと思いましたスミマセン

P.247 フランソワーズ・サガンはある番組で、
ここで引用されているのは、サガンがヌレエフと会ったときの事を書いた随筆の一部(日本では新潮文庫『私自身のための優しい回想』に収録)。なぜ「番組」?。元はテレビ番組のための取材だったという可能性もありますが

P.302 「(前略)食事の最中に彼はひどい吐き気に教われました。一緒に食卓を囲み状況の深刻さを知らない人たちは爆笑しましたが、(後略)」
パトリック・デュポンの回想。割とひどい。
でもデュポンの自伝『パリのエトワール』(林修訳/新書館)の記述では「公演後、彼をかこんでスタッフ一同が会食をしていたとき、急に彼が強い吐き気に苦しみだし、レストラン中が大混乱となった」。……大分話が違う。自伝の方が正しかったらいいんですが。

P.307
ヌレエフの葬儀の様子が書かれており、ロシア正教の十字架がどうのこうのなどと記述があるのですが、ヌレエフは正教徒ではないのでお墓にそういうモニュメントはありません(って財団公式サイトに書いてあった)。埋葬されたのがロシア人墓地だから、葬儀だけはロシア正教式でやったのでしょうか。あの綺麗なモザイクの墓標が置かれたのは葬儀から大分あとだったはずなので(ソース失念)それまで仮にロシア正教式のお墓を立てていた、とか?

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『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめ

2010年9月に、日本語版のルドルフ・ヌレエフの伝記
『ヌレエフ―20世紀バレエの神髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)
が発売されました。
日本では長らくヌレエフの伝記が発行されていなかったため、特にオペラ座芸術監督就任以降の記録や業績を調べることがなかなか困難でした。今まで日本で知られていなかったヌレエフの人生を紹介した本書の出版は、大変価値ある、喜ばしいことだったと思います。

しかし、ひとつ残念なことが……。
この本には、明らかに間違いと見られる記述がとても多いのです。
どんな資料にも些細な間違いはあったりするので、最初は読み流していたのですが
量・質的にも、見過ごせないような間違いが多々あると感じました。

バレエファンならすぐわかるような間違いもありますが、あまり知識のない人だって手に取る可能性のある本です。
そういう方にこそ、ヌレエフのこと、バレエのことをできるだけ正確に知ってほしいのですが……。
私自身、本書で今まで知らなかったヌレエフに触れることができてとても嬉しいと思っているので、複雑です。

この記事に、私が気付いた分の間違いをまとめてみました。
一部に閲覧者の方の助けを頂いた部分もありますが、文責はすべて私にあります。
間違いやお気付きの点などがありましたらご連絡ください。
ご協力くださった皆様には心よりお礼申し上げます。

光と影関連記事をすべて表示(詳細な原文比較などがあります)

青字部分は本文からの引用です

P.126
マリア・タルチフ(Maria Tallchief)の父親が「インド人」とされていますが、正しくはネイティヴ・アメリカン。

P.135 “魔法の詩”というタイトルに惹かれ個人的なものを表現してみようと思ったからです。自分を悲劇的と思っていたわけではなく、
このエピソードは『ヌレエフ 芸術と半生』(J・パーシヴァル著)にも載っていますが、そちらではタイトルが『魔法の詩』ではなく『悲劇的詩』となっています。作曲家はスクリャービンとのことなので、おそらく悲劇的詩曲Poeme tragique Op.34でしょう。『魔法の詩』では後半部分と文脈が繋がりません。また、そのような邦題のスクリャービンの楽曲は見当たらないようです。

P.182
ヌレエフとフレディ・マーキュリーの恋愛関係について詳述されていますが、フレディのパーソナル・アシスタントであったピーター・フリーストーンは自著で彼らの関係を否定しています。
ヌレエフ達が互いの関係をひた隠しにしていたか、フリーストーンが嘘を書いている可能性もありますが、「一九九一年マーキュリーが逝去したとき、ヌレエフは彼に寄り添っていた」という記述とは裏腹に、ヌレエフがフレディの病床に訪れたり葬儀に現れたりしたという記録は見つかりません。くわしくはこちらの記事参照。
誰かが嘘をついているのは確実なのですが、藪の中ですね。ちなみにヌレエフのマネージャーのLuigi Pignotti氏も2人の関係を否定しているようです。

P.210 ギレーヌ・テスマーはロシアのプリマの中でも叙情的なバレリーナだった。
ギレーヌ・テスマーは中国生まれのフランス人。

P.212 ベジャールのおかげでルドルフと記念すべき“さまよえるオランダ人の歌”で共演したパオロ・ボルトルッチは~
ヌレエフとボルトルッチが初演したベジャール作品のタイトルは『さすらう若者の歌』(Le chant du compagnon errant)。

P.234P.239で、Michelle Phillipsの日本語表記が「ミシェル・フィリップス」だったり「マイケル・フィリップ」になったり。
人名表記の揺らぎは他にもたくさんあるのですが、これはさすがに混乱しました。

P.213 ヌレエフは彼の末っ子に、“ランチをしに家まで来る気はないか”と尋ねるメッセージを渡してもらった。
この時点では、ヌレエフはもちろんバリシニコフにも子供はいないと思うのですが、何かの誤訳?

P.247 振付家はそれぞれマッシーニ、フォーキン、ニジンスキー、フォーキンで、ドラン・バクスト・ブノワによるオリジナルの装置が使われた。
これでは「ドラン・バクスト・ブノワ」がひとりの人間のよう。それぞれアンドレ・ドランとレオン・バクストとアレクサンドル・ブノワですね。あと、Léonide Massineをマッシーニと表記するのは国内では一般的ではない気が。本書の中では「マンシーニ」という表記もありさらに混乱を誘います……

P.260 プルミエ・ダンスールに配属されていたマニュエル・ルグリのエトワール指名も~
ルグリは飛び級でエトワールに昇進した人なので、プルミエ・ダンスールであったことはないようです。

P.266 トワイライト・サープ
慣用表記はトワイラ・サープ。本来の綴りもTwyla Tharpなので、トワイライトにはかなり無理が。

P.284 彼は喜びと共にパートナーを務めたアンナ・イワノワを抱きしめたが、~
マリインスキー劇場における『ラ・シルフィード』でヌレエフと共演したのは、ジャンナ・アユポワだったかと。
シルフィードがアユポワでエフィがイワノワだったのでしょうか。複数回公演があった可能性もありますが。

番外

P.294 
いくらヌレエフが自由人でも、TVのインタビューで麻薬の使用を認めたりしないのでは。
これじゃフランスは無法地帯です。
前後の文脈的にこの質問は、「スポットライトの陰で麻薬を服用しているのではないか」でなく「スポットライトはあなたにとって麻薬なのではないか」の方が意味が通ると思います。
でも原文がどうだかわからないし、そもそもフランス語なんぞ読めやしないので、これはほぼ完全に私の言いがかりです。でも気になったので一応。


★これより下は、Telperionさんより頂いた情報の転載です。
 Telperionさん、ありがとうございました!


P.128 "白鳥の湖"などで独自のバージョンを披露し六七年からスウェーデンロイヤルバレエ団を率いていた。
1961年にヌレエフと初めて会った当時のエリック・ブルーンの描写。ブルーンが独自の「白鳥の湖」を上演するのは1967年ごろで未来のことだが、上記の文ではこのことが分からない。スウェーデン・ロイヤル・バレエについては年が書いてあるのでかろうじて未来のことだと分かるが、「スウェーデンロイヤルバレエを率いることになる」といった表現のほうが普通ではなかろうか。

P.150-151 しかし最後の二ヵ所の公演都市サンフランシスコとトロントでは、一連の事件を起こしてしまった。サンフランシスコではヒッピーのパーティに参加し、マーゴットと共に逮捕され、トロントでは警官に足で一撃を加え手錠をかけられ連行された。しかし狙った所に達しなかったと証明されすぐに釈放された。
ヌレエフがトロントで逮捕されたのは1963年、サンフランシスコでフォンテーンと共に逮捕されたのは1967年。トロントでの逮捕理由は路上で踊ったから。

P.170 彼の最良の弁護士であったニゲル・ゴスリング
Nigel Goslingは妻Maude LloydとともにAlexander Blandの名で批評を書き、夫婦でヌレエフを息子のように庇護した。そういう素性を知っていれば、この「弁護士」はヌレエフの擁護者という意味の比喩だろうと想像がつくが、知らない人にはGoslingが職業弁護士としか思えないだろう。

P.176 バイロイトに旅したとき、ルドルフはソヴィエトの海軍兵たちが大勢いる港や海岸をうろついた。
ドイツ内陸部のバイロイトに海岸があるはずがない。Solway本の章"Nureyev and Fonteyn"に"In nearby Beirut he insisted on walking around on his own late at night despite the presence of Soviet ships in the harbor."(近くのベイルートで、港にソ連の船があるにもかかわらず、彼は夜更けに一人で散歩すると言い張った)という記述があり、ベイルートならつじつまが合う。

P.178 その時代"プシコーズ(精神異常)"と"ブラームスはお好き?"の成功でパーキンズはスター俳優であり、
アンソニー・パーキンズの代表作はアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」。またフランソワーズ・サガンの小説「ブラームスはお好き」を原作とするパーキンズ出演映画の邦題は「さよならをもう一度」。

P.184-185 現在ウォール・ポッツは(中略)管理している。
Wallace Pottsは2009年6月29日に病死。原本出版後7年も経ってからの訳本出版なのだから、原本に「現在」とあるのをただ写すのではなく、せめて「訳注:2003年当時」くらい付け加えてほしい。

P.185 ジョージ・バランシンはルドルフがクレオント役を演じた"ル・ブルジョワ"を掲げてニューヨークにやってきた。出演していたアメリカンバレエシアターの生徒たちの中に、ボストン生まれで二三歳の褐色の好青年ロバート・トレイシーがいた。
ヌレエフがクレオントを演じたのは1979年だが、1948年にNew York City Balletを創立したバランシンは、当然ながらすでに何十年もニューヨークを拠点にしている。ニューヨークにやってきたのはヌレエフだろう。
また、トレイシーはバランシンが創立した学校School of American Balletの生徒。そもそもNew York City Balletを率いるバランシンが別のバレエ団であるAmerican Ballet Theatreから出演者を選抜するとは考えにくい。
なお、このバレエのタイトルは"Le Bourgeois Gentilhomme"。初出のときくらいきちんと全部書くか、「町人貴族」と訳すかしてもらいたいところ。

P.215 一九七四年バレエに憧れと情熱を持っていたマーガレット王妃は(後略)
この文はP.202の脚注であるが、P.202には「マーガレット&スノードン大佐夫妻」「マーガレットと娘のサラ」「イギリス王室の恐るべき子どもたち」といった記述があるので、このマーガレットとはイギリス女王エリザベス2世の妹マーガレット王女のこと。エリザベス2世が1952年に即位して以来、イギリスに王妃はいないはず。
ちなみにマーガレット王女の(前)夫はスノードン伯爵と呼ばれ、英語wikipediaを読んでも軍隊に所属していたという記述はない。なぜ「大佐」なのだろうか。

P.254 現職の二名のバレエ教師の一人、エフゲニー・ポリアコフはバレエ団の運営方法を知っています。もう一人のクレール・モット、彼女は施設に詳しい。
Eugene PolyakovとClaire Motteはバレエマスター。バレエ上演の総責任者とかいうことで、パリ・オペラ座バレエの組織内でも5本の指に入る首脳陣。それを「バレエ教師」と呼ぶのはあまりに誤解を招く。

P.263 "シンデレラ"を上演した。それは一九三〇年代にハリウッドで戯曲化された作品の改訂版だった。
ヌレエフ振付「シンデレラ」は1930年代のハリウッドを舞台とし、シンデレラがオーディションに合格して映画スターの仲間入りを果たすというストーリー。DVDも出ているし、2010年にパリ・オペラ座バレエが来日公演しているのだから、日本語の資料に当たるだけでも舞台改変については簡単に分かるはず。

P.264 彼女はクロード・ド・ヴルパンについて話してくれた。「彼は"ロミオとジュリエット"の名場面を再現してくれました(後略)」。
これを読むと「彼」がクロード・ド・ヴルパンを指すと受け取りたくなるが、Claude de Vulpianはヌレエフがパリ・オペラ座バレエにいた当時の女性エトワールなので、この解釈はあり得ない。「後略」とした部分を読む限り、「彼」はヌレエフを指すように見える。原文を読んでいないので断定はできないが、最初の文は本当は「クロード・ド・ヴルピアンが話してくれた」ではないかと強く疑っている。

P.268 ローラン・イレール、シルヴィー・ギエム、イザベル・ゲラン、マニュエル・ルグリ、マリー-クロード・ピエトラガラ、カデ・ベラルビ、シャルル・ジュード、フロレンス・クレール夫妻を昇進させた。
ヌレエフが芸術監督に就任した当時、ジュドとクレールはすでにエトワールなので、これ以上昇進させようがない。
またヌレエフ監督時代はスジェからプルミエールに昇進したにすぎないピエトラガラは、むしろ冷遇されていたように見える。

P.272 オペラ座のコールドバレエ一八〇名中エトワールは男女六名ずつ一二名のみ。
ヌレエフ監督時代の83~89年、エトワールの人数は合計14~18名を推移。2003年はたまたま12名くらいだったらしいが、定員として決まっているわけではない。
またフランス語のcorps de balletはバレエ団全体を指すこともあるようだが、日本語でコールドバレエといえばもっぱら群舞ダンサーのことなので、エトワールをコールドバレエの一部と表現するのは非常に違和感がある。文脈によっては「バレエ団員」などと置き換えたほうが親切かも。

P.282 姉のラジダとその娘たちビクトルとユーリ、リリアの娘、姪のアルフィア
ビクトルとユーリはラジダの息子。リリアの娘がすなわち姪のアルフィアなので、「姉リリアの娘アルフィア」でいいと思う。

P.285 ダンサー、ジャン・ギズリックスの別れの夕べのように、いくつかの公演は奇跡を起こした。
ヌレエフとパトリック・デュポンが定年退職のギゼリクスを送るために「さすらう若人の歌」を踊ったのは、ヌレエフが芸術監督を辞任した後の90年。なのに『光と影』では、辞任前の89年に踊られたように記述している。

P.295 ポリアコフが彼のために書いたバレエ"Il Cappotto(外套)"を上演した。またフレミング・フリンジの"ベニスに死す"を彷彿とさせるバレエを創作した。
ネットで読める英米の新聞記事によると、Flindtは晩年のヌレエフのために「外套」「ヴェニスに死す」を振付けた。「ポリアコフが書いた」とか「『ヴェニスに死す』を彷彿とさせる」とかは事実と合わない。フランス語の動詞creer(最初のeの上にはアクセントのような記号あり)は「創作する」「初演する」の意味があり、原文では後者の意味で使われていたのだろうと想像する。
なお、Flemming Flindtは日本ではフレミング・フリントと呼ばれる。

P.304 芸術文化部門のレジオンドヌール勲章を受け取った。
芸術文化勲章とレジオンドヌール勲章は別。ヌレエフが92年に授与されたのは芸術文化勲章の最高位(Commandeur des Arts et des Lettres)。

P.304 それ(92年10月8日の「ラ・バヤデール」舞台挨拶)が彼の最後の凱旋、最後の外出となった。(中略)十月十日、彼はシャルル・ジュード、フローレンス・クレールと共にサン・バースに向かって飛び立った。
St. Barts行きは外出に入ると思うが、「外出」の原語は何だったのだろうか。(「公の場での露出」という意味の言葉ではないかと勝手に推測)

P.307 チャイコフスキーのアンダンテカンタービレの第一章が流れ
チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレは、弦楽四重奏曲第1番Op.11の第2楽章の通称。1つの曲なので、たとえ冒頭部分の抜粋だったとしても、第1章という呼び方はしない。

P.307 バッハのフーガ一三番の急激な終わり方
1993年1月13日のNew York Timesの記事に「Bach again (the incomplete, suddenly broken-off final fugue from "The Art of the Fugue") 」という記載があることから、このフーガはバッハ作曲「フーガの技法」の未完のフーガ。正式名は「Contrapunctus 14」または「Fuga a 4 Soggetti」らしい。名指ししにくい曲名ではあるが、正しく示したいなら少なくとも「フーガの技法」というキーワードは必要。

P.313 レオニド・マッシーニ プレサージュ
巻末の「ヌレエフがパリ・オペラ座バレエ団に招聘した振付家」リストで1988-1989シーズンにある振付家と作品名。しかしレオニド・マシーンは1979年に死去しているので、招聘されたというのは無理がある。多分マシーンのPresagesがオペラ座初演だったのだろうが、ならリスト名は「ヌレエフのもとでパリ・オペラ座で初演された作品」のようにするべき。

P.313 ダニエル・エズラロー In the Middle Somewhat Elevated
巻末リストの1986-1987シーズンにある振付家と作品名。しかし"In the Middle, Somewhat Elevated"といえば、ウィリアム・フォーサイス振付作品のなかでも特に名高い。パリ・オペラ座バレエの情報が豊富なWeb サイト"Danser en France"によると、フォーサイス振付の"In the Middle, Somewhat Elevated"が世界初演されたのと同じ公演でEzralow振付の"Soon"も世界初演された。たあいのない転記ミス…ですむのか?

P.313-315 オペラ座作成
巻末リストに多数あるが、これは明らかにフランス語の動詞creerの翻訳ミスで、正しくは「オペラ座初演」。

番外:

P.301 ニューヨークポスト紙は(中略)辛口のクリヴ・バルヌさえ
Clive Barnesはこの文だけでも推測できるとおりアメリカの新聞おかかえの批評家(当時)で、英語wikipediaによるとイギリス出身のアメリカ人なのだから、英語発音のクライヴ・バーンズとするほうが自然。誤訳と呼ぶのは強すぎるが、この訳本での人名表記は全般的に行き当たりばったり感が強いので、その例として挙げておく。すでに知っている人が読めばすぐ「ああ、あの人か」と分かる人名表記を心がけるのが読者への気づかいだと思う。

Category : ヌレエフ情報
Posted by ミナモト on  | 11 comments 
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