三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。非常に申し訳ないけど大体リンク切れ

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Posted by ミナモト on  | 

BBC、ヌレエフを題材にしたドラマ制作へ



はい、そういうことです。

ディレクターを務めるレイフ・ファインズは英の実力派俳優。演じる側だけでなく制作にも過去何度か関わっており、これまでの作品には古典文学を題材にしたものが多い模様。今回は少し変わり種と言えるのかも?
彼の手でヌレエフがどんな物語になるのかとても楽しみです。BBCはマーゴ・フォンテインの伝記ドラマも放送してましたね。

ヌレエフを演じるのは一体誰なのか? というところにも注目が集まりそうですが、私は以前も書いたとおり、特別似てなくても踊りが吹き替えでも演技がイマイチでもいいから、とにかく特別な存在感がある人がいいです。
ヌレエフの稀有な人生をフィクションの映像という形で辿るとき、それが一番説得力があると思うんです。


ところでこちらには上陸するのかな(英語難民)

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Category : ヌレエフ情報
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ウィーンのヌレエフ版「白鳥の湖」 新映像

Side B-alletさんで知ったのですが、ウィーン国立バレエによるヌレエフ版白鳥の湖がDVD化されるそうです。
やったー!!
今年3月収録のフレッシュな映像で、クラシカ・ジャパンでも放送予定あり。
木本全優さんや橋本清香さん、玉井ルイさんなど、キャストには日本人ダンサーの名も。

主流のプティパ/イワノフ版とも、パリのヌレエフ版とも大きく違うウィーン版白鳥の湖。
(パリのヌレエフ版は、ストーリー解釈は大胆だけど振付や曲順はこの版と比べるとオーソドックス。
 結構英国ロイヤル風が入ってる)
好きな部分は沢山あるんですが、この映像では黒鳥のヴァリエーションに注目したいです。
パドシスの五番の音楽でイタリアンフェッテをするというちょっと独特な振付で、
美しい舞踏会の陰で恐ろしいことが起こりつつあるという雰囲気があって大好きなんです。
フォンテインの踊りにもまさしく優雅さの裏の凄味があっていいんですが、当時より大胆に脚を上げる現代のダンサーがあれをやったらまた別の迫力があるんだろうなあとずっと思ってたのでとても楽しみ。

もちろん一新された衣裳や舞台美術、そして何より、監督ルグリがヌレエフから受け継いだものを
どのようにウィーンのダンサーに伝えていったかというのも大きな見所。大変うれしい映像リリースです。

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ヌレエフの演じるロットバルト

放心してたら紹介が遅れましたが、twitterで教えてもらった動画です

http://youtu.be/yIpgxJL8qQY

1990年、ミラノ・スカラ座での白鳥の湖(ヌレエフ版)の全幕映像。
配役はジークフリートがシャルル・ジュド、オデット/オディールがイザベル・セアブラ(Isabel Seabra)、
そしてヴォルフガング/ロットバルトがルドルフ・ヌレエフです。

記録用の映像なのか、ほぼ固定カメラで舞台全体を撮影する構成になっています。
ドキュメンタリー「Rudolf Nureyev alla scara」にもヌレエフのロットバルトの映像が出てきますが、それとは別物のようです。

色々書きたいのに言葉が見つからないです ヌレエフのロットバルトというだけで失神ものなのに王子がジュドって……人生の心残りリストが順調に消化されていっててこわい
次はアポロあたり出てこないかな ヌレエフのアポロってバランシンの権利者的にどうなんだろう。


◆ドキドキしてまだ全部見れてないけど自分用メモ

黒鳥のアダージョのあとロットバルトがなにか拾うような仕草をしている。ヌレエフ版にはそういう演出はなかった気がするので(オペラ座のDVDでは確認できない)ただ飾りかなにかが舞台に落ちていたのだろうか。ヌレエフ直々に拾っちゃうんだ!気配りの人!とわけのわからない感動をしました。
あとやっぱりこのロットバルトはヌレエフの役だとしみじみ。今まで別の人が踊るのを見てて、すごくヌレエフっぽい振付だなあと思っていたので、それをヌレエフ本人が踊ってるのが不思議な感じでした。ヌレエフがこれを踊るのは当たり前のことなのに、私にとっては当たり前じゃないので。(順調になにを言っているのかわからない)

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ワルツ「千夜一夜物語」

YouTubeから。1992年のウィーンフィルニューイヤーコンサートの映像です


ヨハン・シュトラウス二世のワルツ「千夜一夜物語」と共に。色っぽいシャリアール王を演じるヌレエフ。
劇中劇?を踊っているのはウィーンのダンサーたちなのかな。

財団公式のシェエラザードの紹介ページでこの映像の存在を知って以来、
見たい見たいと思い続けていたのでとてもうれしいです。
撮影の時期的に、見たら痛々しかったりがっかりするんじゃないかとも考えていたんですが
全然そんなことなかったです。ちょっとしか踊らないけど、すごくきれい。こんなにきれいなのに

バレンチノのシークといい、この手の役をやるとやたら輝くヌレエフなんですが、
なにゆえいちばん肝心の金の奴隷の映像を残してくれなかったのだろう。Tribute to Nijinsky……

せめて写真で見知らぬ往時をしのぶ
goldenslave.jpg

最近の映像などで見る金の奴隷は、わりと男性的で禁断の関係に苦悩してそうな人が多いのですが
初演したニジンスキーの写真や逸話から私が受けるイメージは、両性具有的、あるいは動物的でもあり
小悪魔的な艶めかしさを持った、ハレムで飼われる不思議な生き物です。
ヌレエフならそういう雰囲気を出してくれてたような気がします。というドリーム。


ちなみに原作に出てくる不義を働いた奴隷の名前はサイードくんといって
結構やなやつでしたです

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『光と影』原文比較 5

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
転載元のコメント欄はこちら


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P.42 しかし次の瞬間天を仰いだ。守衛がクラスもオーディションも7日後にならないと始まらないと告げたのだ。
Pour la deuxième fois, il voit le ciel. Il s'avance. Un portier lui apprend que le ciel est fermé et que les cours et auditions ne commencent que dix jours plus tard.
(彼は2度目に天国を見た。彼は前に進み出た。守衛が彼に、天国の門は閉ざされていること、レッスンやオーディションは10日後まで始まらないことを告げた。)

オーディションを受けるべく、キーロフ劇場の前に立ったヌレエフ。cielの最も一般的な意味は「空」だが、空にfermé(閉じられた)という形容は似つかわしくない。cielには「天国」という意味もあり、これがキーロフの比喩なら、ヌレエフがcielを見てから前に進み出ることも、守衛がcielについて教えることも説明が付く。1度目に天国を見たのは生涯初めてバレエを見た日であることは、十分想像できる。

P.43 一八八六年の設立以来、キーロフバレエのサンクトペテルブルグマリンスキー劇場はワガノワ・アカデミーになった後も優秀なダンサーを輩出し、難攻不落の牙城だった。
Installé depuis 1886 au théâtre Mariinski de Saint-Pétersbourg, le Ballet du Kirov, qui forme par l'entremise de l'académie Vaganova les plus grands danseurs russes, a tout d'une citadelle imprenable.
(1886年以来サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場に配置されたキーロフ・バレエは、ワガノワ・アカデミーの仲介でロシア最高のダンサーたちを組織し、さながら難攻不落の砦だった。)

マリインスキー劇場はキーロフ・バレエを擁する歌劇場で、ワガノワ・アカデミーとは別組織。"par l'entremise de l'académie Vaganova "(ワガノワ・アカデミーの仲介で)とは、ワガノワ・アカデミーの卒業生の多くがキーロフ・バレエに入団したことを指す。
マリインスキー劇場のWebサイト(http://www.mariinsky.ru/en/about/)によると、1886年はバレエ団がボリショイ劇場からマリインスキー劇場に移転した年。

P.58 彼は革命以降のどんなに優秀なダンサーよりも傑出し、"ロミオとジュリエット"や"ローレンシア"などの作品はキーロフによって創作され、ボリショイで再演されたのはずっと後になってからだった。
Il est significatif que quelque-uns des meilleurs ballets soviétiques depuis la révolution, comme Roméo et Juliette ou Laurencia, aient été créés par le Kirov et repris par le Bolchoï longtemps aprés.
(「ロミオとジュリエット」や「ローレンシア」など、革命以後最高のソビエトバレエのいくつかはキーロフによって初演され、ずっと後でボリショイによって再演されたというのは意味深長である。)

"Il est significatif que ~"は英語の"It is significant that ~"に当たる構文で、「~だということは意味深長である」。「キーロフのほうがボリショイより自由に芸術を探求できる」というヌレエフの考えの傍証として、この文が書かれている。
訳本では"Il est significatif que ~"を「彼は~より意味がある」と解釈したため、形容詞比較級に必須なplusがsignificantifの前にないのを無視したり、balletsを「ダンサー」に変えたり、いろいろ無理をしている。

P.73 そこではルドルフの存在は注目には値しなかった。
La présence de Rudolf à cette garden-party n'est pas une surprise.
(この園遊会にルドルフが出席するのは驚くことではない。)

surpriseは英語同様「驚き」。「驚きではない」という文字通りの意味、そしてこの文に続く「フルシチョフ夫人はバレエ愛好家」を考え合わせると、「園遊会の主催者がバレエ好きなのだから、ヌレエフが出席するのも不思議はない」という意味合いだと推測できる。「注目に値しない」というとつまらない存在のような印象だが、実際には夫人はヌレエフを熱心に見たはずだし、取り巻きも夫人に合わせてヌレエフに視線を向けていたはず。

P.80 一二〇名のダンサーたちは単純に慣習の持つ力に従って行動していた。何をするにも団体で行う習慣を根絶するには何世代も必要だろう。
« Non pas, comme le soulignera Rudolf lui-même, qu'on eût dit aux cent vingt danseurs de la troupe d'agir ainsi : ils se conduisaient simplement de la sorte par la force de l'habitude, l'habitude qu'on a aujourd'hui dans notre pays de tout faire en groupe, tendance qu'il faudra des générations pour éradiquer. »
(ルドルフ自身が力説するように、「バレエ団のダンサー120名がそうするように言われたわけではない。皆が単にそのように振舞ったのは、習慣の力による。今日の我が国では何事も集団で行うという習慣、根絶するには何世代も要するであろう傾向だ」)

原文では明らかにヌレエフの述懐("Nureyev : An Autography"の引用)だが、訳本ではMeyer-Stableyの記述にされている。ヌレエフの伝記なのだから、ヌレエフの発言はそう明記するべきだと思う。

P.145 この公演では幾度か客席がどよめいた。
Certes les répétitions sont parfois houleuses :
(なるほどリハーサルでは幾度か波乱が生じた。)

répétitionは「稽古、リハーサル」、「公演」はreprésentation。この文の後で、ヌレエフが衣装を自分好みに直したとか、指揮者に注文を付けてフォンテーンがとりなしたとかいう公演前のいざこざが書かれており、それをhouleuses(騒然とした)と呼んでいる。

P.152 彼に言い寄ってくる女性をなすがままにし目の前の男性たちを震え上がらせています。世界中いたる所で押しかけてくる人を自在に操り
il laisse les femmes le courtiser, les hommes frissonner devant lui, il laisse venir à lui le monde tout entier,
(女性に自分を口説かせ、男性に自分の前で身震いさせ、全世界に自分のもとへ来させ、)

"laisser A(目的語) B(不定詞) "は「AにBをさせる」。させる行為はBだけなので、「BするAを好きなようにする」と同じ意味にはならない。

 

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『光と影』原文比較 4

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
転載元のコメント欄はこちら


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P.12 ヌレエフという名前はロシア人の名のように厳格な印象を与えないと思います。
Je ne nous considère pas, nous les Noureev, comme des Russes dans le sens le plus strict du mot.
(我々、つまり我々ヌレエフ家の者が言葉の最も厳密な意味でのロシア人だとは思わない。)

ここでのcommeは「~のように」でなく、イディオム"considèrer A comme B"「AをBだと見なす」の一部。本書を始めロシア人とよく呼ばれるヌレエフだが、この文の後で語るように、自分を厳密なロシア人だとは見なしていないということ。

P.20 音楽は情熱を生み出す母体となり、間違いなく彼の人生を埋め尽くしていった。
Il ne se doute pas alors qu'elle donnera bientôt naissance à l'unique passion qui va emplir sa vie.
(彼の人生を埋め尽くすことになる比類なき情熱が音楽からまもなく生まれるとは、当時の彼は予期していなかった。)

「人生を埋め尽くす(qui va emplir sa vie)」のは『光と影』では音楽のように読めるが、原文では情熱(passion)を修飾している。そしてこの情熱はまだ生まれていないということから、そしてヌレエフに関するいささかの知識があれば、それほどの情熱は音楽に対するものではないと分かる。
"se douter que ~"は「~だと予期する、気づく」。

P.52 レニングラードで出会い、ガールフレンドだったウーファのインナ・グリコーヴァに尋ねてみると、
Sa rencontre à Leningrad avec une ancienne amie d'Oufa, Inna Gickova, va l'amener à s'interroger sur son cas :
(ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとレニングラードで会ったことで、彼は自分のケースについて自問することになる。)

原文には男女両方を指しうる代名詞がいくつかあり、これらが分かるように原文を直訳すると「ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとの彼/彼女の出会いは、彼/彼女が彼/彼女のケースについて自問するようにしむけることになる」。3か所とも彼、ヌレエフと解釈すれば意味が通る文になる。
"s'interroger sur ~"は「~について自問する」。「彼女に尋ねる」なら"l'interroger"のはず。
なお、原本の謝辞を読むと分かるが、Meyer-Stableyは文献にはよく当たっていても、ヌレエフを直接知る関係者にはほとんど取材していない。訳本にはここのほかにも「情報を提供してくれた(P.210)」「話してくれた(P.264)」という表現があるが、Meyer-Stableyが自らインタビューしたかのような印象になるのは感心しない。

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