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三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。非常に申し訳ないけど大体リンク切れ

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Posted by ミナモト on  | 

『光と影』疑問点メモ

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめについて反響頂きありがとうございます。
上記記事では一応自分で「明らかにおかしいのでは?」と指摘できる部分を挙げてみたのですが
(麻薬云々だけ我慢できず)、他にもソース不確かだったり細かなところで疑問に感じる箇所があったので、こちらにそういう部分をまとめてみました。
参考程度にご覧ください。ご意見など頂けたら幸いです。
青字部分は本文あるいは参考資料の引用です

【2011年8月追記】ここにある疑問のほとんどは、Telperionさんによる原文との比較で解決済みです。
原文比較1も併せてご覧ください



★最近の追加分

P.178 理想的な体重を維持し、肩幅は広く小柄で腰は細くエジプトの彫像のような見事な体型だった。
俳優のアンソニー・パーキンスについての文章。どんなに細くて華奢であっても、身長188cmの男性を「小柄」と形容することには若干違和感を覚えます。前後の文章から、パーキンスを指すことは明確ではあるのですが。

P.119 共産主義に共鳴する二〇名ほどが「モスクワに帰れ、タタール人!」とわめいた。
Solway本P.172に同じような記述があるんですが、そこではGroup of French Communist agitators began shouting "Traitor!" and "Go back to Moscow!"となっています。traitorは「反逆者」の意。
「タタール人」でも罵倒としてはおかしくないのですが、原書でもそうなのか訳者の読み違えなのか少し気になります。

P.169 一〇分間待った陛下は既に立ち去ってしまった。その時期"王様と私"の公演を終えたばかりのヌレエフは侮辱を受けたのを気にかけた様子だった。
ヌレエフが買い物に夢中でスペイン国王との謁見に遅刻した話。この場合「侮辱を受けた」のは国王だと思うのですが、いまいち要領を得ない文章です。

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P.142 映画で黒鳥を踊る十九歳のブルーンを見たヌレエフは、
黒鳥ではなくせめて『黒鳥のパ・ド・ドゥ』の方がいいのでは。それに、ブルーンが19歳の頃の映像が存在し、それをヌレエフが見ることが出来たという状況にちょっと違和感。J・パーシヴァル著の『ヌレエフ 芸術と半生』によると、ABTがソビエト巡業に訪れた際その公演を見ることが出来なかったヌレエフは、友人に頼み公演の様子を8ミリフィルムで撮影してもらったらしい。そのときのことを言っているのだとすれば、19歳だったのはブルーンではなくヌレエフでは? しかしABTのソビエト公演は1960年のことなので、それはそれで年齢の計算が合わない。

P.151 「マーゴット、君は僕がどこにいても幸せだったことなんて一度もなかったのを知っているじゃないか」
マーゴ・フォンテーンの自伝(湯川京子訳/文化出版局)では「マーゴ、ぼくはもうよそで幸せになれない」。言ってることは間違ってないのかもしれないけど、大分ニュアンスが違って見えるのが気になる。
それと細かいことですが、上記自伝の訳者あとがきによると、フォンテーンは自分の名の発音は「マーゴット」ではなく「マーゴ」であると主張してるそうです。

P.195 ザーリスム
検索しても出てこない謎の言葉。たぶんツァーリズムtsarism

P.204 ブルーエンジェル
ディートリッヒ主演のドイツ映画Der blaue Engelのことだろうけど、邦題『嘆きの天使』のほうが通りがいいと思う。

P.233 ヴァレンチノは唇がつりあがりもじゃもじゃ眉毛で、背を高く見せるためにヒールのある靴を履き、太った体をコルセットで締め付けていたが、ロシアのエトワールはスクリーンでそのモデルのように醜くは演じなかった。
そこまで言うことないのでは。フランスではそんな認識? 
ていうか眉毛と身長は普通にヌレエフのことかと思いましたスミマセン

P.247 フランソワーズ・サガンはある番組で、
ここで引用されているのは、サガンがヌレエフと会ったときの事を書いた随筆の一部(日本では新潮文庫『私自身のための優しい回想』に収録)。なぜ「番組」?。元はテレビ番組のための取材だったという可能性もありますが

P.302 「(前略)食事の最中に彼はひどい吐き気に教われました。一緒に食卓を囲み状況の深刻さを知らない人たちは爆笑しましたが、(後略)」
パトリック・デュポンの回想。割とひどい。
でもデュポンの自伝『パリのエトワール』(林修訳/新書館)の記述では「公演後、彼をかこんでスタッフ一同が会食をしていたとき、急に彼が強い吐き気に苦しみだし、レストラン中が大混乱となった」。……大分話が違う。自伝の方が正しかったらいいんですが。

P.307
ヌレエフの葬儀の様子が書かれており、ロシア正教の十字架がどうのこうのなどと記述があるのですが、ヌレエフは正教徒ではないのでお墓にそういうモニュメントはありません(って財団公式サイトに書いてあった)。埋葬されたのがロシア人墓地だから、葬儀だけはロシア正教式でやったのでしょうか。あの綺麗なモザイクの墓標が置かれたのは葬儀から大分あとだったはずなので(ソース失念)それまで仮にロシア正教式のお墓を立てていた、とか?

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Category : ヌレエフ情報
Posted by ミナモト on  | 8 comments 
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