三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。作品リスト、伝記原文比較等

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Posted by ミナモト on  | 

続・フレディとヌレエフ

図書館で借りたり母から強奪したりして、フレディ・マーキュリーの本を読んでいます。
別にフレさんの私生活にはさほど興味はなくて、ヌレエフとの関係についてもう少し知りたいなと思ってのことだったのですが(あれ、結局私生活だわ)、最後まで読んだらとっても凹んでしまいました。この人ももういないんですね。わかっちゃいたけど。
次はちゃんと生きてて元気で活きのいい人を好きになりたいと思います。できたらね。

それはともかく、大問題。

 ここで、いささかゴシップ・ネタではあるが、吹聴されているフレディの噂について正しておきたい。フレディはルドルフ・ヌレエフとは何の関係もなかった。ふたりはただ単にバルセロナで同じ日に同じ舞台に立ったというだけだ。もしフレディが本当にヌレエフと一夜を過ごすようなことをしていたら、いても立ってもいられなくてみんなにしゃべりまくっていただろう。互いにタイプではなかったのだ。
(引用元:『フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ』
 ピーター・フリーストーン著・デヴィッド・エヴァンズ協力・田中雅子訳/DHC)

DHCって、こんな本も出していたのね……ってそうじゃなくて、何の関係もなかったってなんですか。
かなり情熱的な関係を持っていて二人で何時間も電話で話しててヌレエフはフレディが亡くなったとき側にいて、フレディのいた大きなホールで泣いていたんじゃなかったんですか……!?
(出典:すべて『ヌレエフ―20世紀バレエの神髄 光と影』ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)

でも上記のフレディの伝記の著者は、約10年間フレディのパーソナル・アシスタントを務め
フレディと公私ともに深く関わっていた人なので、かなり信憑性がありそうなのです。
さらに、私はまず「関係なかったって、性的関係がなかったってことかな」と思ったのですが、二人がただの友人だったと考えてもどうもおかしい気がします。
フレディの伝記と照らし合わせてみると、『光と影』の記述には相当の違和感があります。本によって多少描写が違いますが、フレディはごく近しい少数の人々に看取られて亡くなっていて、そこにはどうやらヌレエフはいなかったらしいのです。ちなみにフリーストーンもフレディを見送った一人です。
フレディが亡くなる前には多くの友人たちがお見舞いに来たそうですが、そういった人たちの中にもヌレエフは見当たりません。葬儀の場でも同様です。彼ほどの有名人が現れれば、必ず報道されるか人の口の端に上ると思うのですが……。
ヌレエフは一体、いつ、どこの「フレディのいた大きなホール」で泣いたのでしょうか?

『光と影』でフレディとヌレエフの仲について語っているのは、ユーリ・マチュー・リュンチュとレトウィック・ホワイトカー。「私はフレディのいた大きなホールで泣きました」というのは、ホワイトカーが受け取ったヌレエフ本人からの手紙に書いてあったことだそうですが、本当のところはどうなのでしょう。
フリーストーンの言葉を信じるなら、もしかしたらほとんど面識がなかったかもしれない二人。
大のバレエファンであったフレディは、ヌレエフに興味を持っていたでしょうが……。
(インタビューで何度か名前出してるし)
ミステリーです。

『ヌレエフ―20世紀バレエの神髄 光と影』には、誤った記述がかなり多いようです。
前からちらほら怪しいところを見つけてはいたのですが、そんなに致命的なものでもないかと思って根が適当な私はスルーしていました。
しかし、先日コメントで私の気づいていなかった間違い(結構深刻)を教えていただいたり、さらに今回この件を知ったりしたので、やっぱりおかしい部分は指摘しなければいけないかなと思いました。
他にもとても気になっているところがあるので、いずれブログで取り上げたいと思います。


これ以上探偵ごっこ(どちらかというとゴシップ記者の真似事)をしていても仕方がないので、
ボヘミアン・ラプソディでも聴きながら寝ます。にゃんにゃんにゃにゃーん。
今回いろいろ調べましたが、「互いにタイプではなかったのだ」にある意味一番納得しました。
言われてみればそうだ。

Category : ヌレエフ情報
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