三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。作品リスト、伝記原文比較等

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Posted by ミナモト on  | 

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめ

2010年9月に、日本語版のルドルフ・ヌレエフの伝記
『ヌレエフ―20世紀バレエの神髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)
が発売されました。
日本では長らくヌレエフの伝記が発行されていなかったため、特にオペラ座芸術監督就任以降の記録や業績を調べることがなかなか困難でした。今まで日本で知られていなかったヌレエフの人生を紹介した本書の出版は、大変価値ある、喜ばしいことだったと思います。

しかし、ひとつ残念なことが……。
この本には、明らかに間違いと見られる記述がとても多いのです。
どんな資料にも些細な間違いはあったりするので、最初は読み流していたのですが
量・質的にも、見過ごせないような間違いが多々あると感じました。

バレエファンならすぐわかるような間違いもありますが、あまり知識のない人だって手に取る可能性のある本です。
そういう方にこそ、ヌレエフのこと、バレエのことをできるだけ正確に知ってほしいのですが……。
私自身、本書で今まで知らなかったヌレエフに触れることができてとても嬉しいと思っているので、複雑です。

この記事に、私が気付いた分の間違いをまとめてみました。
一部に閲覧者の方の助けを頂いた部分もありますが、文責はすべて私にあります。
間違いやお気付きの点などがありましたらご連絡ください。
ご協力くださった皆様には心よりお礼申し上げます。

光と影関連記事をすべて表示(詳細な原文比較などがあります)

青字部分は本文からの引用です

P.126
マリア・タルチフ(Maria Tallchief)の父親が「インド人」とされていますが、正しくはネイティヴ・アメリカン。

P.135 “魔法の詩”というタイトルに惹かれ個人的なものを表現してみようと思ったからです。自分を悲劇的と思っていたわけではなく、
このエピソードは『ヌレエフ 芸術と半生』(J・パーシヴァル著)にも載っていますが、そちらではタイトルが『魔法の詩』ではなく『悲劇的詩』となっています。作曲家はスクリャービンとのことなので、おそらく悲劇的詩曲Poeme tragique Op.34でしょう。『魔法の詩』では後半部分と文脈が繋がりません。また、そのような邦題のスクリャービンの楽曲は見当たらないようです。

P.182
ヌレエフとフレディ・マーキュリーの恋愛関係について詳述されていますが、フレディのパーソナル・アシスタントであったピーター・フリーストーンは自著で彼らの関係を否定しています。
ヌレエフ達が互いの関係をひた隠しにしていたか、フリーストーンが嘘を書いている可能性もありますが、「一九九一年マーキュリーが逝去したとき、ヌレエフは彼に寄り添っていた」という記述とは裏腹に、ヌレエフがフレディの病床に訪れたり葬儀に現れたりしたという記録は見つかりません。くわしくはこちらの記事参照。
誰かが嘘をついているのは確実なのですが、藪の中ですね。ちなみにヌレエフのマネージャーのLuigi Pignotti氏も2人の関係を否定しているようです。

P.210 ギレーヌ・テスマーはロシアのプリマの中でも叙情的なバレリーナだった。
ギレーヌ・テスマーは中国生まれのフランス人。

P.212 ベジャールのおかげでルドルフと記念すべき“さまよえるオランダ人の歌”で共演したパオロ・ボルトルッチは~
ヌレエフとボルトルッチが初演したベジャール作品のタイトルは『さすらう若者の歌』(Le chant du compagnon errant)。

P.234P.239で、Michelle Phillipsの日本語表記が「ミシェル・フィリップス」だったり「マイケル・フィリップ」になったり。
人名表記の揺らぎは他にもたくさんあるのですが、これはさすがに混乱しました。

P.213 ヌレエフは彼の末っ子に、“ランチをしに家まで来る気はないか”と尋ねるメッセージを渡してもらった。
この時点では、ヌレエフはもちろんバリシニコフにも子供はいないと思うのですが、何かの誤訳?

P.247 振付家はそれぞれマッシーニ、フォーキン、ニジンスキー、フォーキンで、ドラン・バクスト・ブノワによるオリジナルの装置が使われた。
これでは「ドラン・バクスト・ブノワ」がひとりの人間のよう。それぞれアンドレ・ドランとレオン・バクストとアレクサンドル・ブノワですね。あと、Léonide Massineをマッシーニと表記するのは国内では一般的ではない気が。本書の中では「マンシーニ」という表記もありさらに混乱を誘います……

P.260 プルミエ・ダンスールに配属されていたマニュエル・ルグリのエトワール指名も~
ルグリは飛び級でエトワールに昇進した人なので、プルミエ・ダンスールであったことはないようです。

P.266 トワイライト・サープ
慣用表記はトワイラ・サープ。本来の綴りもTwyla Tharpなので、トワイライトにはかなり無理が。

P.284 彼は喜びと共にパートナーを務めたアンナ・イワノワを抱きしめたが、~
マリインスキー劇場における『ラ・シルフィード』でヌレエフと共演したのは、ジャンナ・アユポワだったかと。
シルフィードがアユポワでエフィがイワノワだったのでしょうか。複数回公演があった可能性もありますが。

番外

P.294 
いくらヌレエフが自由人でも、TVのインタビューで麻薬の使用を認めたりしないのでは。
これじゃフランスは無法地帯です。
前後の文脈的にこの質問は、「スポットライトの陰で麻薬を服用しているのではないか」でなく「スポットライトはあなたにとって麻薬なのではないか」の方が意味が通ると思います。
でも原文がどうだかわからないし、そもそもフランス語なんぞ読めやしないので、これはほぼ完全に私の言いがかりです。でも気になったので一応。


★これより下は、Telperionさんより頂いた情報の転載です。
 Telperionさん、ありがとうございました!


P.128 "白鳥の湖"などで独自のバージョンを披露し六七年からスウェーデンロイヤルバレエ団を率いていた。
1961年にヌレエフと初めて会った当時のエリック・ブルーンの描写。ブルーンが独自の「白鳥の湖」を上演するのは1967年ごろで未来のことだが、上記の文ではこのことが分からない。スウェーデン・ロイヤル・バレエについては年が書いてあるのでかろうじて未来のことだと分かるが、「スウェーデンロイヤルバレエを率いることになる」といった表現のほうが普通ではなかろうか。

P.150-151 しかし最後の二ヵ所の公演都市サンフランシスコとトロントでは、一連の事件を起こしてしまった。サンフランシスコではヒッピーのパーティに参加し、マーゴットと共に逮捕され、トロントでは警官に足で一撃を加え手錠をかけられ連行された。しかし狙った所に達しなかったと証明されすぐに釈放された。
ヌレエフがトロントで逮捕されたのは1963年、サンフランシスコでフォンテーンと共に逮捕されたのは1967年。トロントでの逮捕理由は路上で踊ったから。

P.170 彼の最良の弁護士であったニゲル・ゴスリング
Nigel Goslingは妻Maude LloydとともにAlexander Blandの名で批評を書き、夫婦でヌレエフを息子のように庇護した。そういう素性を知っていれば、この「弁護士」はヌレエフの擁護者という意味の比喩だろうと想像がつくが、知らない人にはGoslingが職業弁護士としか思えないだろう。

P.176 バイロイトに旅したとき、ルドルフはソヴィエトの海軍兵たちが大勢いる港や海岸をうろついた。
ドイツ内陸部のバイロイトに海岸があるはずがない。Solway本の章"Nureyev and Fonteyn"に"In nearby Beirut he insisted on walking around on his own late at night despite the presence of Soviet ships in the harbor."(近くのベイルートで、港にソ連の船があるにもかかわらず、彼は夜更けに一人で散歩すると言い張った)という記述があり、ベイルートならつじつまが合う。

P.178 その時代"プシコーズ(精神異常)"と"ブラームスはお好き?"の成功でパーキンズはスター俳優であり、
アンソニー・パーキンズの代表作はアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」。またフランソワーズ・サガンの小説「ブラームスはお好き」を原作とするパーキンズ出演映画の邦題は「さよならをもう一度」。

P.184-185 現在ウォール・ポッツは(中略)管理している。
Wallace Pottsは2009年6月29日に病死。原本出版後7年も経ってからの訳本出版なのだから、原本に「現在」とあるのをただ写すのではなく、せめて「訳注:2003年当時」くらい付け加えてほしい。

P.185 ジョージ・バランシンはルドルフがクレオント役を演じた"ル・ブルジョワ"を掲げてニューヨークにやってきた。出演していたアメリカンバレエシアターの生徒たちの中に、ボストン生まれで二三歳の褐色の好青年ロバート・トレイシーがいた。
ヌレエフがクレオントを演じたのは1979年だが、1948年にNew York City Balletを創立したバランシンは、当然ながらすでに何十年もニューヨークを拠点にしている。ニューヨークにやってきたのはヌレエフだろう。
また、トレイシーはバランシンが創立した学校School of American Balletの生徒。そもそもNew York City Balletを率いるバランシンが別のバレエ団であるAmerican Ballet Theatreから出演者を選抜するとは考えにくい。
なお、このバレエのタイトルは"Le Bourgeois Gentilhomme"。初出のときくらいきちんと全部書くか、「町人貴族」と訳すかしてもらいたいところ。

P.215 一九七四年バレエに憧れと情熱を持っていたマーガレット王妃は(後略)
この文はP.202の脚注であるが、P.202には「マーガレット&スノードン大佐夫妻」「マーガレットと娘のサラ」「イギリス王室の恐るべき子どもたち」といった記述があるので、このマーガレットとはイギリス女王エリザベス2世の妹マーガレット王女のこと。エリザベス2世が1952年に即位して以来、イギリスに王妃はいないはず。
ちなみにマーガレット王女の(前)夫はスノードン伯爵と呼ばれ、英語wikipediaを読んでも軍隊に所属していたという記述はない。なぜ「大佐」なのだろうか。

P.254 現職の二名のバレエ教師の一人、エフゲニー・ポリアコフはバレエ団の運営方法を知っています。もう一人のクレール・モット、彼女は施設に詳しい。
Eugene PolyakovとClaire Motteはバレエマスター。バレエ上演の総責任者とかいうことで、パリ・オペラ座バレエの組織内でも5本の指に入る首脳陣。それを「バレエ教師」と呼ぶのはあまりに誤解を招く。

P.263 "シンデレラ"を上演した。それは一九三〇年代にハリウッドで戯曲化された作品の改訂版だった。
ヌレエフ振付「シンデレラ」は1930年代のハリウッドを舞台とし、シンデレラがオーディションに合格して映画スターの仲間入りを果たすというストーリー。DVDも出ているし、2010年にパリ・オペラ座バレエが来日公演しているのだから、日本語の資料に当たるだけでも舞台改変については簡単に分かるはず。

P.264 彼女はクロード・ド・ヴルパンについて話してくれた。「彼は"ロミオとジュリエット"の名場面を再現してくれました(後略)」。
これを読むと「彼」がクロード・ド・ヴルパンを指すと受け取りたくなるが、Claude de Vulpianはヌレエフがパリ・オペラ座バレエにいた当時の女性エトワールなので、この解釈はあり得ない。「後略」とした部分を読む限り、「彼」はヌレエフを指すように見える。原文を読んでいないので断定はできないが、最初の文は本当は「クロード・ド・ヴルピアンが話してくれた」ではないかと強く疑っている。

P.268 ローラン・イレール、シルヴィー・ギエム、イザベル・ゲラン、マニュエル・ルグリ、マリー-クロード・ピエトラガラ、カデ・ベラルビ、シャルル・ジュード、フロレンス・クレール夫妻を昇進させた。
ヌレエフが芸術監督に就任した当時、ジュドとクレールはすでにエトワールなので、これ以上昇進させようがない。
またヌレエフ監督時代はスジェからプルミエールに昇進したにすぎないピエトラガラは、むしろ冷遇されていたように見える。

P.272 オペラ座のコールドバレエ一八〇名中エトワールは男女六名ずつ一二名のみ。
ヌレエフ監督時代の83~89年、エトワールの人数は合計14~18名を推移。2003年はたまたま12名くらいだったらしいが、定員として決まっているわけではない。
またフランス語のcorps de balletはバレエ団全体を指すこともあるようだが、日本語でコールドバレエといえばもっぱら群舞ダンサーのことなので、エトワールをコールドバレエの一部と表現するのは非常に違和感がある。文脈によっては「バレエ団員」などと置き換えたほうが親切かも。

P.282 姉のラジダとその娘たちビクトルとユーリ、リリアの娘、姪のアルフィア
ビクトルとユーリはラジダの息子。リリアの娘がすなわち姪のアルフィアなので、「姉リリアの娘アルフィア」でいいと思う。

P.285 ダンサー、ジャン・ギズリックスの別れの夕べのように、いくつかの公演は奇跡を起こした。
ヌレエフとパトリック・デュポンが定年退職のギゼリクスを送るために「さすらう若人の歌」を踊ったのは、ヌレエフが芸術監督を辞任した後の90年。なのに『光と影』では、辞任前の89年に踊られたように記述している。

P.295 ポリアコフが彼のために書いたバレエ"Il Cappotto(外套)"を上演した。またフレミング・フリンジの"ベニスに死す"を彷彿とさせるバレエを創作した。
ネットで読める英米の新聞記事によると、Flindtは晩年のヌレエフのために「外套」「ヴェニスに死す」を振付けた。「ポリアコフが書いた」とか「『ヴェニスに死す』を彷彿とさせる」とかは事実と合わない。フランス語の動詞creer(最初のeの上にはアクセントのような記号あり)は「創作する」「初演する」の意味があり、原文では後者の意味で使われていたのだろうと想像する。
なお、Flemming Flindtは日本ではフレミング・フリントと呼ばれる。

P.304 芸術文化部門のレジオンドヌール勲章を受け取った。
芸術文化勲章とレジオンドヌール勲章は別。ヌレエフが92年に授与されたのは芸術文化勲章の最高位(Commandeur des Arts et des Lettres)。

P.304 それ(92年10月8日の「ラ・バヤデール」舞台挨拶)が彼の最後の凱旋、最後の外出となった。(中略)十月十日、彼はシャルル・ジュード、フローレンス・クレールと共にサン・バースに向かって飛び立った。
St. Barts行きは外出に入ると思うが、「外出」の原語は何だったのだろうか。(「公の場での露出」という意味の言葉ではないかと勝手に推測)

P.307 チャイコフスキーのアンダンテカンタービレの第一章が流れ
チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレは、弦楽四重奏曲第1番Op.11の第2楽章の通称。1つの曲なので、たとえ冒頭部分の抜粋だったとしても、第1章という呼び方はしない。

P.307 バッハのフーガ一三番の急激な終わり方
1993年1月13日のNew York Timesの記事に「Bach again (the incomplete, suddenly broken-off final fugue from "The Art of the Fugue") 」という記載があることから、このフーガはバッハ作曲「フーガの技法」の未完のフーガ。正式名は「Contrapunctus 14」または「Fuga a 4 Soggetti」らしい。名指ししにくい曲名ではあるが、正しく示したいなら少なくとも「フーガの技法」というキーワードは必要。

P.313 レオニド・マッシーニ プレサージュ
巻末の「ヌレエフがパリ・オペラ座バレエ団に招聘した振付家」リストで1988-1989シーズンにある振付家と作品名。しかしレオニド・マシーンは1979年に死去しているので、招聘されたというのは無理がある。多分マシーンのPresagesがオペラ座初演だったのだろうが、ならリスト名は「ヌレエフのもとでパリ・オペラ座で初演された作品」のようにするべき。

P.313 ダニエル・エズラロー In the Middle Somewhat Elevated
巻末リストの1986-1987シーズンにある振付家と作品名。しかし"In the Middle, Somewhat Elevated"といえば、ウィリアム・フォーサイス振付作品のなかでも特に名高い。パリ・オペラ座バレエの情報が豊富なWeb サイト"Danser en France"によると、フォーサイス振付の"In the Middle, Somewhat Elevated"が世界初演されたのと同じ公演でEzralow振付の"Soon"も世界初演された。たあいのない転記ミス…ですむのか?

P.313-315 オペラ座作成
巻末リストに多数あるが、これは明らかにフランス語の動詞creerの翻訳ミスで、正しくは「オペラ座初演」。

番外:

P.301 ニューヨークポスト紙は(中略)辛口のクリヴ・バルヌさえ
Clive Barnesはこの文だけでも推測できるとおりアメリカの新聞おかかえの批評家(当時)で、英語wikipediaによるとイギリス出身のアメリカ人なのだから、英語発音のクライヴ・バーンズとするほうが自然。誤訳と呼ぶのは強すぎるが、この訳本での人名表記は全般的に行き当たりばったり感が強いので、その例として挙げておく。すでに知っている人が読めばすぐ「ああ、あの人か」と分かる人名表記を心がけるのが読者への気づかいだと思う。

Category : ヌレエフ情報
Posted by ミナモト on  | 11 comments 

-11 Comments

mine says..."No title"
お風邪はいかがですか?完全復活?
ギレーヌ・テスマー、私好きですね。北京生まれ、その後キューバ、インド、モロッコ、パリのコンセルヴァトワールでバレエを学び、各国のバレエ団で踊った後、72年、オペラ座で「ラ・シルフィード」を踊って、そのままエトワールになったとか。ピエール・ラコットと結婚。フランス人です!はい!ヌレエフとの映像は「マルコ・スパダ」しか残ってないのかなあ。お城を持っているんですって!
2011.01.21 | URL | #- [edit]
ミナモト@管理人 says..."No title"
mineさま、こんにちは! ギレーヌ・テスマーの詳細ありがとうございます。
やっぱりフランスの方ですよね。それにしても、ものすごい国際人の上にお城をお持ちだなんて、スケールが大きいです。

コメント頂いたあとで自分でも調べてみたのですが、ヌレエフとは5つしか歳が違わないと知って驚きました。とても可憐だったので、『マルコ・スパダ』では違和感なく親子に見えてました。
『ラ・シルフィード』のDVDも出ているようですが、オーロラなどの姫役も似合いそうですね。
でも今のところ、他にはヌレエフと踊ってる映像は見つかりませんでした。
全幕は無理でも、抜粋ならどこかに残っていてもおかしくないと思いますけど…。

体調の方、ご心配おかけしました。前ほどたくさんは更新できないかもしれませんが、またいらしてくれたら嬉しいです^-^
2011.01.24 | URL | #CofySn7Q [edit]
Telperion says..."No title"
初めまして。今年になっていきなり、「ヌレエフという伝説的ダンサーの芸術監督就任により黄金時代を迎えたパリ・オペラ座バレエ団」に興味を持ち、いろいろネットで検索しているうちにこちらにたどりつきました。2月末の怪しいアクセス、大いに心当たりがあります(笑)。

『ヌレエフ―20世紀バレエの神髄 光と影』はつい最近本屋で見つけ、知った名前がいろいろあるので買ってから読みました。ヌレエフの人生についてまとまった文献を読むのは初めてで新鮮な体験でしたが、手放しでほめることはできませんでした。同じような思いの方にここで出会えて、思わず私も吐き出したくなってしまいました。私が見つけた変な部分は書いたら長くなったので、別コメントで書かせてください。まだありそうな気がしますが、丹念に探すのは大変なのでとりあえず一区切り。

この原本、ヌレエフ財団サイトの紹介では「電話で聞いたことやあちこちの情報、色々なヌレエフ本の寄せ集め。プライベートに重点を置いている」とそっけない扱いです。訳者が「ヌレエフの生涯を日本に紹介するのが自分の使命のように思えた」と語っているWebサイトを見かけましたが、そのためにこの本を選ぶ必然性があるのか、ヌレエフのスキャンダルばかり印象に残る本なら存在しなくてもよくないか、ともやもやしています。翻訳も「原文でも本当にそう書いてあるんだろうか」と思うことがよくあります。原本を取り寄せて比較するほどの気力はありませんが。スポットライトの麻薬うんぬん、ミナモトさんがおっしゃるとおりに思えます。

現在、「もっと正確な本を探したほうがいいんじゃないか?」と思って、Diane Solwayによる伝記とJulie Kavanaghによる伝記をイギリスと日本のアマゾンの「なか見!検索」でかじり読みしている最中です。この2冊に興味を持つきっかけになったことが、私にとって『光と影』の最大の功績ですね。

Kavanagh本はヌレエフ財団一押しのようですが、アマゾンレビューや英語のバレエ掲示板で「引用文の情報源をしばしば明確に書かない」「性生活描写が多すぎ」「ヌレエフへの好意も敬意もない」などとも言われています。それでもダンサー論や作品論も多く、読みごたえはありそうです。

Solway本はセクシャルな話をくどくど書かない穏当な筆致のようで、Kavanagh本より好きという感想をよく見ました。日本アマゾンで注文しましたが、「一時的に在庫切れ」状態なので手に入るかどうか不安です。
2011.03.06 | URL | #lAnR/NdU [edit]
Telperion says..."『光と影』おかしなところ"
P.184-185 現在ウォール・ポッツは(中略)管理している。

Wallace Pottsは2009年6月29日に病死。原本出版後7年も経ってからの訳本出版なのだから、原本に「現在」とあるのをただ写すのではなく、せめて「訳注:2003年当時」くらい付け加えてほしい。

P.254 現職の二名のバレエ教師の一人、エフゲニー・ポリアコフはバレエ団の運営方法を知っています。もう一人のクレール・モット、彼女は施設に詳しい。

Eugene PolyakovとClaire Motteはバレエマスター。バレエ上演の総責任者とかいうことで、パリ・オペラ座バレエの組織内でも5本の指に入る首脳陣。それを「バレエ教師」と呼ぶのはあまりに誤解を招く。

P.264 彼女はクロード・ド・ヴルパンについて話してくれた。「彼は"ロミオとジュリエット"の名場面を再現してくれました(後略)」。

これを読むと「彼」がクロード・ド・ヴルパンを指すと受け取りたくなるが、Claude de Vulpianはヌレエフがパリ・オペラ座バレエにいた当時の女性エトワールなので、この解釈はあり得ない。「後略」とした部分を読む限り、「彼」はヌレエフを指すように見える。原文を読んでいないので断定はできないが、最初の文は本当は「クロード・ド・ヴルピアンが話してくれた」ではないかと強く疑っている。

P.268 ローラン・イレール、シルヴィー・ギエム、イザベル・ゲラン、マニュエル・ルグリ、マリー-クロード・ピエトラガラ、カデ・ベラルビ、シャルル・ジュード、フロレンス・クレール夫妻を昇進させた。

ヌレエフが芸術監督に就任した当時、ジュドとクレールはすでにエトワールなので、これ以上昇進させようがない。
またヌレエフ監督時代はスジェからプルミエールに昇進したにすぎないピエトラガラは、むしろ冷遇されていたように見える。

P.272 オペラ座のコールドバレエ一八〇名中エトワールは男女六名ずつ一二名のみ。

ヌレエフ監督時代の83~89年、エトワールの人数は合計14~18名を推移。2003年はたまたま12名くらいだったらしいが、定員として決まっているわけではない。
またフランス語のcorps de balletはバレエ団全体を指すこともあるようだが、日本語でコールドバレエといえばもっぱら群舞ダンサーのことなので、エトワールをコールドバレエの一部と表現するのは非常に違和感がある。文脈によっては「バレエ団員」などと置き換えたほうが親切かも。

P.285 ダンサー、ジャン・ギズリックスの別れの夕べのように、いくつかの公演は奇跡を起こした。

ヌレエフとパトリック・デュポンが定年退職のギゼリクスを送るために「さすらう若人の歌」を踊ったのは、ヌレエフが芸術監督を辞任した後の90年。なのに『光と影』では、辞任前の89年に踊られたように記述している。

P.295 ポリアコフが彼のために書いたバレエ"Il Cappotto(外套)"を上演した。またフレミング・フリンジの"ベニスに死す"を彷彿とさせるバレエを創作した。

ネットで読める英米の新聞記事によると、Flindtは晩年のヌレエフのために「外套」「ヴェニスに死す」を振付けた。「ポリアコフが書いた」とか「『ヴェニスに死す』を彷彿とさせる」とかは事実と合わない。フランス語の動詞creer(最初のeの上にはアクセントのような記号あり)は「創作する」「初演する」の意味があり、原文では後者の意味で使われていたのだろうと想像する。
なお、Flemming Flindtは日本ではフレミング・フリントと呼ばれる。

P.299 ジュリーニやメータ、ソルテイ、アッバードたち

名指揮者が列挙されているが、このうち3番目はGeorg Soltiと思われ、日本語表記はゲオルグ・ショルティ(ハンガリー出身なのでこの発音らしい)。この指揮者をソルテイとかソルティとか呼ぶ日本のクラシック音楽ファンは皆無だろう。

P.304 芸術文化部門のレジオンドヌール勲章を受け取った。

芸術文化勲章とレジオンドヌール勲章は別。ヌレエフが92年に授与されたのは芸術文化勲章の最高位(Commandeur des Arts et des Lettres)。

P.304 それ(92年10月8日の「ラ・バヤデール」舞台挨拶)が彼の最後の凱旋、最後の外出となった。(中略)十月十日、彼はシャルル・ジュード、フローレンス・クレールと共にサン・バースに向かって飛び立った。

St. Barts行きは外出に入ると思うが、「外出」の原語は何だったのだろうか。(「公の場での露出」という意味の言葉ではないかと勝手に推測)

番外:

P.301 ニューヨークポスト紙は(中略)辛口のクリヴ・バルヌさえ

Clive Barnesはこの文だけでも推測できるとおりアメリカの新聞おかかえの批評家(当時)で、英語wikipediaによるとイギリス出身のアメリカ人なのだから、英語発音のクライヴ・バーンズとするほうが自然。誤訳と呼ぶのは強すぎるが、この訳本での人名表記は全般的に行き当たりばったり感が強いので、その例として挙げておく。すでに知っている人が読めばすぐ「ああ、あの人か」と分かる人名表記を心がけるのが読者への気づかいだと思う。
2011.03.06 | URL | #lAnR/NdU [edit]
Telperion says..."『光と影』おかしなところその2"
すみません、さらに追加します。なんかもう、「ヌレエフのバレエ界への寄与を伝えたいと称するなら、振付作品の概要くらい知ってください! セレブと付き合うセレブなヌレエフが大好きなら、交友相手の身分くらい調べてください!」と叫びたい。

P.215 一九七四年バレエに憧れと情熱を持っていたマーガレット王妃は(後略)

この文はP.202の脚注であるが、P.202には「マーガレット&スノードン大佐夫妻」「マーガレットと娘のサラ」「イギリス王室の恐るべき子どもたち」といった記述があるので、このマーガレットとはイギリス女王エリザベス2世の妹マーガレット王女のこと。エリザベス2世が1952年に即位して以来、イギリスに王妃はいないはず。
ちなみにマーガレット王女の(前)夫はスノードン伯爵と呼ばれ、英語wikipediaを読んでも軍隊に所属していたという記述はない。なぜ「大佐」なのだろうか。

P.263 "シンデレラ"を上演した。それは一九三〇年代にハリウッドで戯曲化された作品の改訂版だった。

ヌレエフ振付「シンデレラ」は1930年代のハリウッドを舞台とし、シンデレラがオーディションに合格して映画スターの仲間入りを果たすというストーリー。DVDも出ているし、2010年にパリ・オペラ座バレエが来日公演しているのだから、日本語の資料に当たるだけでも舞台改変については簡単に分かるはず。
2011.03.07 | URL | #lAnR/NdU [edit]
ミナモト@管理人 says..."No title"
Telperionさま、はじめまして。
『光と影』の記述について、詳細な解説ありがとうございます。
何かおかしいと思いつつ不勉強ゆえ指摘できなかった部分、
そもそも気付きもしていなかった部分などがとても明瞭になりました。
思っていた以上に誤りが深刻なようで、自分の認識の甘さに愕然…。まさかこれほどとは。
私が付け加えることは何もなさそうなので(一応わかる範囲で確認はしますが)、
今回頂いた内容をそのままブログ本文に転載するか
コメント欄にこのような情報を頂いた旨、ブログ本文に掲載してもよろしいでしょうか?

麻薬云々について同意していただけて嬉しいです。色々な意味ですごく不安だったので…。
この「怪しい部分まとめ」のエントリーは、自分にわかる範囲で
明らかに間違いだと言える箇所をピックアップしたのですが、
原文がわからなくても真偽が不明でもあれだけは書かずにいられませんでした。
正直、私はスキャンダルやプライベートに興味がないとはとても言えないし
ヌレエフの性格や不品行についても茶化しがちですが、
さすがにこれはあんまりだと思いました。

本書の誤りと思われる部分を見回すと、ケアレスミスも多くあるけれど
「どうしたらこんな間違いが起こるのか?」と思うような記述が目立ち理解に苦しみます。
『シンデレラ』については、恥ずかしながら私は「実は元ネタの戯曲があったの?」とか信じかけてました。
言い訳になってしまいますが、出所不明の事柄を妙に堂々と書いているので
一見意外な新事実が発覚したかのように見えてしまうんですよね。


財団が推しているし最近のものだから無難だろうと思いJulie Kavanagh著の伝記を購入していたのですが、
結構厳しい意見もあると知り参考になりました。
索引がとても細かいので(洋書はみんなこうなんでしょうか)、通して読む気力のない私は
調べたいことがあったときに辞典のようにして使ってます。
作品論、気になります。私の知る限り、日本の評論家はヌレエフの振付をほとんど評価しないので
海外ではどういう扱いなのか是非知りたいですね。
せっかく買ったので頑張って読みます(笑)。
スキャンダル的あれこれは、どの本でも話半分で読んだ方がいいのかなと思います。
そういうことに限らず、何冊か読み比べて情報の取捨選択ができれば一番いいんですが
国内はこの状況だし、海外のものは私には敷居が高いしでなかなか……。

専門的とはほど遠く細々書いてるブログですが、
やはりこのエントリーを書いてよかったと思いました。いろいろ教えて頂きありがとうございます。
またコメント頂けたら嬉しいです。それでは(^-^)

★もうご覧になったかもしれませんが、ヌレエフとオペラ座の関係なら
DVDの『Dancer's Dream』シリーズが面白そうです。(私は未見ですが…)
2011.03.08 | URL | #CofySn7Q [edit]
Telperion says..."No title"
ミナモトさん、早いお返事ありがとうございます。

私が書き連ねたものはぜひご自由に使ってやってください。実はコメントを書くとき、「非公開で投稿してミナモトさんに本文に組み入れてもらうほうが、他の読者にとって読みやすいかな?」と思ったのですが、当然のようにミナモトさんに編集作業をさせるのも心苦しいので公開コメントにしたのでした。転載するほどの問題ではないと思った個所なら遠慮なく削除して構いません。「実はピエトラガラは地位こそ上がらなかったが優遇されていた」という可能性がまるっきりないわけでもないですし。

「シンデレラ」の指摘の際にミナモトさんにやましい思いをさせてしまってごめんなさい。私なんか、「シンデレラ」はYouTubeでよく見ているのに(1時間を超える抜粋を投下した猛者がいるのですよ)、あの個所はおなじみの作品紹介だろうと思ってずっと読み飛ばしていて、1番目のコメント後に初めて気づいたうかつぶりです。それでも、ネット上のインタビューで「振付家としても優れていると思います」と発言しながら、ヌレエフ振付をちゃんと見ているのか疑わしくなる翻訳をしでかす訳者には、どうしても腹が立ちます。

それにこの本は理屈が合わない文がよくあり、「ひとりの人間の生き様を描いた小説のような感覚で読む」(これも訳者の発言)ことも私には難しいです。たとえばヌレエフが亡命を果たす99ページ、劇的な場面だというのに「ヌレエフのそばにもうフランス人がいて、ヌレエフを別のフランス人に向かって投げ飛ばした? 何も投げ飛ばさなくても、最初のフランス人に向かってヌレエフが亡命宣言すればよかったんじゃ? ソ連人がフランス人の腕をつかむなんて国際問題になりかねない、ほんとうはヌレエフの腕なのかも。だいたい『検察官』って何だ、検事が出る場面じゃないだろう」とひっかかりが先に立ちます。リッツのドレッサーも原文はどうなっていることやら。ずっと昔に読んだ誤訳指摘本で「翻訳本におかしなことが書いてあったらまず訳を疑え」とあり、私も基本的にそう思いますが、原文も聞きかじりを適当に書いている臭いがかなりしますね。

やっぱりSolway本やKavanagh本を読むのが待ち遠しいですね。先に読むのはSolway本にしようとは思いますが、Kavanagh本も読みたいです。「誰それがこう語った」を全部うのみにしてはいけないのでしょうが、それにしても「物を叩き壊したのをモニク・ルディエールにこっぴどくなじられ、破片を掃除するヌレエフ」(Solway本より)とか、面白いエピソードがいっぱい書いてありそうで。数百ページも通して読むのは私も大変なので、索引を足掛かりに面白そうな個所を読むのが中心になりそうです。洋書の小説は何冊か持っていますが、索引付きなのは合計1500ページを超える「指輪物語」だけ。細かい索引は分厚い洋書ならではでしょうが、おかげでだいぶ読みやすくなって助かります。

「Dancer's Dream」はアマゾンを見る限り、生産中止で中古のみな雰囲気ですが、YouTubeに少し流れていますね。4本のうち3本は再演の稽古でダンサーやスタッフがヌレエフの意図を語る形のようです。残りの「ライモンダ」、これは初演の稽古や本番映像、当時のスタッフやダンサー(当然ヌレエフも)のインタビューがふんだんに流れる豪華ぶり。おかげで今のところ全部アップロードされています。残念ながらナレーションや字幕はイタリア語ですが、いざとなったら字幕を機械翻訳サイトで伊英翻訳にかける手もあるし、映像だけでも面白いです。ライモンダの踊りをプラテルたちに実演するヌレエフがつぼです。

そうそう、僭越ながら既存リストについてちょっと口出しを。カデ・ベラルビのエトワール任命は「眠れる森の美女」で青い鳥を踊ったときなので、「青い鳥」だけよりは「青い鳥役」とか「『眠れる森の美女』の青い鳥」とかのほうが分かりやすいかと思います。ベラルビはヌレエフ財団サイトでもヌレエフ任命エトワールのリストから漏れていますね。忘れられることがあるのは、任命が遅く、ヌレエフに主役級としてキャスティングされた経験があまりないせいでしょうか。

最後に、また追加です。この本で「定着した訳語があるかどうか調べずにその場で思いついた言葉に置き換える」という例を全部挙げようとしたらえらいことになりそうなので、もう意識して調べるのはやめるつもりなのに、ぼーっと読んでいるだけで見えてしまうという恐ろしさ。


P.178 その時代"プシコーズ(精神異常)"と"ブラームスはお好き?"の成功でパーキンズはスター俳優であり、

アンソニー・パーキンズの代表作はアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」。またフランソワーズ・サガンの小説「ブラームスはお好き」を原作とするパーキンズ出演映画の邦題は「さよならをもう一度」。


ほんとうはもっとヌレエフの業績描写にかかわる指摘がしたいのですが、原文がないとなかなか踏み切れないことが多いですね。麻薬のことをミナモトさんが言及するのが不安だったというのはよく分かります。私自身、たとえば140ページの「ルドルフが完璧に達するには四三歳になるのを待たねばならないはずだった」は絶対おかしいと思いますが(ダンサーは40を過ぎたら肉体的・技術的に下り坂だとよく聞くし、80年代のヌレエフは散々そう指摘されましたね)、それでもリスト入りはためらってしまいました。
2011.03.11 | URL | #lAnR/NdU [edit]
ミナモト@管理人 says..."Re: No title"
こんにちは。返信遅れてしまいすみません。
リスト編集のご配慮ありがとうございます。頂いた内容は、後ほど順序を整理して記事中に転載したいと思います。ベラルビの件は助言に従い修正を加えてみました。
私もまたぱらぱらと『光と影』をチェックしてみましたが、裏付けはないけれど怪しいと感じる部分が多々あるので、そのあたりはまた別記事で指摘しようかと考えています。

Dancer's Dream、以前削除されてた気がするのですが復活したんですね。探してみます!
全幕UPの猛者は一体何者なんでしょうね。とりあえず、ヌレエフ財団には肖像権を厳しく管理する気は一切ないようだというのはよくわかりました(笑)。あそこもあそこで結構不思議な組織のような。

ヌレエフ亡命時の件。ジョン・パーシヴァル著、小倉重夫訳の『ヌレエフ 芸術と半生』に、ヌレエフの手記(『光と影』P.20にある参考書籍と同じと思われる)の抄訳が掲載されています。
それの記述では、ヌレエフはソ連の私服警官の腕を振り切ったあと、特に格闘らしきこともなくバーで2人のフランス人検査官とクララに保護されています。「跳躍」「フランス人検査官の腕の中に(略)着地した」等の言葉も使われていますが、明らかに「運命の大きな転換」「身の安全を確保した」といった意味の比喩表現のようです。手記原文を当たらなければわかりませんが、私にはこちらのほうが自然に思えます。少なくとも『芸術と半生』には、明らかにおかしいような記述・訳はあまり見当たりませんし(私見ですが…)。
『光と影』にあるレスリングだのタックルだのがどこから出てきたのかは謎です。英→仏→日の翻訳で混乱が生じたのか、スタブレが勝手に脚色を加えたのか……。これは原著にも問題がありそうですが、『光と影』には、原文の慣用句や比喩表現をそのまま直訳してわかりにくくなっている箇所が多くあるように思えますね。
検察官は検査官の誤植なんでしょうが、記述がおかしい・訳が変・誤植が多いって、うーん……。

「ルドルフが完璧になるには~」の部分、四十三歳というのは当時のフォンテインの年齢とかけてあるのだと思いますが、それにしてもよくわからない言い回しですよね。原文にはもっと別のニュアンスがあるのではないでしょうか。こういう意図不明なところは指摘するにも困ってしまいます。

今のところ一~四章のソ連時代編からは何も見つかっていませんが、この分だとあまり…というか全く信用できないので、とりあえず手記と照らし合わせて再確認してみようと思います。ソ連時代の資料がもう少し見つかればいいのですが……。何を調べるにも、やっぱり海外伝記ですね。国内でも研究が進めば嬉しいなと一ファンとして思います。
2011.03.23 | URL | #GO4Dvn22 [edit]
Telperion says..."『光と影』おかしなところ もっと"
どうもお久しぶりです。Solway本をあちこち読んだ後、久しぶりに「光と影」を開いたら、やっぱりまだまだありますね、おかしなところ。「疑問・突っ込みたいこともう少し」エントリにもコメントしたいのですが、その前に確信度合いが高い個所をこちらのエントリに追記します。転載、加筆、転載中止、すべてご自由にどうぞ。
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P.128 "白鳥の湖"などで独自のバージョンを披露し六七年からスウェーデンロイヤルバレエ団を率いていた。

1961年にヌレエフと初めて会った当時のエリック・ブルーンの描写。ブルーンが独自の「白鳥の湖」を上演するのは1967年ごろで未来のことだが、上記の文ではこのことが分からない。スウェーデン・ロイヤル・バレエについては年が書いてあるのでかろうじて未来のことだと分かるが、「スウェーデンロイヤルバレエを率いることになる」といった表現のほうが普通ではなかろうか。

P.150-151 しかし最後の二ヵ所の公演都市サンフランシスコとトロントでは、一連の事件を起こしてしまった。サンフランシスコではヒッピーのパーティに参加し、マーゴットと共に逮捕され、トロントでは警官に足で一撃を加え手錠をかけられ連行された。しかし狙った所に達しなかったと証明されすぐに釈放された。

ヌレエフがトロントで逮捕されたのは1963年、サンフランシスコでフォンテーンと共に逮捕されたのは1967年。トロントでの逮捕理由は路上で踊ったから。

P.170 彼の最良の弁護士であったニゲル・ゴスリング

Nigel Goslingは妻Maude LloydとともにAlexander Blandの名で批評を書き、夫婦でヌレエフを息子のように庇護した。そういう素性を知っていれば、この「弁護士」はヌレエフの擁護者という意味の比喩だろうと想像がつくが、知らない人にはGoslingが職業弁護士としか思えないだろう。

P.176 バイロイトに旅したとき、ルドルフはソヴィエトの海軍兵たちが大勢いる港や海岸をうろついた。

ドイツ内陸部のバイロイトに海岸があるはずがない。Solway本の章"Nureyev and Fonteyn"に"In nearby Beirut he insisted on walking around on his own late at night despite the presence of Soviet ships in the harbor."(近くのベイルートで、港にソ連の船があるにもかかわらず、彼は夜更けに一人で散歩すると言い張った)という記述があり、ベイルートならつじつまが合う。

P.185 ジョージ・バランシンはルドルフがクレオント役を演じた"ル・ブルジョワ"を掲げてニューヨークにやってきた。出演していたアメリカンバレエシアターの生徒たちの中に、ボストン生まれで二三歳の褐色の好青年ロバート・トレイシーがいた。

ヌレエフがクレオントを演じたのは1979年だが、1948年にNew York City Balletを創立したバランシンは、当然ながらすでに何十年もニューヨークを拠点にしている。ニューヨークにやってきたのはヌレエフだろう。
また、トレイシーはバランシンが創立した学校School of American Balletの生徒。そもそもNew York City Balletを率いるバランシンが別のバレエ団であるAmerican Ballet Theatreから出演者を選抜するとは考えにくい。
なお、このバレエのタイトルは"Le Bourgeois Gentilhomme"。初出のときくらいきちんと全部書くか、「町人貴族」と訳すかしてもらいたいところ。

P.282 姉のラジダとその娘たちビクトルとユーリ、リリアの娘、姪のアルフィア

ビクトルとユーリはラジダの息子。リリアの娘がすなわち姪のアルフィアなので、「姉リリアの娘アルフィア」でいいと思う。

P.307 チャイコフスキーのアンダンテカンタービレの第一章が流れ

チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレは、弦楽四重奏曲第1番Op.11の第2楽章の通称。1つの曲なので、たとえ冒頭部分の抜粋だったとしても、第1章という呼び方はしない。

P.307 バッハのフーガ一三番の急激な終わり方

1993年1月13日のNew York Timesの記事に「Bach again (the incomplete, suddenly broken-off final fugue from "The Art of the Fugue") 」という記載があることから、このフーガはバッハ作曲「フーガの技法」の未完のフーガ。正式名は「Contrapunctus 14」または「Fuga a 4 Soggetti」らしい。名指ししにくい曲名ではあるが、正しく示したいなら少なくとも「フーガの技法」というキーワードは必要。

P.313 レオニド・マッシーニ プレサージュ

巻末の「ヌレエフがパリ・オペラ座バレエ団に招聘した振付家」リストで1988-1989シーズンにある振付家と作品名。しかしレオニド・マシーンは1979年に死去しているので、招聘されたというのは無理がある。多分マシーンのPresagesがオペラ座初演だったのだろうが、ならリスト名は「ヌレエフのもとでパリ・オペラ座で初演された作品」のようにするべき。

P.313 ダニエル・エズラロー In the Middle Somewhat Elevated

巻末リストの1986-1987シーズンにある振付家と作品名。しかし"In the Middle, Somewhat Elevated"といえば、ウィリアム・フォーサイス振付作品のなかでも特に名高い。パリ・オペラ座バレエの情報が豊富なWeb サイト"Danser en France"によると、フォーサイス振付の"In the Middle, Somewhat Elevated"が世界初演されたのと同じ公演でEzralow振付の"Soon"も世界初演された。たあいのない転記ミス…ですむのか?

P.313-315 オペラ座作成

巻末リストに多数あるが、これは明らかにフランス語の動詞creerの翻訳ミスで、正しくは「オペラ座初演」。
2011.05.01 | URL | #lAnR/NdU [edit]
ハニ says..."はじめまして"
はじめまして、ハニと言います。
マニュエル・ルグリのファンで、そしてもちろんヌレエフのことが大好きな者の一人です。
Telperionへもメールをさせていただいたのですが、今日、この本を読み終え、お二人と同じようにこの本に対し多くの疑問を持ちました。
自分自身で原本を購入して読んでみようか、どうしようかと検索していてこのサイトを見つけました。
この本はどうして、多くの方に誤解を与えるような、こんな本になってしまったのでしょうか?

またこれからもちょくちょくこちらへもお邪魔させてください。
よろしくお願いします。

PS.今月の終わり、ウィーンへ行ってヌレエフ版くるみわり人形を観てきます(^-^)
ルグリがヌレエフから教わったことを、ルグリは今、彼のダンサーたちに伝えています。
それだけで私は胸が熱くなります。
ミナモト says..."Re: はじめまして"
ハニさん、はじめまして!
更新停止状態のブログに、コメントどうもありがとうございました。

光と影の出版を知って、喜び勇んで書店に走った日のことは忘れられません。
まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。
世界的バレエダンサーなのに、
現在国内でまともに読める伝記がないのはとても悲しいことです。
ヌレエフを主人公にした小説『Dancer』(Colum McCann著)の映画化が企画され、
日本のサイトでも紹介されているので、それを機に状況が好転すればと思ってます!

ウィーンのくるみはいかがでしたか?
バレエは形の残らない芸術ですが、振付や精神がこうして受け継がれていくのは、
本当に素晴らしいですね。
2013.01.05 | URL | #- [edit]

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