三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。非常に申し訳ないけど大体リンク切れ

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Posted by ミナモト on  | 

『光と影』疑問点メモ

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめについて反響頂きありがとうございます。
上記記事では一応自分で「明らかにおかしいのでは?」と指摘できる部分を挙げてみたのですが
(麻薬云々だけ我慢できず)、他にもソース不確かだったり細かなところで疑問に感じる箇所があったので、こちらにそういう部分をまとめてみました。
参考程度にご覧ください。ご意見など頂けたら幸いです。
青字部分は本文あるいは参考資料の引用です

【2011年8月追記】ここにある疑問のほとんどは、Telperionさんによる原文との比較で解決済みです。
原文比較1も併せてご覧ください



★最近の追加分

P.178 理想的な体重を維持し、肩幅は広く小柄で腰は細くエジプトの彫像のような見事な体型だった。
俳優のアンソニー・パーキンスについての文章。どんなに細くて華奢であっても、身長188cmの男性を「小柄」と形容することには若干違和感を覚えます。前後の文章から、パーキンスを指すことは明確ではあるのですが。

P.119 共産主義に共鳴する二〇名ほどが「モスクワに帰れ、タタール人!」とわめいた。
Solway本P.172に同じような記述があるんですが、そこではGroup of French Communist agitators began shouting "Traitor!" and "Go back to Moscow!"となっています。traitorは「反逆者」の意。
「タタール人」でも罵倒としてはおかしくないのですが、原書でもそうなのか訳者の読み違えなのか少し気になります。

P.169 一〇分間待った陛下は既に立ち去ってしまった。その時期"王様と私"の公演を終えたばかりのヌレエフは侮辱を受けたのを気にかけた様子だった。
ヌレエフが買い物に夢中でスペイン国王との謁見に遅刻した話。この場合「侮辱を受けた」のは国王だと思うのですが、いまいち要領を得ない文章です。

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P.142 映画で黒鳥を踊る十九歳のブルーンを見たヌレエフは、
黒鳥ではなくせめて『黒鳥のパ・ド・ドゥ』の方がいいのでは。それに、ブルーンが19歳の頃の映像が存在し、それをヌレエフが見ることが出来たという状況にちょっと違和感。J・パーシヴァル著の『ヌレエフ 芸術と半生』によると、ABTがソビエト巡業に訪れた際その公演を見ることが出来なかったヌレエフは、友人に頼み公演の様子を8ミリフィルムで撮影してもらったらしい。そのときのことを言っているのだとすれば、19歳だったのはブルーンではなくヌレエフでは? しかしABTのソビエト公演は1960年のことなので、それはそれで年齢の計算が合わない。

P.151 「マーゴット、君は僕がどこにいても幸せだったことなんて一度もなかったのを知っているじゃないか」
マーゴ・フォンテーンの自伝(湯川京子訳/文化出版局)では「マーゴ、ぼくはもうよそで幸せになれない」。言ってることは間違ってないのかもしれないけど、大分ニュアンスが違って見えるのが気になる。
それと細かいことですが、上記自伝の訳者あとがきによると、フォンテーンは自分の名の発音は「マーゴット」ではなく「マーゴ」であると主張してるそうです。

P.195 ザーリスム
検索しても出てこない謎の言葉。たぶんツァーリズムtsarism

P.204 ブルーエンジェル
ディートリッヒ主演のドイツ映画Der blaue Engelのことだろうけど、邦題『嘆きの天使』のほうが通りがいいと思う。

P.233 ヴァレンチノは唇がつりあがりもじゃもじゃ眉毛で、背を高く見せるためにヒールのある靴を履き、太った体をコルセットで締め付けていたが、ロシアのエトワールはスクリーンでそのモデルのように醜くは演じなかった。
そこまで言うことないのでは。フランスではそんな認識? 
ていうか眉毛と身長は普通にヌレエフのことかと思いましたスミマセン

P.247 フランソワーズ・サガンはある番組で、
ここで引用されているのは、サガンがヌレエフと会ったときの事を書いた随筆の一部(日本では新潮文庫『私自身のための優しい回想』に収録)。なぜ「番組」?。元はテレビ番組のための取材だったという可能性もありますが

P.302 「(前略)食事の最中に彼はひどい吐き気に教われました。一緒に食卓を囲み状況の深刻さを知らない人たちは爆笑しましたが、(後略)」
パトリック・デュポンの回想。割とひどい。
でもデュポンの自伝『パリのエトワール』(林修訳/新書館)の記述では「公演後、彼をかこんでスタッフ一同が会食をしていたとき、急に彼が強い吐き気に苦しみだし、レストラン中が大混乱となった」。……大分話が違う。自伝の方が正しかったらいいんですが。

P.307
ヌレエフの葬儀の様子が書かれており、ロシア正教の十字架がどうのこうのなどと記述があるのですが、ヌレエフは正教徒ではないのでお墓にそういうモニュメントはありません(って財団公式サイトに書いてあった)。埋葬されたのがロシア人墓地だから、葬儀だけはロシア正教式でやったのでしょうか。あの綺麗なモザイクの墓標が置かれたのは葬儀から大分あとだったはずなので(ソース失念)それまで仮にロシア正教式のお墓を立てていた、とか?

Category : ヌレエフ情報
Posted by ミナモト on  | 8 comments 

-8 Comments

Telperion says..."No title"
連休に突入したためコメントが遅くなってしまいました。ミナモトさんの挙げた個所は、たしかに違和感とか「真相はどうなんだ」とかいう気持ちをかきたてられますね。

ヌレエフがブルーンの公演を撮影してもらったくだりは、Kavanagh本では章"BLOOD BROTHERS"にあり、演目はバランシン"Theme and Variations"と「白鳥の湖」「ドンキホーテ」抜粋のようです。英語WikipediaのErik Bruhnの項によると、1948年のマシーン振付「幻想交響曲」の練習風景(ブルーンは19~20歳)がオハイオ州立大学所蔵の資料映像として存在するそうですが、ヌレエフが見ることができたとは思えませんね。やはり「映画」とは1960年撮影の素人フィルムのことだと思います。19歳が誰のことやら分からないのは確かですが。「黒鳥を踊るブルーン」だとつい「ブルーンが女装したのか?」と考えてしまいますよね。白鳥ならまだ作品名の略称という可能性もあるけれど、黒鳥は役名だからでしょうか。

Merriam-Websterオンライン辞書サイトでczarismを引き、結果のページ(http://www.merriam-webster.com/dictionary/czarism)でスピーカーのアイコンをクリックすると、発音を聞くことができますが、一応「ザーリズム」と発音するのですね(「サーリズム」「ツァーリズム」もあるようです)。でも「ザーリズム」は日本語として存在しないと思うし、私も「ツァーリズム」と脳内変換しています。「日本語でバレエ団全員をコールドバレエと称するのは間違い」というのが私の見解ですが、それと同じことだと思います。

Solway本の最終ページに、今の墓石が"Unveiled three years after his death to replace the makeshift cross over his grave,"(死の3年後に除幕され、墓の上に置かれた一時しのぎの十字架に取って替わった)と書かれているので、埋葬後しばらくは十字架があったようです。1993年1月13日のNew York Timesの記事には"Nureyev's oak coffin was lowered into the ground without religious services or spoken remarks."(宗教儀式も語りもなく、ヌレエフのオークの棺が地中に下ろされた)、"The burial was preceded in the morning by a civil ceremony at the Palais Garnier,(埋葬に先立ち、朝ガルニエ宮で無宗教の儀式が行われた)"とあるし、使われた音楽も詩も世俗的なものなので、葬儀自体は徹底して無宗教だったようですが。間に合わせの墓標にできるものが十字架以外になかったのかも知れません。でも間に合わせにしては「モミと銀色のカバノキに覆われ、ドーム型の小尖塔のついたロシア専制時代の墓」(『光と影』P.307)というゴージャスそうな外見なのが不思議です。

Merce Cunninghamのファーストネームは「マース」が一番近いと思われ、日本語でもこの表記が多いですね。もっとも、なぜか「マーサ」表記も意外と多いし、姓も「カニングハム」「カニンガム」の間で定まらないので(「カニンガム」はイギリス発音らしいのでアメリカ人のMerce Cunninghamは「カニングハム」が適切かなと思いますが)、「赤信号みんなで渡ればこわくない」というか、この程度の誤差の場合は『光と影』が特別にひどいわけではないかもしれません。「トワイライト・サープ」ほどスペルとかけ離れたレベルまでいくと、迷わず「どういう校正をしてるんだ」と思えますが。

それで思い出しましたが、指揮者Soltiは以前は「ソルティ」という表記もあったそうです。現在はショルティで統一されているだろうとはいえ、「ソルティと呼ぶ音楽ファンは皆無」は言い過ぎでした。よければ「怪しい部分まとめ」からSoltiの項は削除していただけませんか。「番外」に移してもよいのですが、文を書きなおす必要があるし、『光と影』はもっと明白な間違いだらけなので、この項のためにそこまで手間をかけなくてもよいと思います。

ところでSolway本では、1971年にヌレエフがバリシニコフを自宅に招いたときのメッセンジャーを"Chinko Rafique, a former dancer with the Royal Ballet and Zurich Ballet"としています。Kavanagh本でもそのようです。『光と影』の「彼の末っ子」がどこから出てきたのかは依然として分かりません。
2011.05.06 | URL | #lAnR/NdU [edit]
Telperion says..."『光と影』原文比較"
どうも、お久しぶりです。ブログを更新したくてもできないような事態でなくて何よりです。あと、Soltiの件のご対処ありがとうございました。

さて。こちらへの初投稿のとき「原本を取り寄せて比較するほどの気力はありません」なんて書いていた私ですが。結局、英国アマゾンで買ってしまいました。いろいろ新たな発見があって、当分暇つぶしの種に困らなそう、というか暇がなくなるかも。嘆かわしい事態といえます。

まずはミナモトさんが見つけた個所について、原文比較をしてみました。ただし、私がフランス語を学習したのはごく最近で、機械翻訳、辞書引き、文法書調べを繰り返している状態なので、私の原文解釈の完成度は高くありません。お気づきの点があればどなたでも遠慮なくおっしゃってくだされば、非常にありがたく思います。

まず、この記事での指摘部分について。

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P.142 映画で黒鳥を踊る十九歳のブルーンを観た
ayant vu Bruhn à l'âge de dix-neuf ans dans un film où il dansait le Cygne noir,

原文がこれだと訳文は「映画」を「フィルム」に直すしか添削の余地がなさそうです。もしかしたら19歳なのはヌレエフだと文法的に解釈できるのかもしれませんが、前後でブルーンが触れられているので、引きずられてしまいますね。

P.151 マーゴット、君は(以降は上の文にあるので略)
Margot, tu sais que je ne serai jamais heureux nulle part. (マーゴ、僕がどこにいても決して幸せにならないということを君は知っているだろう)

文中のseraiは動詞être(英語のbeに相当)の単純未来形です。『光と影』訳文は過去完了みたいな言い方ですが、ヒネた感じは原文に共通するかもしれません。うーん、単純な文法なのに難しい。

P.195 ザーリスムを持ち出し、
tsarissime,

tsarissimeは副詞のようですが、仏和辞書で見つかりません。まあ、「ツァーリズムを持ち出し」という言葉からの想像と大差ない意味だろうとは思います。

P.204 "ブルーエンジェル"
L'«Ange bleu»

訳本ではフランス語をそのままカタカナにするのが好きなようですが、なぜかここは英語になった上でのカタカナ。

P.233 ヴァレンチノは(以降は上の文にあるので略)
Pour son premier rôle à l'écran, l'étoile russe n'a pas à s'enlaidir, comme son modèle qui, lèvre pendante et sourcils broussailleux, portait des talonnettes pour se grandir et un corset pour comprimer son embonpoint. (銀幕上の初主役のために、ロシアのスターは彼のモデルのように自分を醜くする必要はなかった。そのモデルは唇が垂れ下がり眉毛はぼうぼうで、背を高くするためのヒールと肥満を抑えるためのコルセットを持ち歩いていた。)

まったく自信はありませんが、『光と影』とほとんど同じです。納得できないので名前こそ出していませんが、モデルって私もヴァレンチノ以外に思い当たらないので。

P.247 ある番組で、
dans un texte pour le programme du TMP, (TMPの番組用のテキストで)

TMPはTélévision mobile personnelleの略。携帯電話や乗り物向けのデジタルテレビらしいです。

P.302 一緒に食卓を囲み状況の深刻さを知らない人たちは爆笑しましたが、僕とアランは茫然とし悲嘆にくれていました。皆の了解を得て、
On se serait cru dans une pièce de Brecht : toute la tablée s'esclaffait, inconsciente de la gravité de la situation; seuls Alain et moi étions atterrés. D'un commun accord, (まるでブレヒトの作品の中にいるかのようだった。食事をしている全員が事態の重大さを意識せずにどっと笑っており、アランと僕だけが茫然としていたことがだ。全員で意見が一致して、)

原文中のコロン(:)は、「直前に書いたことをこれから詳しく説明します」というニュアンスで使われます。他のテーブルの人はヌレエフたちの様子に気付かず談笑している。楽しい場の片隅で悲劇が進行している、そのさまがBertolt Brechtという劇作家の作品の一場面のようだ。私はそう解釈しました。直前の文にあるとおり、ヌレエフと食事しているのは2人だけだろうと思います。しかし難しい文です。
Meyer-Stabley原本にある参考文献一覧にデュポンの自伝があるので、上記の文もそこからの引用なんでしょうが、自伝訳本、『光と影』、私の訳、みんな違います。もう何が何やら。

P.307 正教会の十字架が飾られ、モミと銀色のカバノキに覆われドーム型の小尖塔のついたロシア専制時代の墓に一人ひとりが黙とうを捧げた。
dans ce paysage de croix orthodoxes, de tombes tsaristes, de clochetons à bulbe, de sapins et de bouleaux argentés, chacun se recueille. (正教徒の十字架、帝政時代の墓、ドームについた小尖塔、モミ、そして銀色のカバノキの光景の中、一人一人が黙とうした。)

十字架、墓、小尖塔、モミ、カバノキ、すべて原文では複数形です。つまりヌレエフ一人の墓でなく、墓地全体の光景なのですね。

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この下は別記事「怪しい部分まとめ」についてです。あちらの記事はコメントがだいぶ多くなってきたので、こちらに追記しました。
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P.126 インド人の父親とアイルランド人の母親
d'un père indien et d'une mère irlando-écossaise (インディアンの父親とスコットランド系アイルランド人の母親)

indienはインド人とアメリカインディアンの両方の意味があります。

P.135 魔法の詩
Le Poème magique

原文の段階で間違ってました。

P.210 ギレーヌ・テスマーはロシアのプリマの中でも叙情的なバレリーナだった。
tandis que Ghislaine Thesmar sera lyrique sur l'étoile russe : (一方、ギレーヌ・テスマーはロシアのスターについては抒情的になる。)

l'étoile russeはヌレエフのことですね。

P.212 さまよえるオランダ人の歌
Chant d'un compagnon errant

compagnonにつくのが定冠詞(英語でのthe)だと2番目の単語がduになり、不定冠詞(英語でのa)だとd'unになります。日本語訳では関係ないので、どちらが正式なのかは追及しませんでした。

P.213 彼の末っ子
son benjamin
benjaminには「末っ子」のほかに「グループの最年少者」という意味もあり、ダンサー仲間のなかで特に若い子という意味かなと思いますが、Chinko Rafiqueの年齢が分からないので自信がありません。

P.260 そのためプルミエ・ダンスールに配属されていたマニュエル・ルグリのエトワール指名も気まぐれで行われたのではない。
et, pour que la chose n'ait pas l'air d'un caprice, celle également de Manuel Legris, un premier danseur distribué dans son ballet. (そして、ことが気まぐれの雰囲気にならないようにするために、彼のバレエにキャスティングされたプルミエ・ダンスールであるマニュエル・ルグリの任命も。)

ベジャールがオペラ座上層部にヴ=アンのエトワール任命を数回提案したという文の後に続きます。

P.284 彼は喜びと共にパートナーを務めたアンナ・イワノワを抱きしめたが、三〇分に及ぶ喝采が静まった頃には失望していた。
Il a eu la joie d'embrasser celle qui lui préparait de délicieux concombres au miel, Anna Ivanovna, mais ensuite, quelle déception, malgré trente minitues d'applaudissements! (彼はおいしいはちみつ漬けのきゅうりを用意してくれた女性であるアンナ・イワーノヴナを抱きしめる喜びを味わった。しかしその後は、30分の喝采にもかかわらず、なんと失望したことか。)

Solway本によると、ヌレエフがウーファで最初に師事したバレエ教師がAnna Ivanovna Udeltsova。89年のキーロフ公演にも出席しました。Meyer-Stabley原本ではウーファ時代にOudeltsovaとしか書いていないので、89年にいきなりAnna Ivanovnaと書いても読者に分かるわけありません。
「はちみつ漬けのきゅうり」は意味が分からず、いい加減な訳語です。ウデルツォーワが何か手土産を持参した、くらいの想像しかできません。ただし「パートナーを務めた」という意味ではないでしょう。Solway本によるとウデルツォーワは当時100歳です。

P.294 一九八五年八月二日、テレビ番組のインタビューで、スポットライトの陰で麻薬を服用しているのではないかとの指摘に対し、彼は驚くほど誠実に答えている。
Dans une interview étonnamment sincère pour France-Soir, le 2 août 1985, lorsqu'on lui fait remarquer qu'il est un drogué des projecteurs Rudolf avoue : (1985年8月2日、フランス・ソワール紙のための驚くほど率直なインタビューで、自分がスポットライトの中毒者であると気づかされたとき、ルドルフは告白した)

前置詞deは「~の陰で」という意味にはならないと思います。ちなみにFrance-Soirはフランスの大衆紙です。
2011.06.23 | URL | #lAnR/NdU [edit]
Telperion says..."『光と影』原文比較 その2"
ちょっと見ない間にサイトの装いが一新しましたね。なんだかうきうきします。

続いては、私が「怪しい部分まとめ」記事に寄せた部分についてです。ミナモトさん、再統合ありがとうございました。

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P.128 "白鳥の湖"などで独自のバージョンを披露し六七年からスウェーデンロイヤルバレエ団を率いていた。
il a monté ses propres versions de classiques, comme Le Lac des cygnes. Il dirigera le Ballet de l'Opéra royal suédois à partir de 1967. (「白鳥の湖」などの古典の独自版を上演した。1967年からはスウェーデン・ロイヤル・バレエを率いることになる。)

1番目の文の時制は直説法複合過去(英語の過去形と同じようなもの)、2番目の文は直説法単純未来(英語の未来形とほぼ同じ)です。「白鳥の湖」以外の独自版を当時から上演していたのなら、原文は間違っていないといってもいいでしょう。『光と影』もそうですね。「67年から率いていた」がありえない表現というだけで。

P.150-151 しかし最後の二ヵ所の公演都市サンフランシスコとトロントでは、一連の事件を起こしてしまった。サンフランシスコではヒッピーのパーティに参加し、マーゴットと共に逮捕され、
De ces deux dernières villes il ne conservera pas que des souvenirs d'ordre purement professionnel. À San Francisco, la police l'arrête en compagnie de Margot Fonteyn, à plat ventre sur un toit après avoir participé à une soirée hippie. (この最後2つの都市については、彼が覚えているのは単に職業的な次元の思い出だけではないだろう。サンフランシスコでは、ヒッピーのパーティに参加した後で屋根の上で腹這いになった彼を警察はマーゴ・フォンテーンと共に逮捕した。)

原文ではこの直前に公演都市が"Paris, New York, San Francisco, Toronto."と列挙されており、「最後の2つ」とは列挙されたうち最後の2つという意味でしかありません。
トロントの記述は原文も『光と影』と同じでした。Nureyev、Toronto、arrestといったキーワードで検索すると、「路上で踊って逮捕された」という記述しかヒットしないし、Solway本でもそうなので、暴行説は初耳です。当時の新聞を読めば確実ですが、さすがにそこまでするのは面倒ですね。

P.170 それは恐らく彼を最も有名にした要素だろう。彼の最良の弁護士であったニゲル・ゴスリングはこう言った。
Celui qui l'a sans doute le mieux connu, Nigel Gosling, a été son meilleur avocat : (疑いなく彼を最も良く知っていた者であるナイジェル・ゴスリングは彼の最良の弁護者だった。)

avocatは辞書にある第一の意味が「弁護士」で、比喩的な「弁護者」の意味もあります。せめて他の場所でゴスリングが批評家であることをきちんと書いていれば、ここで「弁護士」でも誤解を招かなかったのですが。
それより、「それ(鼻持ちならない振る舞いや性格)は恐らく彼を最も有名にした要素だろう」に相当する原文を読んで唖然。『光と影』を読んで「ひどいこと言うなあ」とは前から思っていたんです。ダンサーとしての魅力や影響力より奇行で有名になったなんて。Meyer-Stableyもヌレエフのタブロイドネタは好きそうですが、こんなことを言うほどじゃなくて良かった。

P.176 バイロイト
Beyrouth (ベイルート)

手元の仏和辞書になくて、フランス語wikipediaで確認しました。確かにBeyrouthはレバノンの首都です。

P.185 ジョージ・バランシンはルドルフがクレオント役を演じた"ル・ブルジョワ"を掲げてニューヨークにやってきた。出演していたアメリカンバレエシアターの生徒たちの中に、ボストン生まれで二三歳の褐色の好青年ロバート・トレイシーがいた。
George Balanchine monte à New York Le Bourgeois gentilhomme (Rudolf joue Cléonte) et ce sont des étudiants de l'American Ballet qui s'y produisent. Parmi eux, un certain Robert Tracy, un beau brun originaire de Boston et âgé de vingt-trois ans. (ジョージ・バランシンがニューヨークで「町人貴族」を上演し(ルドルフはクレオント役)、それに出演したのがAmerican Balletの生徒だった。その中にいたのが、ロバート・トレイシーとかいう、ボストン生まれでハンサムなブルネットの23歳。)

原文で"School of"が抜けていたとは。「シアター」を追加する前に"Robert Tracy"と"American Ballet"をグーグルで検索していれば、"School of American Ballet"と記述されたページはいくつも出てきたのですが。

P.202 ケンジントンパレスやマーガレット&スノードン大佐夫妻の邸宅など王室関係の場所にも頻繁に足を運んだ。
L'autre demeure londonienne qu'il fréquente souvent est royale : Kensington Palace, la demeure de la princesse Margaret et de son époux lord Snowdon. (彼が頻繁に通った他のロンドンの住まいは王室の場所、すなわちマーガレット王女とその伴侶スノードン卿の住まいであるケンジントン宮殿である。)

princesseもlordも問題ありません。なお、原文最初の文の主語が単数形であることからも分かるとおり、ヌレエフが通った王室関係の場所はケンジントン宮殿だけです。ケンジントン宮殿にマーガレット王女が住んでいたことは、英語や日本語wikipediaのケンジントン宮殿の項でも触れられています。

P.254 バレエ教師
maîtres du Ballet

原文がこの言葉なのは確認するまでもないのですが、一応。
でも、最近の「ダンスマガジン」で「ローラン・イレールがバレエ教師に就任」という記事が載ったという記述をどこかのブログで見て愕然。パリ・オペラ座バレエ公式サイトの組織説明で3番目にある、"maître de ballet, associé à la direction de la danse"なんていう仰々しい肩書を「バレエ教師」!? それも大手バレエ雑誌で!?

P.263 ヌレエフはパリで最も美しい作品のひとつである"シンデレラ"を上演した。それは一九三〇年代にハリウッドで戯曲化された作品の改訂版だった。
Noureev présente l'un de ses plus beaux spectacles à Paris : Cendrillon, en version new-look, transposée dans le Hollywood des années 1930. (ヌレエフは彼の最も美しい作品のひとつをパリで発表した。1930年代のハリウッドに移し替えられた、新たな装いの「シンデレラ」である。)

new-lookの訳はいいかげんです。原文だけ見ると、「ハリウッドに移し替えられた」でなく「ハリウッドで移し替えられた=映画化された」と解釈するのはそう変ではありませんね。原文以外にも目を向ければ、その解釈が誤りなのはすぐ分かることですが。

P.264 彼女はクロード・ド・ヴルパンについて話してくれた。「彼は"ロミオとジュリエット"の名場面を再現してくれました。
Quant à Claude de Vulpian, elle confiera : «On retrouve ici les meilleurs moments de Roméo, (クロード・ド・ヴルピアンはどうかと言うと、彼女は打ち明ける。「ここでは『ロミオとジュリエット』最良の瞬間に再会します。)

"Quant à"には「~に関しては」という訳語もありますが、その後の語りが「シンデレラ」論でヴルピアンが語られていないのを読めば、「プラテルやギエムに話を聞いた、次はヴルピアンの番だ」というニュアンスであることが分かります(初演シーズンでのシンデレラ役はこの3人でした)。語り第一文の主語Onは英語でのtheyのようなもので、特定の人を指さないのが普通です。この場合は観客や出演者一般を指すのでしょう。

P.268 昇進させた。
il propulse

この動詞propulserは辞書によると「推進させる」という意味。『光と影』で直前にある「バレエ団を世界第一線級のレベルに引き上げ」でも原文では同じ動詞が使われています。単に後押しするという意味なら、エトワール相手に使っても間違いではありません。
もっとも、ヌレエフに取り立てられたダンサーとしてクレールが挙がっているのは他で見たことがありませんが、それは別の話ですね。

P.272 オペラ座のコールドバレエ一八〇名中エトワールは男女六名ずつ一二名のみ。
Sur les cent quatre-vingts danseurs qui composent le corps de ballet de l'Opéra, il n'y a que douze danseurs étoiles, six filles et six garçons. (オペラ座バレエ団を構成するダンサー180人のうち、エトワールは女6人、男6人の12人しかいない。)

corps de balletの訳し方を考えに入れなければ、『光と影』は原文どおり。

P.282 姉のラジダとその娘たちビクトルとユーリ、リリアの娘、姪のアルフィア
sa sœur Razida avec ses fils, Viktor (vingt-cinq ans) et Youri (dix-huit ans), ainsi que sa nièce Alfia, la fille de Lilia. (姉のラジダとその息子たちヴィクトル(25歳)とユーリ(18歳)、またリリアの娘である姪のアルフィア)

原文では甥たちの年齢があるのですか。また、構文上「姪のアルフィア」が「リリアの娘」の前に来るので、リリアの前に「姉の」がなくても分かりやすいですね。

P.295 ショスタコーヴィッチの音楽を用い、ゴダール論争に基づきポリアコフが彼のために書いたバレエ"Il Cappotto(外套)"を上演した。またフレミング・フリンジの"ベニスに死す"を彷彿とさせるバレエを創作した。
Il présente ainsi Il Cappotto (Le Pardessus), un ballet écrit pour lui par Poliakov sur un argument tiré de Gogol et sur une musique de Chostakovitch. Il crée aussi Mort à Venise, de Flemming Flindt, un ballet à l'atmosphère prémonitoire. (ゴーゴリから着想したストーリーとショスタコーヴィチの音楽をもとにポリアコフが彼のために書いたバレエ「Il Cappotto(外套)」も発表した。また前兆の雰囲気が漂うバレエであるフレミング・フリントの「ヴェニスに死す」を初演した。)

ゴダールのスペルはGodard。argumentはバレエの文脈では「あらすじ」。「ヴェニスに死す」の原作は、初老の男が最後に死ぬ話だそうですね。また、Kavanagh本によると「外套」制作でポリアコフはフリントに協力しているので、「ポリアコフが書いた」は事実だったようです。

P.304 芸術文化部門のレジオンドヌール勲章
commandeur des Arts et des Lettres

「フランスの勲章はみんなレジオンドヌールだと思う日本の翻訳者より、自国の勲章も知らないジャーナリストのほうが嫌だ」と思っていましたが、後者でなくてとりあえず安堵。

P.304 最後の外出
sa dernière sortie (最後の退場)

sortieには「外出」「退場」両方の意味がありますが、この日の後にヌレエフが公衆の前に姿を見せることはなかったので、ここでは「退場」と取るべきですね。

P.307 チャイコフスキーのアンダンテカンタービレの第一章
L'andante cantabile du premier quatuor de Tchaïkovski (チャイコフスキーの四重奏曲第1番の「アンダンテ・カンタービレ」)

原文は妥当。quatuorの後に"à cordes"(弦楽)が付いていればなお厳密でしたが。

P.307 バッハのフーガ一三番の急激な終わり方
La fin brutale de la treizième fugue de Bach

原文も『光と影』と同じでした。

P.315 ヌレエフがパリ・オペラ座バレエ団に招聘した振付家
Chorégraphes invités par Rudolf Noureev à l'Opéra de Paris

原文も『光と影』と同じでした。フランスでは逝去した振付家でも招いたというのか、Meyer-Stableyが深く考えずにタイトルを付けたのかは不明。原本を手にして初めてわかった『光と影』の破壊力に、私もこの程度の表現はどうでもよくなってしまいました。

P.313 ダニエル・エズラロー In the Middle Somewhat Elevated

原文も『光と影』と同じでした。Middleの後にカンマがないのも同じ。

P.313-315 オペラ座作成
création à l'Opéra (オペラ座初演)

動詞créerの過去分詞と予測していたら、名詞créationでした。

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えーと、これだけ長々書いた後でまだ懲りないかと自分でも呆れますが。私にとって、Meyer-Stableyの事実誤認より、Meyer-Stableyのまともな記述をぶちこわす『光と影』の訳のほうが見つけやすいです。前者を見つけるにはそれなりの知識が要りますが、訳文のつじつまが合わない部分に対応する原文を読んだり、固有名詞を調べたりすれば、後者はよく見つかりますから。全部洗い出すのはすごく時間がかかるし、原文をうまく解釈できなくて訳文が誤っていると断定できないとか、原文も同じことを言っているとかいうこともよくあるのですが、それでも全部書こうとしたらコメント欄がパンクしかねないという予感はします。

今は1つだけ書かせてください。現時点で判明しているうち、一番我慢ならない個所。私がここをチェックする気になったのは、Solway本の記述とずれているためで(Solway本では、亡命後のヌレエフは女にもてまくるので、女漁りに出かけて金を払う必要などなかった)、この部分自体が理屈に合わないわけではないのですが、それだけに疑問を抱きにくく、一層たちが悪いと言えます。

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P.203 でも休暇中とはいえ本性は変わらず、入浴を済ませるとターバンを巻いて遊女たちがいる優雅なハーレムへと出かけていきました。彼に比べ、他の招待客たちはそのような遊びに興じることもなく、田舎者という風情でした。
Mais même en vacances le théâtre ne l'abandonnait pas. Après le bain, il se déplaçait dans la maison avec l'élégance d'une odalisque, coiffé d'un turban. En comparaison, mes invités avaient l'air de paysans sans grâce. (でも休暇中ですら彼は劇場を意識していました。ひと泳ぎの後、彼はターバンを巻き、ハーレム女の上品さを身に付け、家に移っていました。それにひきかえ、私の客たちには優雅さがなく、田舎者の風情でした。)

"d'une odalisque"(トルコのハーレムの女奴隷の)は直前の"l'élégance"(上品さ)にかかるのは文法上明白。「遊女たちがいるハーレム」と書くならodalisqueは単数形にしないはず。「昼間は海で遊んでいた」という文に続くのだから、この場合の「家に移る」は「宿泊先に帰る」ととらえるのが自然。最初の文の直訳「劇場は彼を捨てなかった」が「本性(この文脈ではセックス狂としか考えられない)は変わらず」になる過程は私には理解不能。
2011.06.27 | URL | #lAnR/NdU [edit]
Telperion says..."『光と影』原文比較 その3"
『光と影』の訳文のうち、あからさまにおかしいものや、原文をたまたま読んだら内容が大違いだったものから、私にとって特にインパクトが強く、また原文をほぼ説明できると思えるものを抜き出してみました。それでもファイル容量にして2/3くらいにしか絞れず、ものすごい量になってしまい、恐縮です。

こうして原本を拾い読みしていると、「白ワインはもう飲まない、シャンパンだけにする」と言った話が章「グラン・ジャンプ」と「光と影」の2ヵ所にあるとか(訳本はあちこちカットされているので「グラン・ジャンプ」には残っていません)、ルディエールの「彼は人格というよりむしろ才能によって突き動かされていました」云々を次の章でテスマーも一言一句違わず言っているとか(これまた訳本からは消えました)、疑問はあります。ヌレエフ版「白鳥の湖」がパリ・オペラ座で受け入れられるまでの苦闘を大騒動で片づけるなど、浅さも感じます。でも風雲児の一代記としては楽しそうな読み物です。冠詞と代名詞と固有名詞以外はいちいち辞書を引くといっても大げさでない私の語学力で原本を読破するのは現実的でないので、訳本をストレスなく読めればよかったのですが、残念です。意味不明な文に頭をかかえるだけならまだしも、原文を見て初めて分かる大きな違いがいくつもあると、いくら正しい訳のほうが多いだろうといっても、どこを信じればいいか分からなくなるので。

本題の前に、Meyer-Stabley自身の誤りと思しき点をもう少し挙げておきます。きちんとした項を書く気力は訳本に奪われてしまったので、要点だけ。

1. ヌレエフの姉ローザの娘は原本ではGizel(訳本では「ジゼル」)だが、Solway本やKavanagh本やネット上の英語の新聞記事や裁判記録(ローザとその娘はヌレエフ財団と遺産争いをしたので名前がそれなりに出てくる)ではGouzel。単なる英仏表記の違いには見えない。

2. ジュドとクレールが結婚したのは、Meyer-Stableyによると1980年のさらに後だが、『パリ・オペラ座のエトワール』によると1977年。Solway本やKavanagh本では、1979年初演のManfredの準備中に新婚とのみ記述。1980を1974(ヌレエフが自分の公演に初めてジュドを出した年)にすれば、この矛盾はなくなるが、今度はトレイシーの出番がなくなる。

3. 章「マーゴット」や「ヌレエフ・ビジネス」にダンサーNadia Merinaの名があるが、1950~60年代にロイヤル・バレエで活躍したNadia Nerinaではないだろうか。ヌレエフやフォンテーン夫妻と食事するほどのダンサーがまったくの無名だとは思えない。

あと、ちょっとした疑問。ロサンゼルスのガラ公演で50歳の誕生日を祝ったとありますが、ヌレエフは50歳の誕生日である1988年3月17日にバリシニコフに招待されてABTのロサンゼルス公演で「ジゼル」を踊りました。Los Angeles Times紙の同年3月3日の記事によると、共演者はMarianna TcherkasskyとLeslie Browneで、ともにABTの一員のようです。全幕バレエへのゲスト出演をガラとは呼ばないような気がするのですが、同年6月27日にニューヨークで催された誕生記念ガラとの混同があるのでしょうか。

それでは行きます。
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P.47 ついに校長はルドルフのポケットから無理矢理アドレス帳を引っ張り出した。校長は彼がレニングラードにいたときに泊まっていたウダリツォーヴァの娘の名前を聞き出そうとしているのだと思った。彼女の電話番号は書いていなかった。が、突然激怒の火がつき、チュルコフは飛びかかって彼の手から手帳を取り上げた。
Le directeur insiste et oblige finalement Noureev à tirer son carnet d'adresses de sa poche. L'apprenti danseur croit s'en sortir en lui donnant le nom de la fille d'Oudeltsova chez qui il est descendu à Leningrad. Il prend cependant soin de ne pas donner son numéro de téléphone, prétendant qu'elle n'en a pas. Soudain, dans une flambée de rage, Chelkov bondit et lui arrache le carnet des mains. (校長は執拗に命令し、ついにヌレエフにアドレス帳をポケットから出させた。見習いダンサーはレニングラードで家に泊まったウデルツォーワの娘の名を教えれば窮地から脱け出すだろうと信じた。それでも彼女は電話番号を持たないと主張し、彼女の電話番号を教えないように気を付けた。不意に憤怒に燃えたシェルコフは飛びかかって彼の手から手帳を奪い取った。)

ヌレエフは手帳を出したものの、最初はまだ自分の手に持っている。そうでないと、最後の「シェルコフ(校長の名)が奪い取った」が成立しない。2・3番目の文は、"s'en sortir"が「困難から脱出する」であること、elleが指す女性名詞として適切なのはウデルツォーワの娘しかないことさえ押さえれば、難しくない文だと思う。
なお、フランス語ではchは英語のshと同じ発音。現に、原本ではショスタコーヴィチをChostakovitch、バリシニコフをBarichnikovと表記している。

P.59 八月キーロフのバレエ団は分散してしまったのだ。若きプリマバレリーナは過酷に働きすぎて意欲を失ってしまった。彼女はひたすら筋肉を伸ばして休め、泥風呂につかり海岸に横たわり休養したいと願っていた。ルドルフはひとりでクリミアに旅立とうとしていたが、轟く雷のような電報を受け取るやいなや荷物をほどいた。
Au mois d'août, la troupe du Kirov se disperse. La jeune étoile a travaillé si dur qu'elle n'a plus qu'une envie : se détendre les muscles, prendre des bains de boue, s'allonger sur la plage et ne rien faire. Rudolf part seul pour la Crimée, mais il a à peine défait ses valises qu'un télégramme arrive comme un coup de tonnerre dans le ciel bleu. (8月、キーロフの一座は散り散りになった。若きスターはあまりに過酷に働いたため、望みはもはや一つだけだった。筋肉をほぐし、泥風呂に入り、浜辺に寝そべり、何もしないことだ。ルドルフは単身クリミアに旅立ったが、荷物をほどくとすぐ、青天の霹靂のような電報が届いた。)

この文の前にキーロフの若い女性ダンサーは全く話題になっていない(ドジンスカヤは若くない)。泥風呂も海岸リゾートもあるクリミアにヌレエフが旅立つことから考えても、原文の"La jeune étoile"はヌレエフを指すとしか考えられない。「彼女」という意味で使われることが多い代名詞elleがあるのは確かだが、ここでは女性名詞étoileを受けているに過ぎず、実際の性別とは関係がない。
原文で「荷物をほどく」の時制は直説法複合過去、「電報が届く」は直説法現在なので、前者の方が早く起こっている。ヌレエフがクリミアに出かけたことからもうかがえるとおり、バレエ団が分散したというのは単なるシーズンオフだろう。

P.76 迷いのない決定だった。
Sans doute pas sans hésitation. (疑いはなく、ためらいはないでもない。)

"pas sans"は二重否定。この文は「セルゲイエフがキーロフバレエのヨーロッパツアーにヌレエフを指名した」「セルゲイエフは体制に順応し、ヌレエフは反逆児だった」という2つの文の間にある。「才能はヨーロッパツアーにふさわしいが、性格面ではいろいろ心配だ」というのがセルゲイエフの心情。

P.99 ルドルフは投げ飛ばされた。ヌレエフはこうして二度目の誕生を果たした。「私は見事に放り投げられ、
Et Rudolf se lance dans ce qui sera son fait le plus légendaire : <<Je me lançai : (そしてルドルフは彼の最も伝説的な行いとなることに向かって飛び込んだ。「私は飛び込んだ。)

代名動詞"se lancer"は直訳「自分を投げる」から転じて「身を投じる、突進する」。「ヌレエフはこうして二度目の誕生を果たした」は、原文ではこの後のピエール・ラコットの談話にある言葉。(原文ではラコットは他にもいろいろ言っている。)
なお、この部分の前は原文が難しくて理解していないが、ソ連のエージェントの一人がフランスの警官と格闘に及んだように読める。

P.112 クエヴァス侯爵バレエ団のライモン・ド・ララン団長*1
Raymondo de Larrain, directeur du Ballet de feu le marquis de Cuevas*, (故クエヴァス侯爵*のバレエ団の監督ライモンド・ド・ララン)

注マークがついているが、注の内容は「一八八五年チリのサンチャゴ生まれ。(中略)五一年クエヴァス公爵(原文ママ)バレエ団設立。六一年初頭カンヌで死亡」(『光と影』P.124)。原文の注マークの位置からも分かるとおり、これはクエヴァス・バレエの創立者であるクエヴァス侯爵の説明。

P.131 それは慈善公演だった*2。マーゴットが念を押していたように
C'est pour une œuvre de bienfaisance, lui assure dame* Margot : (これは慈善活動のためのものだとデイム*・マーゴは請け合った。)

注の内容は「女王が著名人に授ける栄誉」(『光と影』P.142)。原文での注マークの位置から分かるとおり、これは称号「デイム」の説明。

P.138 この時期マスコミは、キーロフで15か月後に引退を控えたセルゲイエフの噂を聞きつけていた。彼はヌレエフが即興で他のダンサーの代役を務め、あふれるような才能と決断力を証明したとほめそやした。
La presse de l'époque y voit comme un écho du retrait, quinze mois plus tôt, de Sergueev pour la saison du Kirov et encense Noureev d'être capable de remplacer au pied levé un autre artiste en faisant preuve d'autant de talent et de sens de la décision. (この時期の報道はこのことをセルゲイエフが15か月前にキーロフのシーズンを辞退したことの反映として捉え、ヌレエフがぶっつけ本番で別のアーティストの代役になれること、その際に才能と同じくらい決断のセンスがあるのを証明したことをほめそやした。)

構文上、ほめそやす(encense)の主語はマスコミ。
"quinze mois plus tôt"は「15か月早く」。ちなみに、この文は1962年1月のことだが、1992年4月11日のNew York Timesの記事によると、セルゲイエフは1961年にダンサーとして引退し、1970年にキーロフバレエ芸術監督の地位を失った。
"voit comme un écho"(反映として見る)の意味は残念ながら十分には分からないが、ソ連ダンサーの世代交代の象徴としてセルゲイエフが引き合いに出されたようには見える。

P.140 ルドルフが完璧に達するには四三歳になるのを待たねばならないはずだった。
Il lui aura fallu attendre Rudolf pour atteindre, à quarante-trois ans, la perfection. (彼女が43歳で完璧に達するには、ルドルフを待たねばならなかったのだろう。)

原文の実質的主語はlui(三人称単数の代名詞で男女とも可能)。前の文が「そしてフォンテーンはジゼルになった」であることや、当時の年齢から、luiは間違いなくフォンテーン。

P.156 テイト・アリアスの方に向きました。そして"この電話はあなたにだ!"と受話器を投げつけたのです。
et, se tournant vers Tito Arias, a lâché : "Le coup de fil est pour vous!" (そしてティト・アリアスの方に向き直って叩きつけるように言ったのです。『電話はあなたにだ!』)

電話がかかってきたと言われて別室に退き、戻ってきたヌレエフの言動。1960年代の電話の受話器が本体から取り外し可能とは思えず、原文に「受話器」に当たる言葉はない。"a lâché"は「放した、投げつけた」などの意味があるが、この場合、投げつけたのは言葉だと取るのが妥当だろう。

P.162 この時代最も成功していたのはアクロバティックな容姿を持っていたダンサーたちで、力強い"ジュテ"は男性の踊りと芸術を象徴し、そのテクニックでルドルフに勝るものはいなかった。
Mais celui qui, à l'époque, réussit le mieux les figures acrobatiques et les puissants << jutés >> qui caractérisent l'art de la danse masculine est incontestablement Rudolf. (しかしその時代、男性舞踊の技術の特徴であるアクロバティックなフィギュアと力強い「ジュテ」に最も成功した者は、文句なしにルドルフである。)

figureは確かに「顔つき」という意味の方が普通のようだが、原文ではジュテとともにréussit(成功する)の目的語となっているので、「(バレエやダンスなどの)フィギュア」だと取らないと意味が通らない。それに「容姿」の形容として「アクロバティック」はちょっとあり得ないだろう。

P.183 エリック・ブルーンとの関係はロシアでは周知のことだった。
On l'a vu, la relation avec Erik Bruhn a connu des montagnes russes. (見てのとおり、エリック・ブルーンとの関係は波乱万丈だった。)

montagnes russesは直訳すると「ロシアの山」だが、辞書に載っている訳語は「ジェットコースター」。上記の文は直訳すると「(不特定多数の)人がこれを見た、エリック・ブルーンとの関係がジェットコースターを体験した」。

P.186 彼らの関係にひびが入ることは全くなかったが、
Mais leur relations s'en trouveront dégradées à jamais. (しかし彼らの関係は永久に悪化する。)

jamaisは「決して~しない」という意味で否定語neと併用されるが、この文にneはない。"à jamais"は「いつまでも、永久に」。

P.193 カプリ島付近のリ・ガリ島の家(ルドルフは岩でできた大邸宅を

原文で「リ・ガリ島の家」に相当するのは"l'île de Galli"(ガリ島)、「岩でできた大邸宅」に相当するのは"ce piton rocheux"(この岩だらけの鋭鋒)。つまり家ではなく土地のことを言っている。

P.198 バリシニコフやマカロワたちは後に続いたにすぎません」。ヌレエフは次第に売れっ子の歌手や指揮者たちと共演するようになった。
Avec Noureev, la danse a enfin une star aussi bien payée que la crème des chanteurs ou des chefs d'orchestre. << Les autres n'ont eu qu'à suivre, comme Barichinikov ou Makarova >>, rappelle Rosella Hightower. (ヌレエフの登場で、ダンスにはついに最上級の歌手や指揮者と同じくらい高い報酬を得るスターが生まれた。「バリシニコフやマカロワのように、他の者は後に続くだけでよかったのです」とロゼラ・ハイタワーは思い起こさせる。)

payéeは「支払われる」。
また、文の順序を変えると、「ヌレエフが初めてダンサーとして高額な報酬を稼ぎ、他のダンサーがその恩恵を受けた」という因果関係が分からなくなる。

P.203 サントロペに所有していたボドラムの邸宅
la maison à Bodrum, le Saint-Tropez turc, (トルコのサントロペであるボドルムの家)

サントロペはフランス、ボドルム(ボドラム)はトルコの都市。両方とも海岸リゾートがあるので、原文では主な読者であるフランス人にボドルムを分かりやすく説明するために、サントロペを引き合いに出したのだろう。

P.203-4 彼は日中人気のない海岸を裸で散歩しながら遊べる相手を物色していました。それはかなり目立つ光景で、またかとうんざりしました。
Il se promenait nu à longueur de journée - un spectacle assez remarquable mais parfois lassant -, à la recherche de plages désertes qu'il serait susceptible d'acheter. (彼は裸で一日中散歩していました。かなり目立ちますが時には飽き飽きする光景でした。そして買うことができる無人の海岸を探していました。)

"la recherche de plages désertes"は素直に「無人の海岸を探すこと」。原文にヌレエフ以外の人を指す言葉はまったくない。この文の後に「獲物を引き裂く前の野獣のよう」などと書いてはあるが、続いてヌレエフが買い物で値切る様子が描写されるので、ヌレエフは物を買うにも全力投球だということが分かる。

P.209 名だたるバレリーナたちとの共演を実現させ、ボリショイバレエ団のコールドバレエを完成させた。
lui a permis une collaboration avec une liste de ballerines assez longue pour constituer un corps de ballet complet au Bolchoï. (ボリショイのコールドバレエを完全に構成するのに十分なほど長いバレリーナのリストと共演できた。)

原文で言いたいのは、ヌレエフが共演したバレリーナがきわめて多く、ボリショイ・バレエの人数並みだというほら(?)話。

P.210 彼に最も忠実だったのはフランソワーズ・ウィルフリッド・ピオレットだった。「世界で最も偉大なダンサー? その地位にい続けることはできませんが、彼は他の誰よりも長くその立場にいました。舞台上で本物の野獣のようになるときがあったにも拘らず、皆はなんとかして彼と踊りたがりました。ヌレエフはマスコミから身に余るほどの恩恵を受けていました」
Plus réservée sera la Française Wilfride Piollet : << Le plus grand danseur du monde ? On ne peut l'être constamment. Lui l'a peut-être été plus souvent que d'autres. c'était une véritable bête de scène... Mais on ne tenait pas tellement à danser avec lui. Noureev bénéficiait de trop de publicité et il y avait d'aussi bons danseurs à l'Opéra. >> (フランス人ウィルフリッド・ピオレはもっと慎重になる。「世界最高のダンサー?常にそうであることはできません。恐らく彼は他の人より何度もそうだったのでしょう。本物の舞台の獣でした…。でも、皆が熱烈に彼と踊りたかったわけではありません。ヌレエフは過剰な宣伝の恩恵を受けていたし、オペラ座には同じくらい優れたダンサーたちがいました」)

"plus réservée"は定冠詞がついていないので最上級ではなく比較級。「もっと慎重」とは、ピオレは前出のフォンテーンやカークランドほどヌレエフを絶賛していないということ。実際、原文では"ne tenait pas" (~熱望しなかった)とか「オペラ座のダンサーも同等」とか書いてある。

P.213 ヌレエフは教養のある人間で、たとえばプルーストの本を熟読しながら書斎に置くのを好まないようなところがあった。
Noureev est un homme cultivé qui ne se contente pas d'avoir Proust dans sa bibliothèque mais l'a effectivement lu... (ヌレエフは教養を身に付けた男で、プルーストを書斎に所蔵するだけで満足するのではなく、実際に読んだ。)

原文は英語の"not A but B"(AでなくB)のフランス語版の構文。

P.214 一九七四年バリシニコフがキーロフバレエ団の巡業でヨーロッパに滞在しているとき、
Lorsqu'en 1974 Barichnikov passe à l'Ouest en profitant d'une tournée du Kirov à Toronto," (1974年バリシニコフがキーロフのトロントツアーを利用して西側を訪れたとき)

この時期に西といえばベルリンの壁の西側であり、ヨーロッパに限らない。実際、この直後にバリシニコフはカナダで亡命した。

P.241 事実この燃えるような黒い瞳をしたラテン人がじっと虚ろな視線を送ると、女性たちは血が騒いで震えあがり身動きできなくなってしまった。この邪神の生まれ変わり、物憂げな野獣、憂いに沈んだよそ者は、キスで窒息させた獲物に蛇のようにからみつき跡形もなく消えていく。いくつかのシーンには簡潔に皮肉交じりの愚弄が込められていた。
En effet, du Latin lover à l'œil de braise, dont le long regard vide de leur sang les femmes frissonnantes et bientôt pétrifiées, du fauve langoureux et du ténébreux métèque (incarnation du Mal), qui s'enroule comme un serpent autour de ses victimes étouffées de baisers, il ne reste ici absolument rien. Sinon, de temps en temps - et brièvement - quelques scènes au niveau de la dérision parodique. Noureev, avec ses yeux clairs, ses pommettes asiates, son rire qui mord et sa tignasse que Russell ne s'est pas résigné à teindre et à plaquer en aile de corbeau, ressemble à peu près à un Italien velouté comme moi à un accordéoniste bavarois. (実際、震えやがて硬直する女たちの血を引かせる眼差しを長い間向ける、炭火のような目をした『ラテンの恋人』、接吻で窒息した犠牲者に蛇のようにからみつく、物憂げな野獣にして闇の異邦人(不幸の化身)のうち、何一つ断じてここに残っていない。もし残っているとしたら、時々、少しの間、パロディ風の嘲弄に等しいレベルの場面がいくつかある。澄んだ目、アジア系の頬骨、刺すような笑い、そしてラッセルがカラスの濡れ羽色に染めてなでつけるのを甘受しなかったぼさぼさの髪をしたヌレエフは、ビロードのようになめらかなイタリア人に大体は似ている。私がバイエルンのアコーディオン奏者に似ている程度には。)

最初の文の主文は"il ne reste ici absolument rien."(何一つ断じてここに残っていない)で、残っていないものの具体的な内容を最初で説明している。この文に比べると以降の文は読みやすい(訳本ではほとんど消されたが)。フランスのジャーナリストがバイエルンのアコーディオン奏者に似ている可能性の低さを考えれば、最後の文は嫌味と取るのが妥当だろう。
なお、この批評の第一文(引用部分の直前)は原文に歯が立たず、訳本の妥当性を問うのは断念した。

P.242 彼は女性的な魅力溢れるValentinoをまねておしろいとポマードを使っているアメリカ男性たちと対戦することになっていた。
Il part aussitôt en guerre contre le mâles américains qui utilisent de la poudre et de la brillantine pour suivre l'example de Valentino, ce séducteur efféminé. (ただちに彼は女のようなこの誘惑者ヴァレンティノの例にならうためにおしろいとポマードを使うアメリカの男に一戦交えに向かった。)

「新聞記者オニールがホテルの男性用トイレでおしろいの自動販売機を発見した」という文に続く部分。原文では「発見した」も「向かった」も同じ時制なので、後者が前者より早く起こったと見なす理由はない。原文は比喩表現を使ってはいるが、つまりオニールは自動販売機を発見した後、「ヴァレンティノごときの真似をしておしろいやポマードを使うとは、今どきのアメリカの男はなんと堕落したことか」といった内容の記事を書いたのだろう。

P.245 この機を逸するとそのエトワールは君臨し続けることになるでしょう。
sinon l'étoile va se ternir. (さもなければスターは輝きを失うだろう)

ternirに「君臨し続ける」などという意味はない。tenir(保持するなどの意味がある)と見間違えたのだろうか。

P.248 「女性たちは彼に抵抗できず足もとに身を投げ出していました」と語るの(原文ママ)バレリーナのリン・シーモア。
<< Des femmes se jetaient à ses pieds, raconte la danseuse Lynn Seymore, et il ne pouvait pas résister. >> 「女たちは彼の足もとに身を投げ出し、彼は抵抗できませんでした」とダンサーのリン・シーモアは語る。

後半のilは三人称単数の男性名詞の代名詞なので、抵抗できなかったのは彼(ヌレエフ)。ヌレエフより女の方が積極的だったのは意外ではない。

P.251 巨大な力を持つ組合と経営陣の間に挟まれ、反抗的な多くのダンサーたちは出演のキャンセルを余儀なくされた。
Entre des syndicats hyperpuissants, une administration tentaculaire et des danseurs récalcitrants, nombreux sont ceux qui ont été contraints de déclare forfait. (強大な労働組合、多岐にわたる管理、服従しないダンサーに囲まれ、多くが棄権の表明を強いられた。)

「リファール後のパリ・オペラ座芸術監督は誰も成功しなかった」に続く文。原文でdanseurs(ダンサー)はsyndicats(組合)やadministration(管理)と並んでおり、この文の主語はnombreux(多数)。短期で辞めた芸術監督たちを指すのだろうが、申し出を蹴った候補者も含まれるかも知れない。「棄権の表明」は直訳。
"administration tentaculaire"は労働組合やダンサーに並んで監督をおびやかすものだから、オペラ座総裁を初めとする上層部のことと思うが、適切な訳語を当てられなかった。

P.271 伝統的な振付は基本的に口頭伝承であり、バレエの輝かしい露仏時代(一八二二 - 一九一〇)に復元されたのもいくつかのパドドゥーやバリエーションなど僅かでしかない。それ以外はViollet-le-Ducによって再考され、ヌレエフはさらに完璧な大作に再構成した。
La tradition chorégraphique étant essentiellement orale, il ne subsiste en fait que peu de chose, dans ces pieuses restaurations, de l'illustre maître de ballet franco-russe (1822-1910) : quelques pas de deux et variations, parfois un acte entier, le reste étant entièrement repensé par nos Viollet-le-Duc du chausson. Noureev a reconstitué le monument complet : (振付の伝統は基本的に口頭であり、この敬虔な復元のなかに、高名なフランス系ロシア人バレエ・マスター(1822-1910)のものは実はごくわずかしか現存しない。いくつかのパ・ド・ドゥーやヴァリアシオン、時には一幕全体であり、残りはシューズを履いた我らがヴィオレ=ル=デュクによって全部再考された。ヌレエフはモニュメントを完全に再建した。)

ヌレエフ版「ドン・キホーテ」の注の一部。(1822-1910)はマリウス・プティパの生没年(生年には異説もあるそうだが)。プティパの名は注にはないが本文にある。原文中のfranco-russeとは、プティパがフランス人だが後にロシアに移住したことを指す。
最初の文は、プティパの振付が後世にあまり伝わらなかった事情を説明している。プティパの振付は自らの考案では?
ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク(1814-1879)は多くの中世建築を復元したことで名高い建築家。「シューズを履いた我らがヴィオレ=ル=デュク」(nos Viollet-le-Duc du chausson)とはもちろん、多くのプティパ改訂版を世に送り出したヌレエフのこと。
2011.07.18 | URL | #lAnR/NdU [edit]
ミナモト says..."Re: 『光と影』原文比較 その3"
レスが遅れてしまいすみません! 原著に踏み込んだ膨大な調査、それに温かなメールまで頂き本当にありがとうございました。
誤りの多い本が出版されてしまったのは遺憾ですが、こうして真実を知ることができるのが救いです。
でも、どこに間違いがあるのかわからない状況で、比較作業を行うのは困難なことでしょうね……。

コメント欄だとスクロールが大変で見づらいかなと思ったので、原文比較の内容を転載した個別記事を作成中させて頂いてます。
完成した際は、修正点などありましたらご遠慮なくお知らせください。


50歳の誕生日の『ジゼル』全幕公演について。
ガラというのは本来「祝祭」「特別な公演」という意味だと聞いたことがあります。
調べてみたら、世界バレエフェスティバルでのドン・キホーテ全幕公演を「ガラ」と称している事例が見つかりました。
海外ではどうなのかわからなかったのですが、ヌレエフの50歳の誕生日公演は充分特別なものですし、全幕でも「ガラ」と言ってもおかしくないのかもしれません。
単なる混同ミスの可能性も高いけど、絶対に間違いとは言い切れないという、微妙なところですね。作品タイトルが示してあればよかったのですが。

本の内容に大きく関係しない部分ですが、P.284の「はちみつ漬けのきゅうりを用意してくれた女性」というのは「子供のころ世話になった人」くらいの意味かな?と思いました。
それとP.268の「昇進」(推進)のくだり。ダンスマガジンのインタビューでジュドが「妻はヌレエフに気に入られたダンサーのひとりでした」と語っていたので、クレールもそこそこ重用されていたんじゃないかと思います。ギエムやゲランと較べると地味な印象ですが……。
でも、ヌレエフのがピエトラガラを評価していなかったのはほぼ確実みたいですね。そういう話は本当にあちこちで聞きますから。(ということは、やっぱり適当に名前を挙げてるような……。やっぱり微妙)
2011.07.21 | URL | #GO4Dvn22 [edit]
Telperion says..."『光と影』原文比較 その4"
『光と影』の原文比較、またたまってきたので放出します。コメント欄の食いつぶしにもほどがありますが、知るとしゃべりたくなってしまいます。前に比べると、伝記の主役であるヌレエフの逸話や評判を優先して選んだせいか、小さな指摘が混ざっています。2番目の項なんて、原文との違いは小さいのに、かきたてられる感傷の差が大きく、リストに入れてしまいました。そんなだからまたすごい量になるのですが。

『光と影』だけを読みながら疑念にとらわれていたころに比べると、原本を読みかじってかなりほっとしました。今も現役出版中のヌレエフ伝記ですから、フランスだけでもそれなりに筋が通った内容のほうがよいです。『光と影』は読みやすく平板でない文章を心がけていると思えるだけに、正確さについては残念でなりません。

Meyer-Stableyはバレエに明るくないのが弱みですが、フランスで現役出版中のもう1冊のヌレエフ伝記"Noureev : l'insoumis"は、著者Ariane Dollfusがバレエ業界のジャーナリストということで、その点では安心でしょう。どちらかというとこちらの邦訳が読みたいですが、500を超えるページ数がネックですね。もっと短い『光と影』やデュポンの自伝が抄訳になってしまう現状では。

それでは行きます。

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P.14 ルディクは長女ローザ、次女ラジダと幼稚園に通うようになり、スポーツスクールにも行った。三七年に耳の病を発病した三女リリアは、聴力回復のため聾唖学校に通っていた。
Rudik va bientôt au jardin d'enfants avec sa sœur Razida, âgée de cinq ans. Rosa, l'aînée, fréquente une école de sports, tandis que Lilia, tombée malade en 1937, suit des cours pour sourds et muets, bien qu'elle entende encore un peu. (ルディクは間もなく5歳の姉ラジダとともに幼稚園に通うようになった。最年長のローザはスポーツ学校によく通った一方、リリアは1937年に発病し、まだ少し聴力があるにもかかわらず、ろうあ者向けの授業を受けていた。)

訳本ではカットされたが、原本によるとルドルフが生まれたときローザは10歳、リリアは5歳、ラジダは3歳。つまりラジダは三女でリリアは次女。ローザは弟とともに幼稚園に通うには年上すぎ、原文でも幼稚園でなくスポーツスクールに行った。encoreには「再び」という意味もあるが、ここでは"bien que"(にもかかわらず)とともにあるので、「まだ」のほうが意味が通る。

P.23-24 私設の天文台によじ登っているかのどちらかでした」彼は小高い丘に登って何時間でもウーファの人びとの様子やゆっくり出発し徐々にスピードを上げていく汽車を飽くことなく眺めていた。日曜日になるとガウンを羽織った人が元気よく街を闊歩していた。彼らは毎週蒸し風呂に入りに来る。パジャマ姿の人や入浴後に体を叩くため小さな白樺の葉を持っている人もいた。
soit à grimper jusqu'à mon observatoire privé. » C'est une petite éminence du haute de laquelle il observe pendant des heures les gens d'Oufa. Le samedi, de petits groupes d'hommes trottent d'un pas vif, en peignoir, parfois même en pyjama. Ils viennent prendre leur bain de vapeur hebdomadaire. Certains portent un petit balai de feuilles de bouleau pour se fouetter après le bain. Mais une autre raison lui fait choisir cet observatoire : de là il domine la gare d'Oufa. Il y reste assis des heures, à regarder les trains démarrer lentement et prendre de la vitesse. (私だけの展望台に登るかのどちらかだった」これは小さな丘で、彼はこの高さからウーファの人々を何時間も観察した。土曜日には少人数のグループがガウンやときにはパジャマすらを着てきびきびと歩く。週一回の蒸し風呂に入りに来るのだ。風呂上りに体を叩くために白樺の葉の小さなほうきを持つ者もいる。しかし彼がこの展望台を選んだ理由はもう一つあった。そこからはウーファの駅を見下ろせたのだ。彼はそこに何時間も座ったまま、列車がゆっくり発車し、加速していくのを見つめた。)

observatoireは丘の比喩で、幼いルドルフはここから地上を眺めていた。「天文台」はobservatoireの主要な意味ではあるが、この場合は比喩としてもふさわしくない。また、遠くに憧れるルドルフにとって、ウーファを離れる列車は特別なものだった。

P.55 簡単にこなせてしまうために
parce qu'il peine à réussir un pas, (パに成功するのに苦労したために)

ワガノワでキャリアの遅れを取り戻すべく猛練習を重ねたヌレエフ。動詞peiner(苦労する)を「簡単にこなせる」とは解釈するのは無理だろう。

P.73-74 彼は舞台に登場したデンマークのスターダンサー、エリック・ブルーンを食い入るように見つめた。しかし彼は東ドイツ巡業に出発し、
il veut désespérément voir se produire la star danoise Erik Bruhn. Mais il est envoyé en tournée en Allemagne de l'Est. (彼はデンマーク人のスター、エリック・ブルーンが出演するのを死ぬほど見たかった。しかし彼は東ドイツのツアーに送られた。)

1960年9月にアメリカン・バレエ・シアターのモスクワ公演が行われたときのこと。ヌレエフがこのときブルーンの踊りを直接見ることは、当局の妨害でかなわなかった。

P.77 ヨーロッパ行きに際しルドルフに与えられた許可は、驚くべきことに既婚ダンサー用のものだった。
L'autorisation accordée à Rudolf est d'autant plus surprenante que seuls les danseurs mariés sont autorisés à partir en tournée en Occident. (西側のツアーに出発することを許可されるのは既婚のダンサーだけなので、ルドルフに下りた許可はなおさら驚くべきものである。)

"d'autant plus A(形容詞) que B(節)"は「BであるだけますますAである」という意味。反抗的であるほか、独身であることも、ヌレエフが西側行きを許可されるには不利な材料だったということ。

P.81 ルドルフはオペラ座のダンサーについて攻撃的な批判を試みた。
Rudolf tente une offensive de rapprochement avec les artistes de l'Opéra. (ルドルフはオペラ座のアーティストたちと接近攻撃を試みた。)

rapprochementは「接近」。文字の並びは仏語reprocheや英語reproachment(いずれも意味は「非難」)と似ていなくもないが。この後を読むと分かるとおり、ヌレエフはオペラ座のダンサーに至極友好的に話しかけている。offensive(攻撃)とは、外国人に対する態度としてはあまりに積極的で、KGBににらまれるのが目に見えている行動を指すのだろう。

P.82 反順応主義者としての評価とお粗末なマスコミによって、五日目の公演からしか出演できなかったのだ。
sa triste réputation de non-conformiste lui vaut de ne faire partie que de la cinquième représentation, une fois l'intérêt de la presse émoussé. (反順応主義者という良からぬ評判がある彼は、マスコミの関心が鈍くなった5回目の公演に出演する価値しか認められなかった。)

直訳は「彼の反順応主義者という良からぬ評判は、ひとたびマスコミの関心が鈍くなったとき、5回目の公演に出演する価値しか彼に与えなかった」。ヌレエフが脚光を浴びるのを嫌い、マスコミが詰めかける最初の公演にはヌレエフを出さないという、キーロフのお偉方のもくろみを説明している。

P.97 空港管理事務所
la sûreté nationale (警察)
P.97 出入国検査官
les inspecteurs (刑事)

クララがヌレエフをモスクワ送還から救うために駆け込んだ先が"sûreté nationale"。これは当時の警察に当たる組織。フランス内務省サイトでフランス警察の歴史を記したhttp://www.interieur.gouv.fr/sections/a_l_interieur/la_police_nationale/histoireに記載がある。
クララの話を聞き、手を貸したのが2人のinspecteur。inspecteurには「検査官」のほかに「(私服)刑事」という意味もある。原本ではこの2人はpolicier(警官)ともよく呼ばれる。注(『光と影』ではP.104)で2人が"commissaire divisionnaire"と"commissaire principal"であることが明かされているが、これらは警察の階級名。

P.104 世界中のプリンターでは彼の名前が駆け巡っていた。ソヴィエトへの外交上の記録には、ヌレエフの政治的保護要求は、核実験や非武装に関する交渉をアメリカ合衆国が拒否したことと同様に曖昧に記述されていた。
Toute la journée, son nom a crépité sur les téléscripteurs du monde entier. La demande d'asile politique de Noureev occulte même le refus des États-Unis de lier les négociations sur le désarmement à celles sur les essais nucléaires, en réponse au mémorandum soviétique. (一日中、世界中のテレプリンターで彼の名が音を立てた。ヌレエフの政治的保護申請は、合衆国がソ連の外交上の覚書への返答で非武装に関する交渉を核実験に関する交渉と結びつけることを拒否したことの影すら薄くした。)

第2文の主語、述語、目的語が明確に分かるように修飾部分を省いて直訳すると、「ヌレエフの政治的保護申請は合衆国の拒否を隠した」となる。ヌレエフ亡命のニュースが世界中に広まったという第1文に続いていることと考え合わせると、この文の意味は、ヌレエフ亡命が冷戦時代の緊張の高まりをもしのぐ大ニュースとして取り上げられたということだろう。

P.128 それは炎と氷の出会いであり、同時に天使と悪魔の邂逅でもあった。
En fait, les deux danseurs blonds se ressemblent : c'est la rencontre du feu et de la glace. Ils sont à la fois ange et démon. (実際、ブロンドのダンサー2人は互いに似ており、それは火と氷の出会いである。彼らは同時に天使と悪魔である。)

原文はまず「2人は似ている」と切り出し、その類似点とは正反対な2つの性格を内包していることだと述べている。訳本ではなぜか「2人は似ている」という間違いようがない文が消されたり、最後の文の主語が「彼ら(ils)」でなく「それ」にされたりしたため、2人が正反対の性格であるように読める。

P.130 ヌレエフは年齢だけでなくバレエテクニックにおいても、エリックに追いつき支配したがるようになった。
Noureev en vient à envier l'équilibre et la maîtrise de soi d'Erik. Ce n'est pas seulement une question d'âge, davantage une différence de tempérament et d'éducation. (ヌレエフはそのことでエリック自身のバランスとコントロールをうらやむようになった。年齢だけの問題ではなく、それより気質と教育の違いである。)

訳本は「ヌレエフが年齢においてエリックに追いつきたがった」と読めるが、そんな無理なことを願えるとは思えない。原文で年齢が引き合いに出されるのは、エリックのほうがテクニックが緻密なのは単に年上だからではないという意味に読める。

P.150 ヌレエフは楕円形の部屋にあった大統領の椅子に座りたいとためらうことなく言ってのけて名を上げた。
Noureev s'illustre en ne résistant pas à l'envie de s'asseoir dans le fauteuil du Président dans le bureau ovale. (ヌレエフは楕円形の執務室にある大統領の椅子に座りたいという欲望に抵抗しなかったことで有名になった。)

ヌレエフは実際に大統領の椅子に座ったように読める。ちなみにSolway本のペーパーバックP.275での記述は、"The minute she left, Rudolf made a dash for the President's chair. He wanted to know what power really felt like."(ジャクリーンが部屋を出た途端、ルドルフは大統領の椅子に突進した。力の感触がほんとうはどんなものか知りたかったのだ)。

P.164-165 ルドルフは辛辣な蔑視や酷評する人びとの冷笑や鮮烈な皮肉をさらりとかわし、熱意や礼儀正しさ、また怒りも粗暴さも理解できました。仕事に対する姿勢はほぼ一貫していました。
Rudolf sait passer du dédain glacial au ricanement autodépréciateur, de la chaleur et de la courtoisie au sarcasme tranchant ou à un accès de colère et de grossièreté (presque invariablement à propos du travail). (ルドルフは冷ややかな軽蔑から自己破壊的な薄笑いまで、熱烈さと礼儀正しさから鋭い皮肉や怒りと無礼の激発まで、移り変わることができた(仕事に関してはほとんど変わらず)。)

最初の文の動詞は"savoir passer"(移るすべを知る、移ることができる)だけであり、passer de A à Bは「AからBに移る」。この文はヌレエフの気分屋ぶりを述べており、取り上げられる感情はすべてヌレエフのもの。

P.167 バカンスの間、彼は人びとに取り巻かれイライラしていた。あらゆる著名人同様彼は有名人らしく振舞っていたが、
En vacances, Rudolf peut rendre son entourage nerveux. Comme tous les gens célèbres, il a une attitude ambivalente sur le fait d'être reconnu. (休暇の時、ルドルフは周囲をぴりぴりさせることがあった。すべての有名人と同様、彼は知られていることに相反する態度を取っていた。)

ナーバスになったのは取り巻きのほう。その理由は、ヌレエフがambivalente(「アンビバレント」は日本語でも通じる概念だろう)だったから。

P.194 家々には豪華な家具が施されていたが、その他はほとんど何も置かれていなかった。
Certaines de ses maisons sont somptueusement meublées, d'autres presque dépouillées. (彼の家のうち、あるものは贅沢に飾られ、別のものはほとんど装飾がなかった。)

物が多い家と少ない家が別にある。ヌレエフは絵画や骨董品なども部屋に置いている。

P.194 また同じ場所にアリ・ババの洞窟とジンギス・ハーンのテントも置かれていた。
L'endroit tient à la fois de la caverne d'Ali Baba et de la tente de Gengis Khan. (その場所はアリ・ババの洞窟とチンギス・ハーンのテントを同時に受け継いでいた。)

tenir de は「~に似ている、~を引き継ぐ」。アリ・ババの洞窟やチンギス・ハーンのテントとは、部屋の所蔵品でなく部屋の印象。

P.210 彼は踊っている間ずっと芸術性において対等であるという印象を与えてくれ、その才能を表現するのにサポートは不要でした。
Il me donna l'impression durant les rappels que j'étais son égale en art, et non une béquille nécessaire à l'expression de son talent. (カーテンコールの間中、彼は私が芸術において彼と対等な存在であり、彼の才能を表現するために必要な松葉杖ではないという印象を与えてくれました。)

文中のnonはnécessaire(必要な)でなくbéquille(松葉杖)を否定している。ヌレエフがパートナーに敬意をもって接したという話。

P.211 実際ヌレエフが、テクニック的に問題があり才能も経験もないバレリーナで実力以上にみせてあげた人は僅かしかいなかった。
En fait, peu de danseurs ont plus d'habileté que Noureev pour présenter les ballerines à leur avantage, ni une expérience plus variée de leurs divers problèmes techniques. (実際は、バレリーナを有利になるよう見せるスキルがヌレエフより多いダンサーも、彼女たちのさまざまなテクニックの問題をヌレエフより多様に経験したダンサーも、わずかしかいない。)

わずかしかいないのはdanseur、つまり男性ダンサー。この文は男性ダンサーがパートナーをサポートする技能や経験について述べている。

P.222 パリのデザイナーたちは、このバレエ界の王子がほとんどボヘミアンのような装いだったと批判している。
Le prince de la danse, que les couturiers parisiens se disputent, est la plupart du temps vêtu comme un bohémien. (パリのデザイナーが奪い合う舞踊の王子は、大抵はボヘミアンのような装いだった。)

直接目的語が付く"se disputer"は「(目的語)を得ようとして争う」。ファッション界でヌレエフがたびたびテーマになっていることから見ても(具体例はこのサイトで詳しいですね)、ヌレエフの服装は当時から一目おかれていたと見るべきだろう。

P.238 アラブの族長用のジェラバ(アラビア人が着るフード付きのゆったりした長衣)や血まみれの論争の場面に使うスペイン製のブーツ。
ses djellabas pour des scènes du Cheik ; ses bottes espagnoles pour les scènes d'Arènes sanglantes. (「シーク」の場面用のジェラバや、「血と砂」の場面用のスペインのブーツ。)

"Le Cheik"や"Arènes sanglantes"はヴァレンティノ主演映画で、英語の原題に基づく邦題もある。映画の内容をふまえて仏題"Arènes sanglantes"を訳すなら、「血に染まる闘牛場」といったところ。

P.248 飛行機と列車を乗り継ぎホールとホテルをひっきりなしに行き来していたヌレエフは、エピナルの絵をよく描いていた。このアーティストの唯一の故郷は芸術であった。
Rudi le Terrible, l'homme des avions, des hôtels, des trains, le danseur qui ne s'arrête jamais, illustre en fait assez bien l'image d'Épinal selon laquelle la seule patrie d'un artiste, sa seule famille, c'est son art. (恐るべきルディ、飛行機やホテルや列車の男、決して立ち止まらないダンサーは、実際のところ、芸術家の唯一の祖国、唯一の家族は芸術であるという通俗的なイメージの十分な好例となっている。

エピナルで通俗的な版画がさかんに製造されたことから、紋切り型の見方のたとえとして"image d'Épinal"が使われる。artiste(芸術家)に不定冠詞が付いていることから、芸術家の故郷が芸術だけというのはヌレエフに限定されない一般論。

P.255 「ルドルフは踊りすぎる」 しかし当のヌレエフはストライキの危険性に気づきながらも態度を変えようとせず、耳に入ってくる批判も聞き流していた。
Mais il poursuit en déclarant. « Rudolf danse trop. » Et il laisse entendre que s'il ne change pas de comportement de ce point de vue il risque une grève. (しかし彼は続いて宣言した。「ルドルフは踊りすぎる」。そして、この観点から振る舞いを変えなければストライキを辞さないと理解させた。)

デュポンがインタビューでヌレエフの功績を認めているという文に続く部分。ここもやはりデュポンの発言の説明。文中のs'は英語のifに当たるsiの省略形だが、『光と影』ではこれが見落とされている。

P.256 その出来事はモニク・ルディエールやミシェル・ドナールなどルノーのレッスンを熱心に受けていたエトワールダンサーたちの耳にも入ってきた。エトワールたちは共通点があり好みにあったクラスを選択していた。教師とトップレベルのダンサーたちは共謀し監督は誤った行動をしたと判断された。
Quand on sait que de nombreuses étoiles, telles Monique Loudières et Michael Denard, sont des assidus des leçons de ce professeur (car les étoiles choisissent leurs cours par affinités) et qu'il peut y avoir une grande connivence entre professeur et danseurs de haut niveau, on prend la mesure du faux pas du directeur. (モニク・ルディエールやミカエル・ドナールなど、多くのエトワールがこの教師のレッスンの熱心な生徒だということ(なぜならエトワールは自分のレッスンを類似性をもとに選ぶから)、そして教師とハイレベルなダンサーの間に深い暗黙の了解がありうることが知られると、監督の過失が判断された。)

この文の主語onは不特定の人々を指す。エトワールたちの反応はこの文でまったく書かれていない。
connivenceは「共謀」が主な意味だが、一部の仏和辞書に載っている「暗黙の了解」のほうがここでは合うと考え、試訳で採用した。この文全体の意味は、ヌレエフとルノーの事件を耳にした人たちが「名エトワールたちに尊敬されるルノーが悪いとは思えない」と反応したということだろう。

P.274 いつの時代も芸術の世界は、ホモセクシュアルの人びとにとっては試練の場である。二十世紀には更に厳しい状況だった。同性愛者たちは白日のもとで生きることを嫌い、文学、彫刻、絵画、写真、振付など創作分野で仲間たちと出会い自分を晒しその掟を受け入れていた。
Le milieu artistique a toujours été le creuset le plus évident de l'homosexualité affichée, affirmée, à toutes les époques. Au XXe siècle, il l'a été plus encore, car l'homosexualité ne se contente pas d'y être vécue plus ou moins au grand jour, elle s'y raconte aussi, elle s'y dévoile, elle impose ses codes dans le cadre de la création littéraire, plastique, picturale, photographique et chorégraphique... (
いつの時代も芸術の環境は常に誇示され、確立された同性愛のもっとも明白なるつぼであった。20世紀はさらにそうだった。なぜなら、同性愛は多かれ少なかれ白日のもとで生きたことだけでは満足せず、なおかつ自らを語り、自らをさらけ出し、文学、彫刻、絵画、写真、そして振付の創作範囲内で自らの規範を負わせたからだ。)

creusetの本来の意味は「るつぼ」だが、「試練の場」「多くが集まる場所」両方の比喩に使われる。ここでは「同性愛者が多く集まる場所」ととらえないと、オープンな形容が原文にこれでもかと並んでいることや、同性愛者と知られながら活動する芸術家が西側では多い状況とのつじつまが合わない。

P.279 短く話すときには英語を、怪我をしたときにはロシア語を
l'anglais pour l'usage courant, le russe pour les injures (普段使うには英語を、罵倒にはロシア語を)

courant(日常の)もinjure(罵倒)も仏和辞書にある普通の意味。英語のinjure(怪我させる)とは別物。

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最後に、訳本がおかしいという確信が上記のものほどはないのですが、どうにも違和感をぬぐえない個所を1つ。確信が足りないなら取り上げないほうが無難ですが、個所が個所なので黙殺もしかねました。

P.306 彼は血液を汚染する恐ろしい病気、熱とだるさに打ち勝てず、ウラジオストック行きの列車の中で生まれた時から背負ってきた運命の流れを変えられないことにうろたえていた。
ses mots allaient démontrer que la terrible maladie, la fièvre et la torpeur qui empoisonnaient son sang n'avaient en rien fait fléchir ni effacé ce sens du destin né avec lui dans le train pour Vladivostok. (彼の血液を汚染していた恐ろしい病、熱、そして麻痺は、ウラジオストク行きの列車の中で彼と共に生まれたこの運命の感覚を少しも屈服させも消しもしていないことを、彼の言葉は示そうとしていた。)

直訳のまま。"ce sens du destin"(この運命の感覚)の具体的な意味を聞かれると返答につまります。でも、このインタビューからは「死病といえどもヌレエフの精神まで冒すことはできない」という主張が感じられます。「病には勝てないことを従容と受け入れる」という解釈ならありえるかもと思えますが、「うろたえる」と言い換える気にはなりません。
2011.10.07 | URL | #lAnR/NdU [edit]
ミナモト says..."Re: 『光と影』原文比較 その4"
原文比較の投稿ありがとうございました。
食いつぶしなんてとんでもないです! 小さな指摘が混ざってしまったとのことですが、Telperionさんの訳と解説でやっと意味が通じるようになったと感じた箇所が多かったです。
P.23-24の件は、お気持ちよくわかります。列車での出生や遠くへの憧れ、後にほんとうに列車でレニングラードに向かうことなど、ヌレエフの人生を語るにあたって、丘の展望台のくだりは重要な部分だったと思います。
ちょっとの文章の違いでここまで変わるなんて……。
こちらもブログに転載させていただきますね。分量が多いので、新しいエントリを立ち上げることになりそうです。
ブログの容量の方は全く問題ありません。

私も、フランスで読まれている内容は大分まともだと知って安心しました。
ヌレエフは長い時期を幅広い分野で活躍しているので、本格的な伝記はどうしても長大になっちゃうみたいですね。


P.150の大統領の椅子のエピソードは、フォンテーン自伝の邦訳にも出てきました。
ケネディ夫人が席を外したあと「その間、大統領気分を味わってみようと、ヌレエフは椅子に腰を下ろしたりしていた」という一文があります。座ってますね。
Solway本ではまだ読んでいませんでしたが、dashしてましたか(笑)。

最後の、P.306の一文。自分なりに翻訳サイトで原文をチェックしてみましたが、私にも訳本のほうが変に思えます。
元の文だけだと気づきませんでしたが、確かに文脈的にも「うろたえる」には違和感。
2011.10.11 | URL | #GO4Dvn22 [edit]
Telperion says..."『光と影』原文比較 その5"
こんにちは。遅くなりましたが、"sans doute"に関する修正2つ、ありがとうございました。人様の手を借りてまで修正するのはやや神経質な気がしたのですが、お付き合いくださり恐縮です。
さて、年末に入り、原本探検の時間がなかなか取れなくなりそうなので、抜粋を今放出することにしました。『光と影』では読み流していたものの原本との違いは深刻、という例は前もちらほらありましたが、今回予想以上に増えました。これから書くうちのいくつか(私的にはページ56、94、136、219、220、303あたり)ほどのインパクトがあるものはそうそう見つかるものではなく、もう原本にそれほど残っていないと思いたいですが、全文見るのが無理な以上、うかつに楽天的なことは書けません。

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P.12 ヌレエフという名前はロシア人の名のように厳格な印象を与えないと思います。
Je ne nous considère pas, nous les Noureev, comme des Russes dans le sens le plus strict du mot. (我々、つまり我々ヌレエフ家の者が言葉の最も厳密な意味でのロシア人だとは思わない。)

ここでのcommeは「~のように」でなく、イディオム"considèrer A comme B"「AをBだと見なす」の一部。本書を始めロシア人とよく呼ばれるヌレエフだが、この文の後で語るように、自分を厳密なロシア人だとは見なしていないということ。

P.20 音楽は情熱を生み出す母体となり、間違いなく彼の人生を埋め尽くしていった。
Il ne se doute pas alors qu'elle donnera bientôt naissance à l'unique passion qui va emplir sa vie. (彼の人生を埋め尽くすことになる比類なき情熱が音楽からまもなく生まれるとは、当時の彼は予期していなかった。)

「人生を埋め尽くす(qui va emplir sa vie)」のは『光と影』では音楽のように読めるが、原文では情熱(passion)を修飾している。そしてこの情熱はまだ生まれていないということから、そしてヌレエフに関するいささかの知識があれば、それほどの情熱は音楽に対するものではないと分かる。
"se douter que ~"は「~だと予期する、気づく」。

P.52 レニングラードで出会い、ガールフレンドだったウーファのインナ・グリコーヴァに尋ねてみると、
Sa rencontre à Leningrad avec une ancienne amie d'Oufa, Inna Gickova, va l'amener à s'interroger sur son cas : (ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとレニングラードで会ったことで、彼は自分のケースについて自問することになる。)

原文には男女両方を指しうる代名詞がいくつかあり、これらが分かるように原文を直訳すると「ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとの彼/彼女の出会いは、彼/彼女が彼/彼女のケースについて自問するようにしむけることになる」。3か所とも彼、ヌレエフと解釈すれば意味が通る文になる。
"s'interroger sur ~"は「~について自問する」。「彼女に尋ねる」なら"l'interroger"のはず。
なお、原本の謝辞を読むと分かるが、Meyer-Stableyは文献にはよく当たっていても、ヌレエフを直接知る関係者にはほとんど取材していない。訳本にはここのほかにも「情報を提供してくれた(P.210)」「話してくれた(P.264)」という表現があるが、Meyer-Stableyが自らインタビューしたかのような印象になるのは感心しない。

P.56 キーロフの歴代の芸術家たちの中で比類なきダンサー、コンスタンティン・セルゲイエフ、ボリス・ブレグヴァッゼ、ウラジリアン・セミオノフ、そして後に続くのは間違いなく若きヌレエフだろう。稀に見る一羽の鳥、彼は完全無欠なダンサーというだけでなく、観客をダイナミックな動きや自信に満ちた態度やしなやかな優美さで虜にした。厳しい審美眼を持つ観客たちも、テクニックの不完全さを批判するのを諦めてしまった。
Il serait juste de dire que, s'il y a jamais eu un danseur "noble" totalement étranger à toute la génération d'"académiciens" du Kirov, de Konstantin Sergueev à Boris Bregvadze et Vladilen Semionov, c'est bien le jeune Noureev. Un oiseau rare, en vérité, pas seulement parce qu'il n'est pas un danseur "impeccable", mais parce que le spectateur est à ce point fasciné par l'ampleur de ses mouvements, sa confiance en lui et sa grâce féline que même l'œil le plus vigilant doit renoncer à saisir les imperfections techniques. (コンスタンティン・セルゲイエフからボリス・ブレグワゼとウラジーレン・セミョーノフに至るキーロフの「アカデミズム信奉者」たちの世代すべてと完全に異質なダンスール・「ノーブル」がこれまでにいたとしたら、それはまさしく若きヌレエフだと言ってよいだろう。確かにまれにみる鳥であり、その理由は彼が「非の打ちどころがない」ダンサーでないというだけではなく、その動きの広がり、その自信、その猫のような優雅さに観客が魅了されるあまり、最も用心深い目ですら、テクニックの不完全さを把握する気をなくさざるを得ないからである。)

原文で「完全無欠」("impeccable")は否定されている。現に、ヌレエフのテクニックにあらがあるのはよく言われている。
académicienは仏和辞書だと「アカデミー会員」という訳語しかないが、アカデミックという言葉に「型にはまった」「伝統を守る」という意味合いがあるらしい。そういうキーロフダンサーと関係ない(étranger)スタイルなのがヌレエフだということ。

P.78 五月一一日バレエ団はパリに向けて出発したが、僅か数カ月後キューバのピッグス湾事件は人びとを震撼させ、その一カ月後にはベルリンの壁の建築が始まった。
Quand toute la compagnie s'envole pour Paris, le 11 mai, voilà seulement un mois que le monde a tremblé avec le fiasco de la baie des Cochons à Cuba, et un mois plus tard commencera l'édification du mur de Berlin. (5月11日にカンパニーが総出でパリに飛び立ったとき、キューバのピッグス湾危機に世界が震撼してからわずか1か月であり、1か月後にはベルリンの壁の建設が始まる。)

"voilà A(時間表現) que B(節)"は「BしてからA経過している、A前からBである」というイディオム。ちなみに、ピッグス湾事件は1961年4月、ベルリンの壁の建設開始は1961年8月。原文は壁の建設が早すぎるが、ピッグス湾事件→キーロフ・バレエの出発→ベルリンの壁の建設開始という順序は正しい。

P.86 しかし彼女の見事な栗毛色の髪は赤茶色に輝き、時おり見せる子どもっぽい優しさを帯びた仕草でヌレエフを軽やかに動揺させた。彼女はヌレエフがおずおずとしながらも心を動かされているのを見抜いていた。
Elle a de magnifiques cheveux bruns aux reflets roux, qu'elle secoue parfois légèrement dans un gest tout empreint de douceur enfantine. Elle découvre un Noureev touchant, presque timide. (彼女は赤みがかった茶色の見事な髪をしていて、時おり子どもっぽい優しさがすっかりあらわされた仕草で軽やかにその髪を揺らした。彼女の目に映ったのは胸を打つ、内気に近いヌレエフだった。)

「彼女が揺らした」(elle secoue)という言葉は、クララの髪(de magnifiques cheveux bruns aux reflets roux)を修飾する関係節(qu'elleから文末まで)の一部。
touchantは動詞toucher(心を動かす)の現在分詞。「心を動かされる」なら過去分詞touchéのはず。つまりヌレエフがクララの心を動かした。

P.87 ルドルフはクララを慰めるために寄り添い片時も離れなかった。
Pour se consoler, Clala s'accroche à Rudolf, le quitte le moins possible. (自分を慰めるために、クララはルドルフに愛着を覚え、そのそばからできる限り離れなかった。)

離れなかったのは明確にルドルフでなくクララ。

P.89 外出時には羽飾りのついたターバンを巻くかクロテンの帽子をかぶり、腰にマフラーを巻きつけコサック風のブーツを履いていた。その姿は"バヤデール"に登場する東洋の戦士ソロルであり、"タラスブルバ"の反抗息子アンドレイのようでもあった。
À la scène, sous un turban à aigrette ou un bonnet de zibeline, la taille ceinte d'une écharpe, chaussé de bottes à la cosaque, c'est à la fois Solor, le guerrier oriental de La Bayadère, et Andreï, le fils rebelle de Tarass Boulba. (舞台では、羽飾りのついたターバンを巻くか、クロテンの帽子をかぶり、腰にマフラーを巻き、コサックブーツを履いた彼は、「ラ・バヤデール」の東洋の戦士ソロルであり、同時に「タラス・ブルバ」の反抗的な息子アンドレイだった。)

scèneは「舞台」。羽飾りのついたターバンはソロルの衣装。帽子やマフラーやコサックブーツはアンドレイの衣装と考えられる。

P.92 彼らは年々狭き門を通過してくる。
et ceux-ci, un par un franchissent le portillon, (彼らは1人ずつゲートを通過した。)

"un par un"は「1つずつ、1人ずつ」。多分『光と影』ではunをan(年)と見間違えている。

P.94 すべての状況からルドルフの推測は間違ってはいないと思いました。
Qui disait vrai ? Entre l'attitude paisible du directeur, des policiers, des interprètes, et celle de Rudolf, pris de tremblements, pleurant et au bord de la crise de nerfs, j'hésitais. Un détail me fit cependant penser que Rudolf n'avait peut-être pas tort. (誰が本当のことを言っているのだろうか。監督、警官、通訳の穏やかな態度、そして震えが止まらず、涙を流し、ヒステリーの極限にいるルドルフの態度の間で、私はちゅうちょしました。それでも、細かいことから、ルドルフはもしかすると間違っていないのかも知れないと思いました。)

『光と影』引用文と原文はともに、「ヌレエフは母が病気なので帰国する」というセルゲイエフの言葉と、「ロンドン行きの飛行機が離陸する予定だ」という文の間にある文全部。監督や警官や通訳の態度からは、ヌレエフが絶体絶命だとはラコットには信じがたかったということが、「2つの態度の間でちゅうちょした」という文から分かる。

P.136 ヌレエフはいつも怒り狂い、ほとぼりを冷ますため外出し運河に沿って歩かねばならなかった。
Noureev, toujours frileux, doit sortie et marcher le long des canaux pour se réchauffer. (いつも寒さに弱いヌレエフは、体を温めるために外出して運河に沿って歩かねばならなかった。)

frileux(寒さに弱い)とfurieux(怒り狂った)は似たスペルだが、基本的な意味が「温め直す」であるréchaufferは「冷ます」とだいぶ感じが違う。

P.146 真実の愛を断念するときは
quand elle cède à une affection vraie, (真実の愛に屈するときは)

"céder à ~"は「~に譲歩する、屈する」。戯れの恋に生きていたマルグリットが一途なアルマンの愛に押され、自分も本気になることを指す。

P.157 ヌレエフは公的には深い信頼関係を確認し演技の中では床を共にしていると言いながらも、恋人であったことを否定していた。
Noureev niera toujours en public avoir été l'amant de la danseuse, ajoutant, pour rendre son affirmation plus crédible, que s'ils avaient couché ensemble leur interprétation en aurait souffert! (ヌレエフはフォンテーンの愛人だったことを公の場では常に否定し、自分の主張の信憑性を高めるために、もし2人が共に寝ていたら2人の演技が損なわれただろうと付け加えた!)

原文que以降のヌレエフの発言には「もし」(si)が短縮形s'の形で存在し、si節の動詞coucher(寝る)の時制は直説法大過去、主文の動詞souffrir(損なわれる)の時制は条件法過去。つまりque以降の文は英語でいう仮定法過去完了に当たり、「もし寝ていたら演技が損なわれたが、実際には寝なかったので演技は損なわれなかった」と示唆している。
"rendre son affirmation plus crédible"は「彼の主張をより信頼できるものにする」。

P.201 彼がその完璧な振舞いを愛してやまなかったのは、元ファーストレディ、ジャクリーヌ・ケネディだった。
Il n'y a qu'avec Jacqueline Kennedy qu'il adopte une conduite parfaite, sachant que l'ex-first lady n'aime pas la provocation. (彼が完璧な振る舞いを取り入れたのは、ジャクリーン・ケネディとの間でだけだった。元ファースト・レディが挑発を好まないと知っていたのだ。)

試訳はほぼ直訳。さしものヌレエフもジャクリーン・ケネディの前では完璧な礼儀作法で振舞ったと読める。

P.208 たとえばマリア・カラス。ある夜彼女は決定的な言葉を投げつけた。「ルドルフ、あなたは二度と映画には出られないわ!」それは歌姫自身がパゾリーニの"王女メディア"で経験したことに基づく暗示だったのだが、それを聞いたルドルフの顔色はみるみる青ざめていった。
Ainsi Maria Callas, avec qui le danseur dînera souvent, tant à Monte-Carlo (pendant les années Onassis) qu'à Paris, émettra-t-elle un soir un jugement sans appel : « Rudolf, vous ne ferez jamais de cinéma ! » Allusion de la cantarice à sa propre et brève expérience avec Pasolini dans Médée et au fait qu'elle trouvait les pommettes de Rudolf pâles en comparaison des siennes. (たとえば、マリア・カラスはモンテカルロ(オナシス時代)でもパリでもダンサーとよく食事をしたが、ある晩控訴を認めない判決を下す。「ルドルフ、あなたが映画に出ることはないわ!」歌手はパゾリーニとの「王女メディア」での自身の短い経験、そしてルドルフのほおが自分のほおに比べて青白いと思ったことをほのめかしたのだ。)

原文の"ne ~ jamais"は「一度も~しない」という意味であること(jamaisの前か後にplusが付けば「二度と~しない」という意味になるが)、ヌレエフの最初の映画「ヴァレンティノ」が公開された1977年秋にカラスが死去したことから、カラスの発言はヌレエフが映画に出る前のもの。
"allusion à ~"は「~をほのめかすこと」。原文でàに続くのは"sa propre et brève expérience avec Pasolini dans Médée"と"le fait qu'elle trouvait les pommettes de Rudolf pâles en comparaison des siennes"の2つ。カラスは「私ですら1作だけだったし、私より顔色の悪いルドルフが映画に出られるわけはない」と考えたのだろう。実際にはカラスの予想は外れたが。

P.219 クラシックのレパートリーを卓越したテクニックでこなすヌレエフが、幅を広げてコンテンポラリーダンスに時間を費やそうとしている姿勢を評価している人たちもいた。
même si certains d'entre eux estiment Noureev à tel point inégalable dans le répertoire classique qu'ils déplorent de le voir consacrer du temps à la danse contemporaine. (もっとも、ファンの一部はヌレエフが古典のレパートリーであまりに比類ないレベルにいると評価するがために、コンテンポラリー・ダンスに時間を費やす彼を見るのを嘆いたが。)

「ヌレエフはファンにも絶賛された」に続く部分。"A à tel point que B"は「あまりにAなのでBである」で、原文でBに当たるのは"ils déplorent"以降。déplorer(遺憾に思う)を「評価する」とは解釈しようがない。"même si ~"は「~にもかかわらず」という意味なので、その後に続くのは前の文と反する内容であることは容易に推測できる。

P.220 彼の新たな挑戦へ弾みをつけた。
viennent étayer cet argument. (この議論を支えた。)

この文の主語はヌレエフの古典レパートリーにおけるさまざまな長所だが、長いので省き、述語と目的語のみ引用した。argumentに「挑戦」という意味は見当たらない。この文は先に引用した「ヌレエフは絶賛もされたがコンテンポラリーでは不賛同もされた」という文の直後にあるので、「この議論」とは「ヌレエフがコンテンポラリーに挑戦することは是か非か」であることが分かる。ヌレエフの古典があまりに素晴らしいので、「コンテなんてやらなくていいから古典をもっと踊って!」という声も大きくなったということ。

P.232 そのロシアの誉れ高いダンサーは、ヴァレンチノに依頼されタンゴを教えたという伝説があった。
La légende veut en effet que le prestigieux danseur des Ballets russes ait demandé à Valentino de lui donner des leçons de tango. (というのも、バレエ・リュスの名高いダンサーがヴァレンティノにタンゴを教えてくれるように頼んだということが伝説に必要だったのだ。)

ヴァレンティノはタンゴを教えるのを依頼された側。
主語が物の場合、動詞vouloirには「(目的語)を必要とする、をしなければならない」という意味がある。映画ではヴァレンティノの伝説を語るにあたって、この文でいうダンサー、ニジンスキーにタンゴを教えたという逸話が欲しかったという意味ではないかと思う。実際は、ヴァレンティノとニジンスキーに面識があったというのはこの映画独自のフィクションらしい。
ちなみに、ニジンスキーはバレエ団"Ballets Russes"に所属していた。原文ではrussesが小文字だが、原本にはバレエ関連で間違った記述がいくつか見られるので、これも誤記を疑っている。

P.303 ルドルフは彼曰く"完璧ないでたち"で長い間上演を夢見ていた劇場に向かった。
Rudolf porte la dernière « touche de perfection », comme il dit, à la chorégraphie qu'il rêvait depuis toujours de réaliser. (ルドルフは実現することをずっと夢見てきた振付に、彼の言う最後の「完璧さの色合い」をもたらした。)

"porter A à B"の基本的な意味は「AをBに運ぶ」。この文でAに当たるのが"touche de perfection"、Bに当たるのが振付(la chorégraphie)なので、この組み合わせに合う"porter A à B"は「AをBにもたらす」、toucheは「タッチ、筆遣い」で、振付に最後の仕上げを行ったというのが一番自然な解釈に思える。
toucheは「恰好、外観」という意味もあり、訳本ではヌレエフの姿だと見なしたようだが、振付を劇場と言い換えるのは無理がありすぎるし、dernière(最後の)という形容も変。この文は「ラ・バヤデール」初演前日のことだが、その日に完璧ないでたちなら、翌日もやはり完璧ないでたちで現れるはず。
2011.12.05 | URL | #lAnR/NdU [edit]

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