三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。作品リスト、伝記原文比較等

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Posted by ミナモト on  | 

『光と影』原文比較1

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較。

元はTelperionさんによりコメント欄にまとめていただいたものであり
順序とレイアウトの変更等を行ったほかは、ブログ管理者は内容には手を加えていません。

青字は邦訳の引用、カッコ内はTelperionさんによる翻訳
長いので分割してあります。原文比較その2はこちら

【元記事】
『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめ
『光と影』疑問点メモ

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≪「怪しい部分まとめ」補足部分≫

P.126 インド人の父親とアイルランド人の母親
d'un père indien et d'une mère irlando-écossaise
(インディアンの父親とスコットランド系アイルランド人の母親)

indienはインド人とアメリカインディアンの両方の意味があります。

P.135 魔法の詩
Le Poème magique

原文の段階で間違ってました。

P.210 ギレーヌ・テスマーはロシアのプリマの中でも叙情的なバレリーナだった。
tandis que Ghislaine Thesmar sera lyrique sur l'étoile russe :
(一方、ギレーヌ・テスマーはロシアのスターについては抒情的になる。)

l'étoile russeはヌレエフのことですね。

P.212 さまよえるオランダ人の歌
Chant d'un compagnon errant

compagnonにつくのが定冠詞(英語でのthe)だと2番目の単語がduになり、不定冠詞(英語でのa)だとd'unになります。日本語訳では関係ないので、どちらが正式なのかは追及しませんでした。

 

P.213 彼の末っ子
son benjamin

benjaminには「末っ子」のほかに「グループの最年少者」という意味もあり、ダンサー仲間のなかで特に若い子という意味かなと思いますが、Chinko Rafiqueの年齢が分からないので自信がありません。

P.260 そのためプルミエ・ダンスールに配属されていたマニュエル・ルグリのエトワール指名も気まぐれで行われたのではない。
et, pour que la chose n'ait pas l'air d'un caprice, celle également de Manuel Legris, un premier danseur distribué dans son ballet.
(そして、ことが気まぐれの雰囲気にならないようにするために、彼のバレエにキャスティングされたプルミエ・ダンスールであるマニュエル・ルグリの任命も。)

ベジャールがオペラ座上層部にヴ=アンのエトワール任命を数回提案したという文の後に続きます。

P.284 彼は喜びと共にパートナーを務めたアンナ・イワノワを抱きしめたが、三〇分に及ぶ喝采が静まった頃には失望していた。
Il a eu la joie d'embrasser celle qui lui préparait de délicieux concombres au miel, Anna Ivanovna, mais ensuite, quelle déception, malgré trente minitues d'applaudissements!
(彼はおいしいはちみつ漬けのきゅうりを用意してくれた女性であるアンナ・イワーノヴナを抱きしめる喜びを味わった。しかしその後は、30分の喝采にもかかわらず、なんと失望したことか。)

Solway本によると、ヌレエフがウーファで最初に師事したバレエ教師がAnna Ivanovna Udeltsova。89年のキーロフ公演にも出席しました。Meyer-Stabley原本ではウーファ時代にOudeltsovaとしか書いていないので、89年にいきなりAnna Ivanovnaと書いても読者に分かるわけありません。
「はちみつ漬けのきゅうり」は意味が分からず、いい加減な訳語です。ウデルツォーワが何か手土産を持参した、くらいの想像しかできません。ただし「パートナーを務めた」という意味ではないでしょう。Solway本によるとウデルツォーワは当時100歳です。

P.294 一九八五年八月二日、テレビ番組のインタビューで、スポットライトの陰で麻薬を服用しているのではないかとの指摘に対し、彼は驚くほど誠実に答えている。
Dans une interview étonnamment sincère pour France-Soir, le 2 août 1985, lorsqu'on lui fait remarquer qu'il est un drogué des projecteurs Rudolf avoue :
(1985年8月2日、フランス・ソワール紙のための驚くほど率直なインタビューで、自分がスポットライトの中毒者であると気づかされたとき、ルドルフは告白した)

前置詞deは「~の陰で」という意味にはならないと思います(文中のdesは"de les"の縮約形で、この場合は英語の"of the"に相当)。
ちなみにFrance-Soirはフランスの大衆紙です。

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P.128 "白鳥の湖"などで独自のバージョンを披露し六七年からスウェーデンロイヤルバレエ団を率いていた。
il a monté ses propres versions de classiques, comme Le Lac des cygnes. Il dirigera le Ballet de l'Opéra royal suédois à partir de 1967.
(「白鳥の湖」などの古典の独自版を上演した。1967年からはスウェーデン・ロイヤル・バレエを率いることになる。)

1番目の文の時制は直説法複合過去(英語の過去形と同じようなもの)、2番目の文は直説法単純未来(英語の未来形とほぼ同じ)です。「白鳥の湖」以外の独自版を当時から上演していたのなら、原文は間違っていないといってもいいでしょう。『光と影』もそうですね。「67年から率いていた」がありえない表現というだけで。

P.150-151 しかし最後の二ヵ所の公演都市サンフランシスコとトロントでは、一連の事件を起こしてしまった。サンフランシスコではヒッピーのパーティに参加し、マーゴットと共に逮捕され、
De ces deux dernières villes il ne conservera pas que des souvenirs d'ordre purement professionnel. À San Francisco, la police l'arrête en compagnie de Margot Fonteyn, à plat ventre sur un toit après avoir participé à une soirée hippie.
(この最後2つの都市については、彼が覚えているのは単に職業的な次元の思い出だけではないだろう。サンフランシスコでは、ヒッピーのパーティに参加した後で屋根の上で腹這いになった彼を警察はマーゴ・フォンテーンと共に逮捕した。)

原文ではこの直前に公演都市が"Paris, New York, San Francisco, Toronto."と列挙されており、「最後の2つ」とは列挙されたうち最後の2つという意味でしかありません。
トロントの記述は原文も『光と影』と同じでした。Nureyev、Toronto、arrestといったキーワードで検索すると、「路上で踊って逮捕された」という記述しかヒットしないし、Solway本でもそうなので、暴行説は初耳です。当時の新聞を読めば確実ですが、さすがにそこまでするのは面倒ですね。

P.170 それは恐らく彼を最も有名にした要素だろう。彼の最良の弁護士であったニゲル・ゴスリングはこう言った。
Celui qui l'a sans doute le mieux connu, Nigel Gosling, a été son meilleur avocat :
(恐らく彼を最も良く知っていた者であるナイジェル・ゴスリングは彼の最良の弁護者だった。)

avocatは辞書にある第一の意味が「弁護士」で、比喩的な「弁護者」の意味もあります。せめて他の場所でゴスリングが批評家であることをきちんと書いていれば、ここで「弁護士」でも誤解を招かなかったのですが。
それより、「それ(鼻持ちならない振る舞いや性格)は恐らく彼を最も有名にした要素だろう」に相当する原文を読んで唖然。『光と影』を読んで「ひどいこと言うなあ」とは前から思っていたんです。ダンサーとしての魅力や影響力より奇行で有名になったなんて。Meyer-Stableyもヌレエフのタブロイドネタは好きそうですが、こんなことを言うほどじゃなくて良かった。

P.176 バイロイト
Beyrouth
(ベイルート)

手元の仏和辞書になくて、フランス語wikipediaで確認しました。確かにBeyrouthはレバノンの首都です。

P.185 ジョージ・バランシンはルドルフがクレオント役を演じた"ル・ブルジョワ"を掲げてニューヨークにやってきた。出演していたアメリカンバレエシアターの生徒たちの中に、ボストン生まれで二三歳の褐色の好青年ロバート・トレイシーがいた。
George Balanchine monte à New York Le Bourgeois gentilhomme (Rudolf joue Cléonte) et ce sont des étudiants de l'American Ballet qui s'y produisent. Parmi eux, un certain Robert Tracy, un beau brun originaire de Boston et âgé de vingt-trois ans.
(ジョージ・バランシンがニューヨークで「町人貴族」を上演し(ルドルフはクレオント役)、それに出演したのがAmerican Balletの生徒だった。その中にいたのが、ロバート・トレイシーとかいう、ボストン生まれでハンサムなブルネットの23歳。)

原文で"School of"が抜けていたとは。「シアター」を追加する前に"Robert Tracy"と"American Ballet"をグーグルで検索していれば、"School of American Ballet"と記述されたページはいくつも出てきたのですが。

P.202 ケンジントンパレスやマーガレット&スノードン大佐夫妻の邸宅など王室関係の場所にも頻繁に足を運んだ。
L'autre demeure londonienne qu'il fréquente souvent est royale : Kensington Palace, la demeure de la princesse Margaret et de son époux lord Snowdon.
(彼が頻繁に通った他のロンドンの住まいは王室の場所、すなわちマーガレット王女とその伴侶スノードン卿の住まいであるケンジントン宮殿である。)

princesseもlordも問題ありません。なお、原文最初の文の主語が単数形であることからも分かるとおり、ヌレエフが通った王室関係の場所はケンジントン宮殿だけです。ケンジントン宮殿にマーガレット王女が住んでいたことは、英語や日本語wikipediaのケンジントン宮殿の項でも触れられています。

P.254 バレエ教師
maîtres du Ballet

原文がこの言葉なのは確認するまでもないのですが、一応。
でも、最近の「ダンスマガジン」で「ローラン・イレールがバレエ教師に就任」という記事が載ったという記述をどこかのブログで見て愕然。パリ・オペラ座バレエ公式サイトの組織説明で3番目にある、"maître de ballet, associé à la direction de la danse"なんていう仰々しい肩書を「バレエ教師」!? それも大手バレエ雑誌で!?

P.263 ヌレエフはパリで最も美しい作品のひとつである"シンデレラ"を上演した。それは一九三〇年代にハリウッドで戯曲化された作品の改訂版だった。
Noureev présente l'un de ses plus beaux spectacles à Paris : Cendrillon, en version new-look, transposée dans le Hollywood des années 1930.
(ヌレエフは彼の最も美しい作品のひとつをパリで発表した。1930年代のハリウッドに移し替えられた、新たな装いの「シンデレラ」である。)

new-lookの訳はいいかげんです。原文だけ見ると、「ハリウッドに移し替えられた」でなく「ハリウッドで移し替えられた=映画化された」と解釈するのはそう変ではありませんね。原文以外にも目を向ければ、その解釈が誤りなのはすぐ分かることですが。

P.264 彼女はクロード・ド・ヴルパンについて話してくれた。「彼は"ロミオとジュリエット"の名場面を再現してくれました。
Quant à Claude de Vulpian, elle confiera : «On retrouve ici les meilleurs moments de Roméo,
(クロード・ド・ヴルピアンはどうかと言うと、彼女は打ち明ける。「ここでは『ロミオとジュリエット』最良の瞬間に再会します。)

"Quant à"には「~に関しては」という訳語もありますが、その後の語りが「シンデレラ」論でヴルピアンが語られていないのを読めば、「プラテルやギエムに話を聞いた、次はヴルピアンの番だ」というニュアンスであることが分かります(初演シーズンでのシンデレラ役はこの3人でした)。語り第一文の主語Onは英語でのtheyのようなもので、特定の人を指さないのが普通です。この場合は観客や出演者一般を指すのでしょう。

P.268 昇進させた。
il propulse

この動詞propulserは辞書によると「推進させる」という意味。『光と影』で直前にある「バレエ団を世界第一線級のレベルに引き上げ」でも原文では同じ動詞が使われています。単に後押しするという意味なら、エトワール相手に使っても間違いではありません。
もっとも、ヌレエフに取り立てられたダンサーとしてクレールが挙がっているのは他で見たことがありませんが、それは別の話ですね。

P.272 オペラ座のコールドバレエ一八〇名中エトワールは男女六名ずつ一二名のみ。
Sur les cent quatre-vingts danseurs qui composent le corps de ballet de l'Opéra, il n'y a que douze danseurs étoiles, six filles et six garçons.
(オペラ座バレエ団を構成するダンサー180人のうち、エトワールは女6人、男6人の12人しかいない。)

corps de balletの訳し方を考えに入れなければ、『光と影』は原文どおり。

P.282 姉のラジダとその娘たちビクトルとユーリ、リリアの娘、姪のアルフィア
sa sœur Razida avec ses fils, Viktor (vingt-cinq ans) et Youri (dix-huit ans), ainsi que sa nièce Alfia, la fille de Lilia.
(姉のラジダとその息子たちヴィクトル(25歳)とユーリ(18歳)、またリリアの娘である姪のアルフィア)

原文では甥たちの年齢があるのですか。また、構文上「姪のアルフィア」が「リリアの娘」の前に来るので、リリアの前に「姉の」がなくても分かりやすいですね。

P.295 ショスタコーヴィッチの音楽を用い、ゴダール論争に基づきポリアコフが彼のために書いたバレエ"Il Cappotto(外套)"を上演した。またフレミング・フリンジの"ベニスに死す"を彷彿とさせるバレエを創作した。
Il présente ainsi Il Cappotto (Le Pardessus), un ballet écrit pour lui par Poliakov sur un argument tiré de Gogol et sur une musique de Chostakovitch. Il crée aussi Mort à Venise, de Flemming Flindt, un ballet à l'atmosphère prémonitoire.
(ゴーゴリから着想したストーリーとショスタコーヴィチの音楽をもとにポリアコフが彼のために書いたバレエ「Il Cappotto(外套)」も発表した。また前兆の雰囲気が漂うバレエであるフレミング・フリントの「ヴェニスに死す」を初演した。)

ゴダールのスペルはGodard。argumentはバレエの文脈では「あらすじ」。「ヴェニスに死す」の原作は、初老の男が最後に死ぬ話だそうですね。また、Kavanagh本によると「外套」制作でポリアコフはフリントに協力しているので、「ポリアコフが書いた」は事実だったようです。

P.304 芸術文化部門のレジオンドヌール勲章
commandeur des Arts et des Lettres

「フランスの勲章はみんなレジオンドヌールだと思う日本の翻訳者より、自国の勲章も知らないジャーナリストのほうが嫌だ」と思っていましたが、後者でなくてとりあえず安堵。

P.304 最後の外出
sa dernière sortie
(最後の退場)

sortieには「外出」「退場」両方の意味がありますが、この日の後にヌレエフが公衆の前に姿を見せることはなかったので、ここでは「退場」と取るべきですね。

P.307 チャイコフスキーのアンダンテカンタービレの第一章
L'andante cantabile du premier quatuor de Tchaïkovski
(チャイコフスキーの四重奏曲第1番の「アンダンテ・カンタービレ」)

原文は妥当。quatuorの後に"à cordes"(弦楽)が付いていればなお厳密でしたが。

P.307 バッハのフーガ一三番の急激な終わり方
La fin brutale de la treizième fugue de Bach

原文も『光と影』と同じでした。

P.315 ヌレエフがパリ・オペラ座バレエ団に招聘した振付家
Chorégraphes invités par Rudolf Noureev à l'Opéra de Paris

原文も『光と影』と同じでした。フランスでは逝去した振付家でも招いたというのか、Meyer-Stableyが深く考えずにタイトルを付けたのかは不明。原本を手にして初めてわかった『光と影』の破壊力に、私もこの程度の表現はどうでもよくなってしまいました。

P.313 ダニエル・エズラロー In the Middle Somewhat Elevated

原文も『光と影』と同じでした。Middleの後にカンマがないのも同じ。

P.313-315 オペラ座作成
création à l'Opéra
(オペラ座初演)

動詞créerの過去分詞と予測していたら、名詞créationでした。


≪「『光と影』疑問点メモ」補足部分≫

P.119 共産主義に共鳴する二〇名ほどが「モスクワに帰れ、タタール人!」とわめいた。
Traître
(裏切り者)

「タタール人」のフランス語はTartare。文字の並びは似ていなくもないですが。

P.142 映画で黒鳥を踊る十九歳のブルーンを観た
ayant vu Bruhn à l'âge de dix-neuf ans dans un film où il dansait le Cygne noir,

原文がこれだと訳文は「映画」を「フィルム」に直すしか添削の余地がなさそうです。もしかしたら19歳なのはヌレエフだと文法的に解釈できるのかもしれませんが、前後でブルーンが触れられているので、引きずられてしまいますね。

P.151 マーゴット、君は僕がどこにいても幸せだったことなんて一度もなかったのを知っているじゃないか
Margot, tu sais que je ne serai jamais heureux nulle part.
(マーゴ、僕がどこにいても決して幸せにならないということを君は知っているだろう)

文中のseraiは動詞être(英語のbeに相当)の単純未来形です。『光と影』訳文は過去完了みたいな言い方ですが、ヒネた感じは原文に共通するかもしれません。うーん、単純な文法なのに難しい。

P.169 一〇分間待った陛下は既に立ち去ってしまった。その時期"王様と私"の公演を終えたばかりのヌレエフは侮辱を受けたのを気にかけた様子だった。
Sa Majesté, agacée, a attendu dix minutes puis est partie. Noureev, qui à l'époque vient de terminer ses représentations du Roi et moi, aura l'air de se soucier de cet affront comme de l'an quarante.
(陛下はいら立ち、10分待ってから退出してしまっていた。その時期、「王様と私」の公演を終えたばかりのヌレエフは、この侮辱をまるで気にしない様子だった。)

私もここは気になり、原文チェックをしていました。『光と影』で何度も創作ゴシップを押し付けられたヌレエフですが、この件では本人の方が上を行っていました(汗)。『光と影』との違いは「気にかけた」と「気にかけない」だけ。前者だとヌレエフが遅刻を後悔したようにも見える分、自分の遅刻を棚に上げて国王が無礼だと言わんばかりの傲岸不遜ぶりがややあせたかなとは思います。

P.178 理想的な体重を維持し、肩幅は広く小柄で腰は細くエジプトの彫像のような見事な体型だった。
Avec son mètre quatre-vingt-huit, il est en dessous de son poids idéal, mais il a la ligne admirable d'une statue égyptienne avec l'ample échappée de ses épaules, sa taille exiguë et ses hanches étroites.
(1メートル88の彼は理想に届かない体重だが、豊かな肩の隙間、細い腰と小さな尻をそなえたエジプト彫像の見事なラインを持っていた。)

「豊かな肩の隙間」は"l'ample échappée de ses épaules"の直訳で、どういう意味かさっぱり分かりません。ただ、細い腰や小さい尻とともに見事な体型を作るのだから、『光と影』の「肩幅は広く」は妥当に見えます。でも「小柄」まで付け加えたのは確かに変ですね。せっかく身長も書いてあるのに。
"il est en dessous de son poids idéal"は「理想の体重より下にいる」。この文と次の文の間にmais(しかし)があるのは、片方は短所、もう片方は長所を述べているからですが、『光と影』ではmaisを無視して長所の連続にしています。

P.195 ザーリスムを持ち出し、
tsarissime,

tsarissimeは副詞のようですが、仏和辞書で見つかりません。まあ、「ツァーリズムを持ち出し」という言葉からの想像と大差ない意味だろうとは思います。

P.204 "ブルーエンジェル"
L'«Ange bleu»

訳本ではフランス語をそのままカタカナにするのが好きなようですが、なぜかここは英語になった上でのカタカナ。

P.233 ヴァレンチノは(以下略)
Pour son premier rôle à l'écran, l'étoile russe n'a pas à s'enlaidir, comme son modèle qui, lèvre pendante et sourcils broussailleux, portait des talonnettes pour se grandir et un corset pour comprimer son embonpoint.
(銀幕上の初主役のために、ロシアのスターは彼のモデルのように自分を醜くする必要はなかった。そのモデルは唇が垂れ下がり眉毛はぼうぼうで、背を高くするためのヒールと肥満を抑えるためのコルセットを持ち歩いていた。)

まったく自信はありませんが、『光と影』とほとんど同じです。納得できないので名前こそ出していませんが、モデルって私もヴァレンチノ以外に思い当たらないので。

P.247 ある番組で、
dans un texte pour le programme du TMP,
(TMPの番組用のテキストで)

TMPはTélévision mobile personnelleの略。携帯電話や乗り物向けのデジタルテレビらしいです。

P.302 一緒に食卓を囲み状況の深刻さを知らない人たちは爆笑しましたが、僕とアランは茫然とし悲嘆にくれていました。皆の了解を得て、
On se serait cru dans une pièce de Brecht : toute la tablée s'esclaffait, inconsciente de la gravité de la situation; seuls Alain et moi étions atterrés. D'un commun accord,
(まるでブレヒトの作品の中にいるかのようだった。食事をしている全員が事態の重大さを意識せずにどっと笑っており、アランと僕だけが茫然としていたことがだ。全員で意見が一致して、)

原文中のコロン(:)は、「直前に書いたことをこれから詳しく説明します」というニュアンスで使われます。他のテーブルの人はヌレエフたちの様子に気付かず談笑している。楽しい場の片隅で悲劇が進行している、そのさまがBertolt Brechtという劇作家の作品の一場面のようだ。私はそう解釈しました。直前の文にあるとおり、ヌレエフと食事しているのは2人だけだろうと思います。しかし難しい文です。
Meyer-Stabley原本にある参考文献一覧にデュポンの自伝があるので、上記の文もそこからの引用なんでしょうが、自伝訳本、『光と影』、私の訳、みんな違います。もう何が何やら。

P.307 正教会の十字架が飾られ、モミと銀色のカバノキに覆われドーム型の小尖塔のついたロシア専制時代の墓に一人ひとりが黙とうを捧げた。
dans ce paysage de croix orthodoxes, de tombes tsaristes, de clochetons à bulbe, de sapins et de bouleaux argentés, chacun se recueille.
(正教徒の十字架、帝政時代の墓、ドームについた小尖塔、モミ、そして銀色のカバノキの光景の中、一人一人が黙とうした。)

十字架、墓、小尖塔、モミ、カバノキ、すべて原文では複数形です。つまりヌレエフ一人の墓でなく、墓地全体の光景なのですね。



≪その他、原著者の誤りと思われる箇所≫

1. ヌレエフの姉ローザの娘は原本ではGizel(訳本では「ジゼル」)だが、Solway本やKavanagh本やネット上の英語の新聞記事や裁判記録(ローザとその娘はヌレエフ財団と遺産争いをしたので名前がそれなりに出てくる)ではGouzel。単なる英仏表記の違いには見えない。

2. ジュドとクレールが結婚したのは、Meyer-Stableyによると1980年のさらに後だが、『パリ・オペラ座のエトワール』によると1977年。Solway本やKavanagh本では、1979年初演のManfredの準備中に新婚とのみ記述。1980を1974(ヌレエフが自分の公演に初めてジュドを出した年)にすれば、この矛盾はなくなるが、今度はトレイシーの出番がなくなる。

3. 章「マーゴット」や「ヌレエフ・ビジネス」にダンサーNadia Merinaの名があるが、1950~60年代にロイヤル・バレエで活躍したNadia Nerinaではないだろうか。ヌレエフやフォンテーン夫妻と食事するほどのダンサーがまったくの無名だとは思えない。
Category : ヌレエフ情報
Posted by ミナモト on  | 1 comments 

-1 Comments

Telperion says...""
お久しぶりです。この前は10/7投稿の原文比較4を記事として独立させてくださり、ありがとうございました。「この分量なら単独サイトを作れるくらいだけど、コンテンツがこれだけでは読者を呼べない」というヘタレな理由でミナモトさんのサイトに押しかけている身としては、ミナモトさんのご厚意はほんとうにありがたいです。

しかし直したい部分が自分の訳文にも見つかってしまいました。

原文比較1 P.170: × 疑いなく → ○ 恐らく
原文比較2 P.76: × 疑いはなく、 → ○ 恐らく

どちらも"sans doute"の訳語です。この語句はそのまま英語にすると"without doubt"になるので、つい「疑いなく」と解釈してしまいました。でもあらためて仏和辞書を引いたら、「多分、恐らく」でした。
注釈文を変えなければならないほど大きな間違いではないし、ミナモトさんの手をまた煩わせるのは申し訳ないのですが、報告はしておきます。特に比較1のほうは『光と影』引用文が正しく訳しているだけに、説明しておかないと気が引けます。

丹念に辞書を引くだけでも間違いを減らせるのは当たり前のことですが、実践するのはなかなか難しいものです。まして1冊の本ともなれば、問題がある訳が数十か所にのぼっても不思議はないだろう…。と思いつつ、近いうちに原文比較をまた投稿するような気がします。原本を見てたとえば「なんで訳本にないmais(しかし)がここにあるんだ」といった理由で訳してみるとあらびっくり、ということはまだあるので。「量・質的にも、見過ごせない」(怪しい部分まとめ記事より)、私もつくづくそう思います。「ヌレエフとブルーンは似ている→ヌレエフとブルーンは正反対」のくだりなんて、意図的に変えているのかと疑いたくなります。Meyer-Stableyの文は客観的で冷静な切り口だとも、事実を淡々と綴っているとも思いませんが、ドラマチックな盛り上げ方は好きなので、原文先行チェックをやりたくはなります。面倒なので気が向いたとき、気が向いたところでしかしませんが。

話は変わりますが、11/6の朝日新聞に「スティーブ・ジョブズ」全2巻の書評が載りました。「些末なエピソードを詰め込んだせいで、本書はえらく分厚い」「細部と言うのは、ジョブズがだれにどんな罵詈雑言を浴びせ、どんなひどい仕打ちをしたかという話ばかり」「語録など各種材料を読者の前に放り出すだけで終わっている」…あの、それってKavanagh本…いえ、買って読んでいないKavanagh本をとやかく言える義理はないし、ヌレエフによる罵詈雑言が多いのかも知りませんが、アマゾンの「なか見!検索」でかじり読みした私の印象や、読者の感想に通じるものがあるので。強烈な個性で自分を貫いた有名人の周りに「あいつのせいでふりまわされてもう大変」「ほとんど無関係だけど、それでもあの人のことを語りたい」という人たちが多いのは当然のなりゆきなのでしょうか。ジョブズ伝記の書評は「今はまだ客観視できるほど時間がたっていないから、必ずしも精査されない材料を羅列するのが最良なのかもしれない」というような結びです。
2011.11.13 | URL | #lAnR/NdU [edit]

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