三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。非常に申し訳ないけど大体リンク切れ

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Posted by ミナモト on  | 

『光と影』原文比較2

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較。

元はTelperionさんによりコメント欄にまとめていただいたものであり
順序とレイアウトの変更を行ったほかは、ブログ管理者は内容に手を加えていません。

青字は邦訳の引用、カッコ内はTelperionさんによる翻訳
長いので分割してあります。原文比較その1はこちら

【元記事】
『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』怪しい部分まとめ
『光と影』疑問点メモ

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P.47 ついに校長はルドルフのポケットから無理矢理アドレス帳を引っ張り出した。校長は彼がレニングラードにいたときに泊まっていたウダリツォーヴァの娘の名前を聞き出そうとしているのだと思った。彼女の電話番号は書いていなかった。が、突然激怒の火がつき、チュルコフは飛びかかって彼の手から手帳を取り上げた。
Le directeur insiste et oblige finalement Noureev à tirer son carnet d'adresses de sa poche. L'apprenti danseur croit s'en sortir en lui donnant le nom de la fille d'Oudeltsova chez qui il est descendu à Leningrad. Il prend cependant soin de ne pas donner son numéro de téléphone, prétendant qu'elle n'en a pas. Soudain, dans une flambée de rage, Chelkov bondit et lui arrache le carnet des mains.
(校長は執拗に命令し、ついにヌレエフにアドレス帳をポケットから出させた。見習いダンサーはレニングラードで家に泊まったウデルツォーワの娘の名を教えれば窮地から脱け出すだろうと信じた。それでも彼女は電話番号を持たないと主張し、彼女の電話番号を教えないように気を付けた。不意に憤怒に燃えたシェルコフは飛びかかって彼の手から手帳を奪い取った。)

ヌレエフは手帳を出したものの、最初はまだ自分の手に持っている。そうでないと、最後の「シェルコフ(校長の名)が奪い取った」が成立しない。2・3番目の文は、"s'en sortir"が「困難から脱出する」であること、elleが指す女性名詞として適切なのはウデルツォーワの娘しかないことさえ押さえれば、難しくない文だと思う。
なお、フランス語ではchは英語のshと同じ発音。現に、原本ではショスタコーヴィチをChostakovitch、バリシニコフをBarichnikovと表記している。

P.59 八月キーロフのバレエ団は分散してしまったのだ。若きプリマバレリーナは過酷に働きすぎて意欲を失ってしまった。彼女はひたすら筋肉を伸ばして休め、泥風呂につかり海岸に横たわり休養したいと願っていた。ルドルフはひとりでクリミアに旅立とうとしていたが、轟く雷のような電報を受け取るやいなや荷物をほどいた。
Au mois d'août, la troupe du Kirov se disperse. La jeune étoile a travaillé si dur qu'elle n'a plus qu'une envie : se détendre les muscles, prendre des bains de boue, s'allonger sur la plage et ne rien faire. Rudolf part seul pour la Crimée, mais il a à peine défait ses valises qu'un télégramme arrive comme un coup de tonnerre dans le ciel bleu.
(8月、キーロフの一座は散り散りになった。若きスターはあまりに過酷に働いたため、望みはもはや一つだけだった。筋肉をほぐし、泥風呂に入り、浜辺に寝そべり、何もしないことだ。ルドルフは単身クリミアに旅立ったが、荷物をほどくとすぐ、青天の霹靂のような電報が届いた。)

この文の前にキーロフの若い女性ダンサーは全く話題になっていない(ドジンスカヤは若くない)。泥風呂も海岸リゾートもあるクリミアにヌレエフが旅立つことから考えても、原文の"La jeune étoile"はヌレエフを指すとしか考えられない。「彼女」という意味で使われることが多い代名詞elleがあるのは確かだが、ここでは女性名詞étoileを受けているに過ぎず、実際の性別とは関係がない。
原文で「荷物をほどく」の時制は直説法複合過去、「電報が届く」は直説法現在なので、前者の方が早く起こっている。ヌレエフがクリミアに出かけたことからもうかがえるとおり、バレエ団が分散したというのは単なるシーズンオフだろう。

 

P.76 迷いのない決定だった。
Sans doute pas sans hésitation.
(恐らくためらいはないでもない。)

"pas sans"は二重否定。この文は「セルゲイエフがキーロフバレエのヨーロッパツアーにヌレエフを指名した」「セルゲイエフは体制に順応し、ヌレエフは反逆児だった」という2つの文の間にある。「才能はヨーロッパツアーにふさわしいが、性格面ではいろいろ心配だ」というのがセルゲイエフの心情。

P.99 ルドルフは投げ飛ばされた。ヌレエフはこうして二度目の誕生を果たした。「私は見事に放り投げられ、
Et Rudolf se lance dans ce qui sera son fait le plus légendaire : <<Je me lançai :

(そしてルドルフは彼の最も伝説的な行いとなることに向かって飛び込んだ。「私は飛び込んだ。)

代名動詞"se lancer"は直訳「自分を投げる」から転じて「身を投じる、突進する」。「ヌレエフはこうして二度目の誕生を果たした」は、原文ではこの後のピエール・ラコットの談話にある言葉。(原文ではラコットは他にもいろいろ言っている。)
なお、この部分の前は原文が難しくて理解していないが、ソ連のエージェントの一人がフランスの警官と格闘に及んだように読める。

P.112 クエヴァス侯爵バレエ団のライモン・ド・ララン団長*1
Raymondo de Larrain, directeur du Ballet de feu le marquis de Cuevas*,
(故クエヴァス侯爵*のバレエ団の監督ライモンド・ド・ララン)

注マークがついているが、注の内容は「一八八五年チリのサンチャゴ生まれ。(中略)五一年クエヴァス公爵(原文ママ)バレエ団設立。六一年初頭カンヌで死亡」(『光と影』P.124)。原文の注マークの位置からも分かるとおり、これはクエヴァス・バレエの創立者であるクエヴァス侯爵の説明。

P.131 それは慈善公演だった*2。マーゴットが念を押していたように
C'est pour une œuvre de bienfaisance, lui assure dame* Margot :
(これは慈善活動のためのものだとデイム*・マーゴは請け合った。)

注の内容は「女王が著名人に授ける栄誉」(『光と影』P.142)。原文での注マークの位置から分かるとおり、これは称号「デイム」の説明。

P.138 この時期マスコミは、キーロフで15か月後に引退を控えたセルゲイエフの噂を聞きつけていた。彼はヌレエフが即興で他のダンサーの代役を務め、あふれるような才能と決断力を証明したとほめそやした。
La presse de l'époque y voit comme un écho du retrait, quinze mois plus tôt, de Sergueev pour la saison du Kirov et encense Noureev d'être capable de remplacer au pied levé un autre artiste en faisant preuve d'autant de talent et de sens de la décision.
(この時期の報道はこのことをセルゲイエフが15か月前にキーロフのシーズンを辞退したことの反映として捉え、ヌレエフがぶっつけ本番で別のアーティストの代役になれること、その際に才能と同じくらい決断のセンスがあるのを証明したことをほめそやした。)

構文上、ほめそやす(encense)の主語はマスコミ。
"quinze mois plus tôt"は「15か月早く」。ちなみに、この文は1962年1月のことだが、1992年4月11日のNew York Timesの記事によると、セルゲイエフは1961年にダンサーとして引退し、1970年にキーロフバレエ芸術監督の地位を失った。
"voit comme un écho"(反映として見る)の意味は残念ながら十分には分からないが、ソ連ダンサーの世代交代の象徴としてセルゲイエフが引き合いに出されたようには見える。

P.140 ルドルフが完璧に達するには四三歳になるのを待たねばならないはずだった。
Il lui aura fallu attendre Rudolf pour atteindre, à quarante-trois ans, la perfection.
(彼女が43歳で完璧に達するには、ルドルフを待たねばならなかったのだろう。)

原文の実質的主語はlui(三人称単数の代名詞で男女とも可能)。前の文が「そしてフォンテーンはジゼルになった」であることや、当時の年齢から、luiは間違いなくフォンテーン。

P.156 テイト・アリアスの方に向きました。そして"この電話はあなたにだ!"と受話器を投げつけたのです。
et, se tournant vers Tito Arias, a lâché : "Le coup de fil est pour vous!"
(そしてティト・アリアスの方に向き直って叩きつけるように言ったのです。『電話はあなたにだ!』)

電話がかかってきたと言われて別室に退き、戻ってきたヌレエフの言動。1960年代の電話の受話器が本体から取り外し可能とは思えず、原文に「受話器」に当たる言葉はない。"a lâché"は「放した、投げつけた」などの意味があるが、この場合、投げつけたのは言葉だと取るのが妥当だろう。

P.162 この時代最も成功していたのはアクロバティックな容姿を持っていたダンサーたちで、力強い"ジュテ"は男性の踊りと芸術を象徴し、そのテクニックでルドルフに勝るものはいなかった。
Mais celui qui, à l'époque, réussit le mieux les figures acrobatiques et les puissants << jutés >> qui caractérisent l'art de la danse masculine est incontestablement Rudolf.
(しかしその時代、男性舞踊の技術の特徴であるアクロバティックなフィギュアと力強い「ジュテ」に最も成功した者は、文句なしにルドルフである。)

figureは確かに「顔つき」という意味の方が普通のようだが、原文ではジュテとともにréussit(成功する)の目的語となっているので、「(バレエやダンスなどの)フィギュア」だと取らないと意味が通らない。それに「容姿」の形容として「アクロバティック」はちょっとあり得ないだろう。

P.183 エリック・ブルーンとの関係はロシアでは周知のことだった。
On l'a vu, la relation avec Erik Bruhn a connu des montagnes russes.
(見てのとおり、エリック・ブルーンとの関係は波乱万丈だった。)

montagnes russesは直訳すると「ロシアの山」だが、辞書に載っている訳語は「ジェットコースター」。上記の文は直訳すると「(不特定多数の)人がこれを見た、エリック・ブルーンとの関係がジェットコースターを体験した」。

P.186 彼らの関係にひびが入ることは全くなかったが、
Mais leur relations s'en trouveront dégradées à jamais.
(しかし彼らの関係は永久に悪化する。)

jamaisは「決して~しない」という意味で否定語neと併用されるが、この文にneはない。"à jamais"は「いつまでも、永久に」。

P.193 カプリ島付近のリ・ガリ島の家(ルドルフは岩でできた大邸宅を

原文で「リ・ガリ島の家」に相当するのは"l'île de Galli"(ガリ島)、「岩でできた大邸宅」に相当するのは"ce piton rocheux"(この岩だらけの鋭鋒)。つまり家ではなく土地のことを言っている。

P.198 バリシニコフやマカロワたちは後に続いたにすぎません」。ヌレエフは次第に売れっ子の歌手や指揮者たちと共演するようになった。
Avec Noureev, la danse a enfin une star aussi bien payée que la crème des chanteurs ou des chefs d'orchestre. << Les autres n'ont eu qu'à suivre, comme Barichinikov ou Makarova >>, rappelle Rosella Hightower.
(ヌレエフの登場で、ダンスにはついに最上級の歌手や指揮者と同じくらい高い報酬を得るスターが生まれた。「バリシニコフやマカロワのように、他の者は後に続くだけでよかったのです」とロゼラ・ハイタワーは思い起こさせる。)

payéeは「支払われる」。
また、文の順序を変えると、「ヌレエフが初めてダンサーとして高額な報酬を稼ぎ、他のダンサーがその恩恵を受けた」という因果関係が分からなくなる。

P.203 サントロペに所有していたボドラムの邸宅
la maison à Bodrum, le Saint-Tropez turc,
(トルコのサントロペであるボドルムの家)

サントロペはフランス、ボドルム(ボドラム)はトルコの都市。両方とも海岸リゾートがあるので、原文では主な読者であるフランス人にボドルムを分かりやすく説明するために、サントロペを引き合いに出したのだろう。

P.203 でも休暇中とはいえ本性は変わらず、入浴を済ませるとターバンを巻いて遊女たちがいる優雅なハーレムへと出かけていきました。彼に比べ、他の招待客たちはそのような遊びに興じることもなく、田舎者という風情でした。
Mais même en vacances le théâtre ne l'abandonnait pas. Après le bain, il se déplaçait dans la maison avec l'élégance d'une odalisque, coiffé d'un turban. En comparaison, mes invités avaient l'air de paysans sans grâce.
(でも休暇中ですら彼は劇場を意識していました。ひと泳ぎの後、彼はターバンを巻き、ハーレム女の上品さを身に付け、家に移っていました。それにひきかえ、私の客たちには優雅さがなく、田舎者の風情でした。)

"d'une odalisque"(トルコのハーレムの女奴隷の)は直前の"l'élégance"(上品さ)にかかるのは文法上明白。「遊女たちがいるハーレム」と書くならodalisqueは単数形にしないはず。「昼間は海で遊んでいた」という文に続くのだから、この場合の「家に移る」は「宿泊先に帰る」ととらえるのが自然。最初の文の直訳「劇場は彼を捨てなかった」が「本性(この文脈ではセックス狂としか考えられない)は変わらず」になる過程は私には理解不能。

P.203-4 彼は日中人気のない海岸を裸で散歩しながら遊べる相手を物色していました。それはかなり目立つ光景で、またかとうんざりしました。
Il se promenait nu à longueur de journée - un spectacle assez remarquable mais parfois lassant -, à la recherche de plages désertes qu'il serait susceptible d'acheter.
(彼は裸で一日中散歩していました。かなり目立ちますが時には飽き飽きする光景でした。そして買うことができる無人の海岸を探していました。)

"la recherche de plages désertes"は素直に「無人の海岸を探すこと」。原文にヌレエフ以外の人を指す言葉はまったくない。この文の後に「獲物を引き裂く前の野獣のよう」などと書いてはあるが、続いてヌレエフが買い物で値切る様子が描写されるので、ヌレエフは物を買うにも全力投球だということが分かる。

P.209 名だたるバレリーナたちとの共演を実現させ、ボリショイバレエ団のコールドバレエを完成させた。
lui a permis une collaboration avec une liste de ballerines assez longue pour constituer un corps de ballet complet au Bolchoï.
(ボリショイのコールドバレエを完全に構成するのに十分なほど長いバレリーナのリストと共演できた。)

原文で言いたいのは、ヌレエフが共演したバレリーナがきわめて多く、ボリショイ・バレエの人数並みだというほら(?)話。

P.210 彼に最も忠実だったのはフランソワーズ・ウィルフリッド・ピオレットだった。「世界で最も偉大なダンサー? その地位にい続けることはできませんが、彼は他の誰よりも長くその立場にいました。舞台上で本物の野獣のようになるときがあったにも拘らず、皆はなんとかして彼と踊りたがりました。ヌレエフはマスコミから身に余るほどの恩恵を受けていました」
Plus réservée sera la Française Wilfride Piollet : << Le plus grand danseur du monde ? On ne peut l'être constamment. Lui l'a peut-être été plus souvent que d'autres. c'était une véritable bête de scène... Mais on ne tenait pas tellement à danser avec lui. Noureev bénéficiait de trop de publicité et il y avait d'aussi bons danseurs à l'Opéra. >>
(フランス人ウィルフリッド・ピオレはもっと慎重になる。「世界最高のダンサー?常にそうであることはできません。恐らく彼は他の人より何度もそうだったのでしょう。本物の舞台の獣でした…。でも、皆が熱烈に彼と踊りたかったわけではありません。ヌレエフは過剰な宣伝の恩恵を受けていたし、オペラ座には同じくらい優れたダンサーたちがいました」)

"plus réservée"は定冠詞がついていないので最上級ではなく比較級。「もっと慎重」とは、ピオレは前出のフォンテーンやカークランドほどヌレエフを絶賛していないということ。実際、原文では"ne tenait pas" (~熱望しなかった)とか「オペラ座のダンサーも同等」とか書いてある。

P.213 ヌレエフは教養のある人間で、たとえばプルーストの本を熟読しながら書斎に置くのを好まないようなところがあった。
Noureev est un homme cultivé qui ne se contente pas d'avoir Proust dans sa bibliothèque mais l'a effectivement lu...
(ヌレエフは教養を身に付けた男で、プルーストを書斎に所蔵するだけで満足するのではなく、実際に読んだ。)

原文は英語の"not A but B"(AでなくB)のフランス語版の構文。

P.214 一九七四年バリシニコフがキーロフバレエ団の巡業でヨーロッパに滞在しているとき、
Lorsqu'en 1974 Barichnikov passe à l'Ouest en profitant d'une tournée du Kirov à Toronto,"
(1974年バリシニコフがキーロフのトロントツアーを利用して西側を訪れたとき)

この時期に西といえばベルリンの壁の西側であり、ヨーロッパに限らない。実際、この直後にバリシニコフはカナダで亡命した。

P.241 事実この燃えるような黒い瞳をしたラテン人がじっと虚ろな視線を送ると、女性たちは血が騒いで震えあがり身動きできなくなってしまった。この邪神の生まれ変わり、物憂げな野獣、憂いに沈んだよそ者は、キスで窒息させた獲物に蛇のようにからみつき跡形もなく消えていく。いくつかのシーンには簡潔に皮肉交じりの愚弄が込められていた。
En effet, du Latin lover à l'œil de braise, dont le long regard vide de leur sang les femmes frissonnantes et bientôt pétrifiées, du fauve langoureux et du ténébreux métèque (incarnation du Mal), qui s'enroule comme un serpent autour de ses victimes étouffées de baisers, il ne reste ici absolument rien. Sinon, de temps en temps - et brièvement - quelques scènes au niveau de la dérision parodique. Noureev, avec ses yeux clairs, ses pommettes asiates, son rire qui mord et sa tignasse que Russell ne s'est pas résigné à teindre et à plaquer en aile de corbeau, ressemble à peu près à un Italien velouté comme moi à un accordéoniste bavarois.
(実際、震えやがて硬直する女たちの血を引かせる眼差しを長い間向ける、炭火のような目をした『ラテンの恋人』、接吻で窒息した犠牲者に蛇のようにからみつく、物憂げな野獣にして闇の異邦人(不幸の化身)のうち、何一つ断じてここに残っていない。もし残っているとしたら、時々、少しの間、パロディ風の嘲弄に等しいレベルの場面がいくつかある。澄んだ目、アジア系の頬骨、刺すような笑い、そしてラッセルがカラスの濡れ羽色に染めてなでつけるのを甘受しなかったぼさぼさの髪をしたヌレエフは、ビロードのようになめらかなイタリア人に大体は似ている。私がバイエルンのアコーディオン奏者に似ている程度には。)

最初の文の主文は"il ne reste ici absolument rien."(何一つ断じてここに残っていない)で、残っていないものの具体的な内容を最初で説明している。この文に比べると以降の文は読みやすい(訳本ではほとんど消されたが)。フランスのジャーナリストがバイエルンのアコーディオン奏者に似ている可能性の低さを考えれば、最後の文は嫌味と取るのが妥当だろう。
なお、この批評の第一文(引用部分の直前)は原文に歯が立たず、訳本の妥当性を問うのは断念した。

P.242 彼は女性的な魅力溢れるValentinoをまねておしろいとポマードを使っているアメリカ男性たちと対戦することになっていた。
Il part aussitôt en guerre contre le mâles américains qui utilisent de la poudre et de la brillantine pour suivre l'example de Valentino, ce séducteur efféminé.
(ただちに彼は女のようなこの誘惑者ヴァレンティノの例にならうためにおしろいとポマードを使うアメリカの男に一戦交えに向かった。)

「新聞記者オニールがホテルの男性用トイレでおしろいの自動販売機を発見した」という文に続く部分。原文では「発見した」も「向かった」も同じ時制なので、後者が前者より早く起こったと見なす理由はない。原文は比喩表現を使ってはいるが、つまりオニールは自動販売機を発見した後、「ヴァレンティノごときの真似をしておしろいやポマードを使うとは、今どきのアメリカの男はなんと堕落したことか」といった内容の記事を書いたのだろう。

P.245 この機を逸するとそのエトワールは君臨し続けることになるでしょう。
sinon l'étoile va se ternir.
(さもなければスターは輝きを失うだろう)

ternirに「君臨し続ける」などという意味はない。tenir(保持するなどの意味がある)と見間違えたのだろうか。

P.248 「女性たちは彼に抵抗できず足もとに身を投げ出していました」と語るの(原文ママ)バレリーナのリン・シーモア。
<< Des femmes se jetaient à ses pieds, raconte la danseuse Lynn Seymore, et il ne pouvait pas résister. >>
(「女たちは彼の足もとに身を投げ出し、彼は抵抗できませんでした」とダンサーのリン・シーモアは語る。 )

後半のilは三人称単数の男性名詞の代名詞なので、抵抗できなかったのは彼(ヌレエフ)。ヌレエフより女の方が積極的だったのは意外ではない。

P.251 巨大な力を持つ組合と経営陣の間に挟まれ、反抗的な多くのダンサーたちは出演のキャンセルを余儀なくされた。
Entre des syndicats hyperpuissants, une administration tentaculaire et des danseurs récalcitrants, nombreux sont ceux qui ont été contraints de déclare forfait.
(強大な労働組合、多岐にわたる管理、服従しないダンサーに囲まれ、多くが棄権の表明を強いられた。)

「リファール後のパリ・オペラ座芸術監督は誰も成功しなかった」に続く文。原文でdanseurs(ダンサー)はsyndicats(組合)やadministration(管理)と並んでおり、この文の主語はnombreux(多数)。短期で辞めた芸術監督たちを指すのだろうが、申し出を蹴った候補者も含まれるかも知れない。「棄権の表明」は直訳。
"administration tentaculaire"は労働組合やダンサーに並んで監督をおびやかすものだから、オペラ座総裁を初めとする上層部のことと思うが、適切な訳語を当てられなかった。

P.271 伝統的な振付は基本的に口頭伝承であり、バレエの輝かしい露仏時代(一八二二 - 一九一〇)に復元されたのもいくつかのパ・ド・ドゥーやバリエーションなど僅かでしかない。それ以外はViollet-le-Ducによって再考され、ヌレエフはさらに完璧な大作に再構成した。
La tradition chorégraphique étant essentiellement orale, il ne subsiste en fait que peu de chose, dans ces pieuses restaurations, de l'illustre maître de ballet franco-russe (1822-1910) : quelques pas de deux et variations, parfois un acte entier, le reste étant entièrement repensé par nos Viollet-le-Duc du chausson. Noureev a reconstitué le monument complet :
(振付の伝統は基本的に口頭であり、この敬虔な復元のなかに、高名なフランス系ロシア人バレエ・マスター(1822-1910)のものは実はごくわずかしか現存しない。いくつかのパ・ド・ドゥーやヴァリアシオン、時には一幕全体であり、残りはシューズを履いた我らがヴィオレ=ル=デュクによって全部再考された。ヌレエフはモニュメントを完全に再建した。)

ヌレエフ版「ドン・キホーテ」の注の一部。(1822-1910)はマリウス・プティパの生没年(生年には異説もあるそうだが)。プティパの名は注にはないが本文にある。原文中のfranco-russeとは、プティパがフランス人だが後にロシアに移住したことを指す。
最初の文は、プティパの振付が後世にあまり伝わらなかった事情を説明している。プティパの振付は自らの考案では?
ウジェーヌ・ヴィオレ=ル=デュク(1814-1879)は多くの中世建築を復元したことで名高い建築家。「シューズを履いた我らがヴィオレ=ル=デュク」(nos Viollet-le-Duc du chausson)とはもちろん、多くのプティパ改訂版を世に送り出したヌレエフのこと。
Category : ヌレエフ情報
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