三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。作品リスト、伝記原文比較等

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Posted by ミナモト on  | 

『光と影』原文比較 追加

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
転載元のコメント欄はこちら


P.14 ルディクは長女ローザ、次女ラジダと幼稚園に通うようになり、スポーツスクールにも行った。三七年に耳の病を発病した三女リリアは、聴力回復のため聾唖学校に通っていた。
Rudik va bientôt au jardin d'enfants avec sa sœur Razida, âgée de cinq ans. Rosa, l'aînée, fréquente une école de sports, tandis que Lilia, tombée malade en 1937, suit des cours pour sourds et muets, bien qu'elle entende encore un peu.
(ルディクは間もなく5歳の姉ラジダとともに幼稚園に通うようになった。最年長のローザはスポーツ学校によく通った一方、リリアは1937年に発病し、まだ少し聴力があるにもかかわらず、ろうあ者向けの授業を受けていた。)

訳本ではカットされたが、原本によるとルドルフが生まれたときローザは10歳、リリアは5歳、ラジダは3歳。つまりラジダは三女でリリアは次女。ローザは弟とともに幼稚園に通うには年上すぎ、原文でも幼稚園でなくスポーツスクールに行った。encoreには「再び」という意味もあるが、ここでは"bien que"(にもかかわらず)とともにあるので、「まだ」のほうが意味が通る。

P.23-24 私設の天文台によじ登っているかのどちらかでした」彼は小高い丘に登って何時間でもウーファの人びとの様子やゆっくり出発し徐々にスピードを上げていく汽車を飽くことなく眺めていた。日曜日になるとガウンを羽織った人が元気よく街を闊歩していた。彼らは毎週蒸し風呂に入りに来る。パジャマ姿の人や入浴後に体を叩くため小さな白樺の葉を持っている人もいた。
soit à grimper jusqu'à mon observatoire privé. » C'est une petite éminence du haute de laquelle il observe pendant des heures les gens d'Oufa. Le samedi, de petits groupes d'hommes trottent d'un pas vif, en peignoir, parfois même en pyjama. Ils viennent prendre leur bain de vapeur hebdomadaire. Certains portent un petit balai de feuilles de bouleau pour se fouetter après le bain. Mais une autre raison lui fait choisir cet observatoire : de là il domine la gare d'Oufa. Il y reste assis des heures, à regarder les trains démarrer lentement et prendre de la vitesse.
(私だけの展望台に登るかのどちらかだった」これは小さな丘で、彼はこの高さからウーファの人々を何時間も観察した。土曜日には少人数のグループがガウンやときにはパジャマすらを着てきびきびと歩く。週一回の蒸し風呂に入りに来るのだ。風呂上りに体を叩くために白樺の葉の小さなほうきを持つ者もいる。しかし彼がこの展望台を選んだ理由はもう一つあった。そこからはウーファの駅を見下ろせたのだ。彼はそこに何時間も座ったまま、列車がゆっくり発車し、加速していくのを見つめた。)

observatoireは丘の比喩で、幼いルドルフはここから地上を眺めていた。「天文台」はobservatoireの主要な意味ではあるが、この場合は比喩としてもふさわしくない。また、遠くに憧れるルドルフにとって、ウーファを離れる列車は特別なものだった。
P.55 簡単にこなせてしまうために
parce qu'il peine à réussir un pas,
(パに成功するのに苦労したために)

ワガノワでキャリアの遅れを取り戻すべく猛練習を重ねたヌレエフ。動詞peiner(苦労する)を「簡単にこなせる」とは解釈するのは無理だろう。

P.73-74 彼は舞台に登場したデンマークのスターダンサー、エリック・ブルーンを食い入るように見つめた。しかし彼は東ドイツ巡業に出発し、
il veut désespérément voir se produire la star danoise Erik Bruhn. Mais il est envoyé en tournée en Allemagne de l'Est.
(彼はデンマーク人のスター、エリック・ブルーンが出演するのを死ぬほど見たかった。しかし彼は東ドイツのツアーに送られた。)

1960年9月にアメリカン・バレエ・シアターのモスクワ公演が行われたときのこと。ヌレエフがこのときブルーンの踊りを直接見ることは、当局の妨害でかなわなかった。

P.77 ヨーロッパ行きに際しルドルフに与えられた許可は、驚くべきことに既婚ダンサー用のものだった。
L'autorisation accordée à Rudolf est d'autant plus surprenante que seuls les danseurs mariés sont autorisés à partir en tournée en Occident. (西側のツアーに出発することを許可されるのは既婚のダンサーだけなので、ルドルフに下りた許可はなおさら驚くべきものである。)

"d'autant plus A(形容詞) que B(節)"は「BであるだけますますAである」という意味。反抗的であるほか、独身であることも、ヌレエフが西側行きを許可されるには不利な材料だったということ。

 

P.81 ルドルフはオペラ座のダンサーについて攻撃的な批判を試みた。
Rudolf tente une offensive de rapprochement avec les artistes de l'Opéra.
(ルドルフはオペラ座のアーティストたちと接近攻撃を試みた。)

rapprochementは「接近」。文字の並びは仏語reprocheや英語reproachment(いずれも意味は「非難」)と似ていなくもないが。この後を読むと分かるとおり、ヌレエフはオペラ座のダンサーに至極友好的に話しかけている。offensive(攻撃)とは、外国人に対する態度としてはあまりに積極的で、KGBににらまれるのが目に見えている行動を指すのだろう。

P.82 反順応主義者としての評価とお粗末なマスコミによって、五日目の公演からしか出演できなかったのだ。
sa triste réputation de non-conformiste lui vaut de ne faire partie que de la cinquième représentation, une fois l'intérêt de la presse émoussé. (反順応主義者という良からぬ評判がある彼は、マスコミの関心が鈍くなった5回目の公演に出演する価値しか認められなかった。)

直訳は「彼の反順応主義者という良からぬ評判は、ひとたびマスコミの関心が鈍くなったとき、5回目の公演に出演する価値しか彼に与えなかった」。ヌレエフが脚光を浴びるのを嫌い、マスコミが詰めかける最初の公演にはヌレエフを出さないという、キーロフのお偉方のもくろみを説明している。

P.97 空港管理事務所
la sûreté nationale (警察)
P.97 出入国検査官
les inspecteurs (刑事)

クララがヌレエフをモスクワ送還から救うために駆け込んだ先が"sûreté nationale"。これは当時の警察に当たる組織。フランス内務省サイトでフランス警察の歴史を記したhttp://www.interieur.gouv.fr/sections/a_l_interieur/la_police_nationale/histoireに記載がある。
クララの話を聞き、手を貸したのが2人のinspecteur。inspecteurには「検査官」のほかに「(私服)刑事」という意味もある。原本ではこの2人はpolicier(警官)ともよく呼ばれる。注(『光と影』ではP.104)で2人が"commissaire divisionnaire"と"commissaire principal"であることが明かされているが、これらは警察の階級名。

P.104 世界中のプリンターでは彼の名前が駆け巡っていた。ソヴィエトへの外交上の記録には、ヌレエフの政治的保護要求は、核実験や非武装に関する交渉をアメリカ合衆国が拒否したことと同様に曖昧に記述されていた。
Toute la journée, son nom a crépité sur les téléscripteurs du monde entier. La demande d'asile politique de Noureev occulte même le refus des États-Unis de lier les négociations sur le désarmement à celles sur les essais nucléaires, en réponse au mémorandum soviétique.
(一日中、世界中のテレプリンターで彼の名が音を立てた。ヌレエフの政治的保護申請は、合衆国がソ連の外交上の覚書への返答で非武装に関する交渉を核実験に関する交渉と結びつけることを拒否したことの影すら薄くした。)

第2文の主語、述語、目的語が明確に分かるように修飾部分を省いて直訳すると、「ヌレエフの政治的保護申請は合衆国の拒否を隠した」となる。ヌレエフ亡命のニュースが世界中に広まったという第1文に続いていることと考え合わせると、この文の意味は、ヌレエフ亡命が冷戦時代の緊張の高まりをもしのぐ大ニュースとして取り上げられたということだろう。

P.128 それは炎と氷の出会いであり、同時に天使と悪魔の邂逅でもあった。
En fait, les deux danseurs blonds se ressemblent : c'est la rencontre du feu et de la glace. Ils sont à la fois ange et démon.
(実際、ブロンドのダンサー2人は互いに似ており、それは火と氷の出会いである。彼らは同時に天使と悪魔である。)

原文はまず「2人は似ている」と切り出し、その類似点とは正反対な2つの性格を内包していることだと述べている。訳本ではなぜか「2人は似ている」という間違いようがない文が消されたり、最後の文の主語が「彼ら(ils)」でなく「それ」にされたりしたため、2人が正反対の性格であるように読める。

P.130 ヌレエフは年齢だけでなくバレエテクニックにおいても、エリックに追いつき支配したがるようになった。
Noureev en vient à envier l'équilibre et la maîtrise de soi d'Erik. Ce n'est pas seulement une question d'âge, davantage une différence de tempérament et d'éducation.
(ヌレエフはそのことでエリック自身のバランスとコントロールをうらやむようになった。年齢だけの問題ではなく、それより気質と教育の違いである。)

訳本は「ヌレエフが年齢においてエリックに追いつきたがった」と読めるが、そんな無理なことを願えるとは思えない。原文で年齢が引き合いに出されるのは、エリックのほうがテクニックが緻密なのは単に年上だからではないという意味に読める。

P.150 ヌレエフは楕円形の部屋にあった大統領の椅子に座りたいとためらうことなく言ってのけて名を上げた。
Noureev s'illustre en ne résistant pas à l'envie de s'asseoir dans le fauteuil du Président dans le bureau ovale.
(ヌレエフは楕円形の執務室にある大統領の椅子に座りたいという欲望に抵抗しなかったことで有名になった。)

ヌレエフは実際に大統領の椅子に座ったように読める。ちなみにSolway本のペーパーバックP.275での記述は、"The minute she left, Rudolf made a dash for the President's chair. He wanted to know what power really felt like."(ジャクリーンが部屋を出た途端、ルドルフは大統領の椅子に突進した。力の感触がほんとうはどんなものか知りたかったのだ)。

P.164-165 ルドルフは辛辣な蔑視や酷評する人びとの冷笑や鮮烈な皮肉をさらりとかわし、熱意や礼儀正しさ、また怒りも粗暴さも理解できました。仕事に対する姿勢はほぼ一貫していました。
Rudolf sait passer du dédain glacial au ricanement autodépréciateur, de la chaleur et de la courtoisie au sarcasme tranchant ou à un accès de colère et de grossièreté (presque invariablement à propos du travail).
(ルドルフは冷ややかな軽蔑から自己破壊的な薄笑いまで、熱烈さと礼儀正しさから鋭い皮肉や怒りと無礼の激発まで、移り変わることができた(仕事に関してはほとんど変わらず)。)

最初の文の動詞は"savoir passer"(移るすべを知る、移ることができる)だけであり、passer de A à Bは「AからBに移る」。この文はヌレエフの気分屋ぶりを述べており、取り上げられる感情はすべてヌレエフのもの。

P.167 バカンスの間、彼は人びとに取り巻かれイライラしていた。あらゆる著名人同様彼は有名人らしく振舞っていたが、
En vacances, Rudolf peut rendre son entourage nerveux. Comme tous les gens célèbres, il a une attitude ambivalente sur le fait d'être reconnu.
(休暇の時、ルドルフは周囲をぴりぴりさせることがあった。すべての有名人と同様、彼は知られていることに相反する態度を取っていた。)

ナーバスになったのは取り巻きのほう。その理由は、ヌレエフがambivalente(「アンビバレント」は日本語でも通じる概念だろう)だったから。

P.194 家々には豪華な家具が施されていたが、その他はほとんど何も置かれていなかった。
Certaines de ses maisons sont somptueusement meublées, d'autres presque dépouillées.
(彼の家のうち、あるものは贅沢に飾られ、別のものはほとんど装飾がなかった。)

物が多い家と少ない家が別にある。ヌレエフは絵画や骨董品なども部屋に置いている。

P.194 また同じ場所にアリ・ババの洞窟とジンギス・ハーンのテントも置かれていた。
L'endroit tient à la fois de la caverne d'Ali Baba et de la tente de Gengis Khan.
(その場所はアリ・ババの洞窟とチンギス・ハーンのテントを同時に受け継いでいた。)

tenir de は「~に似ている、~を引き継ぐ」。アリ・ババの洞窟やチンギス・ハーンのテントとは、部屋の所蔵品でなく部屋の印象。

P.210 彼は踊っている間ずっと芸術性において対等であるという印象を与えてくれ、その才能を表現するのにサポートは不要でした。
Il me donna l'impression durant les rappels que j'étais son égale en art, et non une béquille nécessaire à l'expression de son talent.
(カーテンコールの間中、彼は私が芸術において彼と対等な存在であり、彼の才能を表現するために必要な松葉杖ではないという印象を与えてくれました。)

文中のnonはnécessaire(必要な)でなくbéquille(松葉杖)を否定している。ヌレエフがパートナーに敬意をもって接したという話。

P.211 実際ヌレエフが、テクニック的に問題があり才能も経験もないバレリーナで実力以上にみせてあげた人は僅かしかいなかった。
En fait, peu de danseurs ont plus d'habileté que Noureev pour présenter les ballerines à leur avantage, ni une expérience plus variée de leurs divers problèmes techniques.
(実際は、バレリーナを有利になるよう見せるスキルがヌレエフより多いダンサーも、彼女たちのさまざまなテクニックの問題をヌレエフより多様に経験したダンサーも、わずかしかいない。)

わずかしかいないのはdanseur、つまり男性ダンサー。この文は男性ダンサーがパートナーをサポートする技能や経験について述べている。

P.222 パリのデザイナーたちは、このバレエ界の王子がほとんどボヘミアンのような装いだったと批判している。
Le prince de la danse, que les couturiers parisiens se disputent, est la plupart du temps vêtu comme un bohémien.
(パリのデザイナーが奪い合う舞踊の王子は、大抵はボヘミアンのような装いだった。)

直接目的語が付く"se disputer"は「(目的語)を得ようとして争う」。ファッション界でヌレエフがたびたびテーマになっていることから見ても(具体例はこのサイトで詳しいですね)、ヌレエフの服装は当時から一目おかれていたと見るべきだろう。

P.238 アラブの族長用のジェラバ(アラビア人が着るフード付きのゆったりした長衣)や血まみれの論争の場面に使うスペイン製のブーツ。
ses djellabas pour des scènes du Cheik ; ses bottes espagnoles pour les scènes d'Arènes sanglantes.
(「シーク」の場面用のジェラバや、「血と砂」の場面用のスペインのブーツ。)

"Le Cheik"や"Arènes sanglantes"はヴァレンティノ主演映画で、英語の原題に基づく邦題もある。映画の内容をふまえて仏題"Arènes sanglantes"を訳すなら、「血に染まる闘牛場」といったところ。

P.248 飛行機と列車を乗り継ぎホールとホテルをひっきりなしに行き来していたヌレエフは、エピナルの絵をよく描いていた。このアーティストの唯一の故郷は芸術であった。
Rudi le Terrible, l'homme des avions, des hôtels, des trains, le danseur qui ne s'arrête jamais, illustre en fait assez bien l'image d'Épinal selon laquelle la seule patrie d'un artiste, sa seule famille, c'est son art.
(恐るべきルディ、飛行機やホテルや列車の男、決して立ち止まらないダンサーは、実際のところ、芸術家の唯一の祖国、唯一の家族は芸術であるという通俗的なイメージの十分な好例となっている。

エピナルで通俗的な版画がさかんに製造されたことから、紋切り型の見方のたとえとして"image d'Épinal"が使われる。artiste(芸術家)に不定冠詞が付いていることから、芸術家の故郷が芸術だけというのはヌレエフに限定されない一般論。

P.255 「ルドルフは踊りすぎる」 しかし当のヌレエフはストライキの危険性に気づきながらも態度を変えようとせず、耳に入ってくる批判も聞き流していた。
Mais il poursuit en déclarant. « Rudolf danse trop. » Et il laisse entendre que s'il ne change pas de comportement de ce point de vue il risque une grève.
(しかし彼は続いて宣言した。「ルドルフは踊りすぎる」。そして、この観点から振る舞いを変えなければストライキを辞さないと理解させた。)

デュポンがインタビューでヌレエフの功績を認めているという文に続く部分。ここもやはりデュポンの発言の説明。文中のs'は英語のifに当たるsiの省略形だが、『光と影』ではこれが見落とされている。

P.256 その出来事はモニク・ルディエールやミシェル・ドナールなどルノーのレッスンを熱心に受けていたエトワールダンサーたちの耳にも入ってきた。エトワールたちは共通点があり好みにあったクラスを選択していた。教師とトップレベルのダンサーたちは共謀し監督は誤った行動をしたと判断された。
Quand on sait que de nombreuses étoiles, telles Monique Loudières et Michael Denard, sont des assidus des leçons de ce professeur (car les étoiles choisissent leurs cours par affinités) et qu'il peut y avoir une grande connivence entre professeur et danseurs de haut niveau, on prend la mesure du faux pas du directeur.
(モニク・ルディエールやミカエル・ドナールなど、多くのエトワールがこの教師のレッスンの熱心な生徒だということ(なぜならエトワールは自分のレッスンを類似性をもとに選ぶから)、そして教師とハイレベルなダンサーの間に深い暗黙の了解がありうることが知られると、監督の過失が判断された。)

この文の主語onは不特定の人々を指す。エトワールたちの反応はこの文でまったく書かれていない。
connivenceは「共謀」が主な意味だが、一部の仏和辞書に載っている「暗黙の了解」のほうがここでは合うと考え、試訳で採用した。この文全体の意味は、ヌレエフとルノーの事件を耳にした人たちが「名エトワールたちに尊敬されるルノーが悪いとは思えない」と反応したということだろう。

P.274 いつの時代も芸術の世界は、ホモセクシュアルの人びとにとっては試練の場である。二十世紀には更に厳しい状況だった。同性愛者たちは白日のもとで生きることを嫌い、文学、彫刻、絵画、写真、振付など創作分野で仲間たちと出会い自分を晒しその掟を受け入れていた。
Le milieu artistique a toujours été le creuset le plus évident de l'homosexualité affichée, affirmée, à toutes les époques. Au XXe siècle, il l'a été plus encore, car l'homosexualité ne se contente pas d'y être vécue plus ou moins au grand jour, elle s'y raconte aussi, elle s'y dévoile, elle impose ses codes dans le cadre de la création littéraire, plastique, picturale, photographique et chorégraphique...
( いつの時代も芸術の環境は常に誇示され、確立された同性愛のもっとも明白なるつぼであった。20世紀はさらにそうだった。なぜなら、同性愛は多かれ少なかれ白日のもとで生きたことだけでは満足せず、なおかつ自らを語り、自らをさらけ出し、文学、彫刻、絵画、写真、そして振付の創作範囲内で自らの規範を負わせたからだ。)

creusetの本来の意味は「るつぼ」だが、「試練の場」「多くが集まる場所」両方の比喩に使われる。ここでは「同性愛者が多く集まる場所」ととらえないと、オープンな形容が原文にこれでもかと並んでいることや、同性愛者と知られながら活動する芸術家が西側では多い状況とのつじつまが合わない。

P.279 短く話すときには英語を、怪我をしたときにはロシア語を
l'anglais pour l'usage courant, le russe pour les injures (普段使うには英語を、罵倒にはロシア語を)

courant(日常の)もinjure(罵倒)も仏和辞書にある普通の意味。英語のinjure(怪我させる)とは別物。

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最後に、訳本がおかしいという確信が上記のものほどはないのですが、どうにも違和感をぬぐえない個所を1つ。確信が足りないなら取り上げないほうが無難ですが、個所が個所なので黙殺もしかねました。

P.306 彼は血液を汚染する恐ろしい病気、熱とだるさに打ち勝てず、ウラジオストック行きの列車の中で生まれた時から背負ってきた運命の流れを変えられないことにうろたえていた。
ses mots allaient démontrer que la terrible maladie, la fièvre et la torpeur qui empoisonnaient son sang n'avaient en rien fait fléchir ni effacé ce sens du destin né avec lui dans le train pour Vladivostok. (彼の血液を汚染していた恐ろしい病、熱、そして麻痺は、ウラジオストク行きの列車の中で彼と共に生まれたこの運命の感覚を少しも屈服させも消しもしていないことを、彼の言葉は示そうとしていた。)

直訳のまま。"ce sens du destin"(この運命の感覚)の具体的な意味を聞かれると返答につまります。でも、このインタビューからは「死病といえどもヌレエフの精神まで冒すことはできない」という主張が感じられます。「病には勝てないことを従容と受け入れる」という解釈ならありえるかもと思えますが、「うろたえる」と言い換える気にはなりません。
Category : ヌレエフ情報
Posted by ミナモト on  | 2 comments 

-2 Comments

says..."管理人のみ閲覧できます"
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2011.10.21 | | # [edit]
Telperion says..."『光と影』原文比較 その6"
年明けどころか立春も過ぎましたが、どうもお久しぶりです。

『光と影』を初めて読んだのは、ちょうど1年前の2月20日でした。数年ぶりにピアノリサイタルに出向いた帰り道のことなので、日付を覚えています。あの頃はネットで英米の新聞記事を読み漁っていて「ヌレエフが監督を辞任するときにPierre Bergeとかいう人物と大喧嘩したらしいが、詳細が分からない。ヌレエフには伝記があるらしいから、読む必要があるかな」と思い始めた矢先だったので、幸運を喜んだものです。それから1年にわたって『光と影』とMeyer-Stabley原本とSolway本を読み漁ることになるのは想定外でしたが、充実した時間ではありました。

そろそろ、「周知の事実と反する」「論理がおかしい」「ヌレエフのイメージにかかわる」「問題点を説明しやすい」といった要素がいくつもそろった個所が短期間で次々に見つかることはなくなったようです。チェックしたいところを全部チェックできるわけではないとはいえ、やっとここまで来たかと思うと感慨深いです。

「疑問点メモ」エントリのコメントが膨れ上がったので、今回はこちらに記念の書き込みをさせていただきます。ただでさえ私は細かいことが気になるので、すぐに項目が増えてしまうのに、今回は感傷があるため、選抜基準が少々緩くなってしまいました。「『光と影』だけ読んでここにひっかかる読者が何人いることやら」(P.289)とか、「事実云々というより表現の問題」(P.42)とか、「試訳にいまひとつ納得がいかない」(P.269)とか。ほんと、徹底追及するなら自前の場所を用意するべきだろうと思い始めてはいるのですが。

ところで、summerlunaさんが別記事のコメントでおっしゃったように、来年はヌレエフの没後20周年。あちこちでヌレエフが話題になるだろうし、2003年にMeyer-Stabley本が出版されたように、また別の本が出るかもしれません。楽しみなことではありますが、もし"Noureev : L'insoumis"の邦訳本が『光と影』並みの品質で出版されたらどうしようという不安が実は私にはあります。フランス語の本をいきなり読むのは不可能なので、邦訳本を手掛かりにできるのは便利でしょう。でももしSolway本やMeyer-Stabley原本がなく、『光と影』しか読めていなかったらと考えると、寒気がするのもまた事実。字数がMeyer-Stabley本をはるかにしのぎ、Solway本にひけをとらないと思われる本を丁寧にチェックするのは多分無理ですし。杞憂ならいいのですが。

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P.42 しかし次の瞬間天を仰いだ。守衛がクラスもオーディションも7日後にならないと始まらないと告げたのだ。
Pour la deuxième fois, il voit le ciel. Il s'avance. Un portier lui apprend que le ciel est fermé et que les cours et auditions ne commencent que dix jours plus tard.
(彼は2度目に天国を見た。彼は前に進み出た。守衛が彼に、天国の門は閉ざされていること、レッスンやオーディションは10日後まで始まらないことを告げた。)

オーディションを受けるべく、キーロフ劇場の前に立ったヌレエフ。cielの最も一般的な意味は「空」だが、空にfermé(閉じられた)という形容は似つかわしくない。cielには「天国」という意味もあり、これがキーロフの比喩なら、ヌレエフがcielを見てから前に進み出ることも、守衛がcielについて教えることも説明が付く。1度目に天国を見たのは生涯初めてバレエを見た日であることは、十分想像できる。

P.43 一八八六年の設立以来、キーロフバレエのサンクトペテルブルグマリンスキー劇場はワガノワ・アカデミーになった後も優秀なダンサーを輩出し、難攻不落の牙城だった。
Installé depuis 1886 au théâtre Mariinski de Saint-Pétersbourg, le Ballet du Kirov, qui forme par l'entremise de l'académie Vaganova les plus grands danseurs russes, a tout d'une citadelle imprenable.
(1886年以来サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場に配置されたキーロフ・バレエは、ワガノワ・アカデミーの仲介でロシア最高のダンサーたちを組織し、さながら難攻不落の砦だった。)

マリインスキー劇場はキーロフ・バレエを擁する歌劇場で、ワガノワ・アカデミーとは別組織。"par l'entremise de l'académie Vaganova "(ワガノワ・アカデミーの仲介で)とは、ワガノワ・アカデミーの卒業生の多くがキーロフ・バレエに入団したことを指す。
マリインスキー劇場のWebサイト(http://www.mariinsky.ru/en/about/)によると、1886年はバレエ団がボリショイ劇場からマリインスキー劇場に移転した年。

P.58 彼は革命以降のどんなに優秀なダンサーよりも傑出し、"ロミオとジュリエット"や"ローレンシア"などの作品はキーロフによって創作され、ボリショイで再演されたのはずっと後になってからだった。
Il est significatif que quelque-uns des meilleurs ballets soviétiques depuis la révolution, comme Roméo et Juliette ou Laurencia, aient été créés par le Kirov et repris par le Bolchoï longtemps aprés.
(「ロミオとジュリエット」や「ローレンシア」など、革命以後最高のソビエトバレエのいくつかはキーロフによって初演され、ずっと後でボリショイによって再演されたというのは意味深長である。)

"Il est significatif que ~"は英語の"It is significant that ~"に当たる構文で、「~だということは意味深長である」。「キーロフのほうがボリショイより自由に芸術を探求できる」というヌレエフの考えの傍証として、この文が書かれている。
訳本では"Il est significatif que ~"を「彼は~より意味がある」と解釈したため、形容詞比較級に必須なplusがsignificantifの前にないのを無視したり、balletsを「ダンサー」に変えたり、いろいろ無理をしている。

P.73 そこではルドルフの存在は注目には値しなかった。
La présence de Rudolf à cette garden-party n'est pas une surprise.
(この園遊会にルドルフが出席するのは驚くことではない。)

surpriseは英語同様「驚き」。「驚きではない」という文字通りの意味、そしてこの文に続く「フルシチョフ夫人はバレエ愛好家」を考え合わせると、「園遊会の主催者がバレエ好きなのだから、ヌレエフが出席するのも不思議はない」という意味合いだと推測できる。「注目に値しない」というとつまらない存在のような印象だが、実際には夫人はヌレエフを熱心に見たはずだし、取り巻きも夫人に合わせてヌレエフに視線を向けていたはず。

P.80 一二〇名のダンサーたちは単純に慣習の持つ力に従って行動していた。何をするにも団体で行う習慣を根絶するには何世代も必要だろう。
« Non pas, comme le soulignera Rudolf lui-même, qu'on eût dit aux cent vingt danseurs de la troupe d'agir ainsi : ils se conduisaient simplement de la sorte par la force de l'habitude, l'habitude qu'on a aujourd'hui dans notre pays de tout faire en groupe, tendance qu'il faudra des générations pour éradiquer. »
(ルドルフ自身が力説するように、「バレエ団のダンサー120名がそうするように言われたわけではない。皆が単にそのように振舞ったのは、習慣の力による。今日の我が国では何事も集団で行うという習慣、根絶するには何世代も要するであろう傾向だ」)

原文では明らかにヌレエフの述懐("Nureyev : An Autography"の引用)だが、訳本ではMeyer-Stableyの記述にされている。ヌレエフの伝記なのだから、ヌレエフの発言はそう明記するべきだと思う。

P.145 この公演では幾度か客席がどよめいた。
Certes les répétitions sont parfois houleuses :
(なるほどリハーサルでは幾度か波乱が生じた。)

répétitionは「稽古、リハーサル」、「公演」はreprésentation。この文の後で、ヌレエフが衣装を自分好みに直したとか、指揮者に注文を付けてフォンテーンがとりなしたとかいう公演前のいざこざが書かれており、それをhouleuses(騒然とした)と呼んでいる。

P.152 彼に言い寄ってくる女性をなすがままにし目の前の男性たちを震え上がらせています。世界中いたる所で押しかけてくる人を自在に操り、
il laisse les femmes le courtiser, les hommes frissonner devant lui, il laisse venir à lui le monde tout entier,
(女性に自分を口説かせ、男性に自分の前で身震いさせ、全世界に自分のもとへ来させ、)

"laisser A(目的語) B(不定詞) "は「AにBをさせる」。させる行為はBだけなので、「BするAを好きなようにする」と同じ意味にはならない。

P.174 あらゆる所でチケットは公演開始前に売り切れてしまった。
les billets sont vendus avant l'ouverture de la location.
(予約開始前にチケットが売られた。)

フランス語のlocationに「場所」の意味はなく、ここでの文脈に合うのは「(座席などの)予約」。訳本P.119には亡命の少し後のヌレエフ公演のチケットがブラックマーケットで取引されたとあり、Solway本の章"Actually, I Am Romantic Kind of Dancer"(ペーパーバックP.227)にはフォンテーンとの初共演のチケットが"selling on the black market for twenty-five pounds, four times their face value."(ブラックマーケットでは額面の4倍の25ポンドで売られる)とある。それを思えば正規販売前にチケットが取引されても不思議はない。

P.190 ルドルフは世界中に七軒の邸宅を所有し、あらゆる請求と税金はその維持のために生じていました。
Sans compter que Rudi possédait sept maisons à travers le monde, avec toutes les factures et impôts en découlant pour l'entretien.
(ルディが世界中に7軒の家を所有していたことや、維持のために生じていたあらゆる請求や税金を別にしてもです。)

邸宅と関係がない請求や税金はいくらでもあるのだから、「邸宅の維持に生じるあらゆる請求と税金」と「あらゆる請求と税金は邸宅の維持に生じる」は違うこと。「~は別にしても」(sans compter que ~)とは、この文の少し前にヌレエフの財産が約8千ドルだったとあるのを受け、「これに邸宅や維持費用を加えると、実際の財産はさらに多い」という意味。

P.262 ヌレエフは決してベジャールに謝罪しなかった
Noureev ne pardonnera jamais à Béjart.
(ヌレエフは決してベジャールを許さなかった。)

pardonnerは「許す」。確かに、テレビに出演してまでヌレエフを攻撃したベジャールの方が、やったことは派手。

P.269 何人かの評論家の目には、ヌレエフの魅力はスラブ系の独特な雰囲気よりスタイルや奥深さ、プロとしてのスケール、教師としての存在感、そして孤独感にあると映っていた。孤独感は型どおりのテクニックを習得する中で偶然に身に付いたものではなく、彼に最高の上品さをもたらしていた。
Aux yeux de certains critiques, la force de Noureev, plus qu'une casquette sur la tête et un charme slave revisité, c'est en effet un style, une dimension, une envergure professionnelle, une présence de maître, une solidité qui ne s'enracine pas par hasard dans la technique académique portée à son plus haut degré de raffinement.
(何人かの評論家の見るところ、ヌレエフの力量とは、頭上の帽子や見直されたスラブ風の魅力よりも、実際のところ、スタイル、次元、プロのスケール、師の存在感、確かさである。この確かさは、型にのっとり、彼なりにさらに洗練されたテクニックに偶然根を張っているのではない。)

soliditéの意味は「頑丈さ、確固たること」など。「孤独」はsolitude。
"la technique académique portée à son plus haut degré de raffinement"の直訳は「彼のさらに高い洗練度にもたらされたアカデミックなテクニック」。son(彼の)は必ず名詞を修飾するので、「彼に」という意味で"à son"を使うことはできない。難しい文だが、soliditéに関する部分は「ヌレエフにはしっかりとした基礎があり、その土台となるのは洗練されたテクニックである」のような意味に思える。

P.272 任命はバレエ部門の責任者の推薦により芸術監督が行う。
La nomination est faite par le directeur de l'Opéra sur proposition du directeur de la danse.
(任命は芸術監督の推薦によりオペラ座総裁が行う。)

"le directeur de l'Opéra"とは、オペラとバレエの両方を統括する役職で、多い訳語は「オペラ座総裁」。"le directeur de la danse"は言うまでもなくバレエ団監督でヌレエフの役職。よそで何度も芸術監督と呼んでいながら、ここだけ「バレエ部門の責任者」にし、しかも"le directeur de l'Opéra"を「芸術監督」にするのは、明らかに誤解を招く。パリ・オペラ座バレエのエトワールが原文どおりの仕組みで任命されるのは、ファンにはそれなりに知られている事実。

P.285 その時点でエイズ感染後五、六年経っていた
Il est maintenant séropositif depuis plus de cinq ans
(今ではHIV陽性になってから5年以上経っていた)

1989年当時のヌレエフの描写。ヌレエフはHIV陽性が判明したときすでに感染歴4~5年と診断されているので、1989年だと10年近く経っている。「5年より多い」(plus de cinq ans)とだけある原文は、その事実に反していない。

P.289 でもエトワールは五席空いているでしょう。
Mais il va y avoir cinq places d'étoiles libres,
(でもエトワールの地位は5つ空くことになるのです。)

"aller ~(動詞の不定詞)"は「(近い将来に)~だろう」という意味。
この発言は1989年のものだが、1989年初頭に男性エトワールは10名、女性エトワールは8名。ここ数十年間エトワール総数が20名に達したことがないパリ・オペラ座で、エトワールの空きが5席あるとは見なされなかったはず。原文で言っているのは、ドナールとジャン=ピエール・フランケッティが1989年に、ピレッタとパトリス・バールとギゼリが1990年に相次いで定年退職する予定だったという事情。

P.291 総責任者とバレエ団の芸術監督を同時にはできません。
Vous ne pouvez pas avoir à la fois un administrateur général et un directeur de compagnie.
(カンパニーの総責任者と監督を同時に置くことはできません。)

文頭"Vous ne pouvez pas avoir"の直訳は「あなたが持つことはできません」。この言葉はその前の「双頭の鷲になってガルニエ宮を率いていく気持ちはありません」(訳本P.290)と同じく、「バレエ団のトップは自分だけで、カルティエの介入は受けない」という意味。訳本の言い回しでは、"un administrateur général"と監督を兼任するのを断っているかのよう。

1P.291 ルドルフは火に油を注いでしまったとマスコミに漏らしている。
Rudolf remet un peu d'huile sur le feu en affirmant dans la presse :
(ルドルフは報道でこう主張し、火にいささかの油を注いだ。)

"en 動詞の現在分詞"という形はジェロンディフと呼ばれ、主文と同時に行われる動作、主文の原因や手段など、さまざまな意味で使われる。この文では「火に油を注いだ」が主文で、「報道で主張した」がジェロンディフ。この後の発言「オペラ座の門番にはなりたくありません」が、ヌレエフを自分の制御下に置こうとしているベルジェをいかにも怒らせそうな言葉であることを考えると、この場合は主文の原因を指す可能性が最も高い。

P.292 強い願いにも拘わらず侮蔑のポーズの一件がヌレエフに苦い味を残し
Mais l'issue du bras de fer laissera un goût amer à Noureev
(しかし腕相撲の結果はヌレエフに苦い味を残し)

"bras de fer"は「腕相撲」で、ベルジェとの主導権争いの比喩。『光と影』をここまで読み進めていると、「侮蔑のポーズの一件」からP.257「男性の象徴を誇張するように腕を曲げる侮蔑の仕草」を連想しがちだが、こちらは"bras d'honneur"。

P.294 ええ、それなしで私はこれ以上何もできなくなってしまうでしょう。朝起きたときになんの目的もなくなるのは恐ろしいことです。
Oui, je pourrais me permettre de ne plus rien faire. D'un autre côté, me réveiller le matin sans but, ce serait terrible.
(ええ、もう何もしないことにしてもいいでしょう。その一方、目的もなく朝に目を覚ますのは恐ろしいことでしょう。)

代名動詞"se permettre de ~(不定詞)"は「~するのを自分に許す」「あえて~する」といった意味。ここで~に当たるのは"ne plus rien faire"(もう何もしない)。2つの文の時制である条件法現在には、断定を避けるニュアンスがある。この発言からは「やめてもいいのだろうが、やはりつらいだろう」という心の揺らぎが感じられる。

P.301 ヌレエフは彼のセラピストに遠からぬ死の予感を知らせるかのように答えた。
lui répond Noureev, faisant presque croire à son thérapeute qu'il a le secret dessein de mourir là-bas.
(ヌレエフは答え、彼のセラピストは彼にはそこで死にたいという隠れた意図があるとほとんど信じた。)

dessein(意図、目論見)が示すのは、「大好きな海辺で死んでやる」という積極的な意思。
2012.02.20 | URL | #lAnR/NdU [edit]

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