三日月クラシック | ルドルフ・ヌレエフの極めて個人的なファンブログ(だった)。非常に申し訳ないけど大体リンク切れ

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Posted by ミナモト on  | 

『光と影』原文比較 4

『ヌレエフ―20世紀バレエの真髄 光と影』(ベルトラン・メヤ=スタブレ著・新倉真由美訳/文園社)と、
原著である『Noureev』(Bertrand Meyer-Stabley著/Payot社)との比較・解説です。
本文はTelperionさんによるもので、ブログ管理者は手を加えていません。

青字部分が原文で、カッコ内がTelperionさんによる翻訳となっています
転載元のコメント欄はこちら


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P.12 ヌレエフという名前はロシア人の名のように厳格な印象を与えないと思います。
Je ne nous considère pas, nous les Noureev, comme des Russes dans le sens le plus strict du mot.
(我々、つまり我々ヌレエフ家の者が言葉の最も厳密な意味でのロシア人だとは思わない。)

ここでのcommeは「~のように」でなく、イディオム"considèrer A comme B"「AをBだと見なす」の一部。本書を始めロシア人とよく呼ばれるヌレエフだが、この文の後で語るように、自分を厳密なロシア人だとは見なしていないということ。

P.20 音楽は情熱を生み出す母体となり、間違いなく彼の人生を埋め尽くしていった。
Il ne se doute pas alors qu'elle donnera bientôt naissance à l'unique passion qui va emplir sa vie.
(彼の人生を埋め尽くすことになる比類なき情熱が音楽からまもなく生まれるとは、当時の彼は予期していなかった。)

「人生を埋め尽くす(qui va emplir sa vie)」のは『光と影』では音楽のように読めるが、原文では情熱(passion)を修飾している。そしてこの情熱はまだ生まれていないということから、そしてヌレエフに関するいささかの知識があれば、それほどの情熱は音楽に対するものではないと分かる。
"se douter que ~"は「~だと予期する、気づく」。

P.52 レニングラードで出会い、ガールフレンドだったウーファのインナ・グリコーヴァに尋ねてみると、
Sa rencontre à Leningrad avec une ancienne amie d'Oufa, Inna Gickova, va l'amener à s'interroger sur son cas :
(ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとレニングラードで会ったことで、彼は自分のケースについて自問することになる。)

原文には男女両方を指しうる代名詞がいくつかあり、これらが分かるように原文を直訳すると「ウーファの元ガールフレンド、インナ・ギコーワとの彼/彼女の出会いは、彼/彼女が彼/彼女のケースについて自問するようにしむけることになる」。3か所とも彼、ヌレエフと解釈すれば意味が通る文になる。
"s'interroger sur ~"は「~について自問する」。「彼女に尋ねる」なら"l'interroger"のはず。
なお、原本の謝辞を読むと分かるが、Meyer-Stableyは文献にはよく当たっていても、ヌレエフを直接知る関係者にはほとんど取材していない。訳本にはここのほかにも「情報を提供してくれた(P.210)」「話してくれた(P.264)」という表現があるが、Meyer-Stableyが自らインタビューしたかのような印象になるのは感心しない。

 

P.56 キーロフの歴代の芸術家たちの中で比類なきダンサー、コンスタンティン・セルゲイエフ、ボリス・ブレグヴァッゼ、ウラジリアン・セミオノフ、そして後に続くのは間違いなく若きヌレエフだろう。稀に見る一羽の鳥、彼は完全無欠なダンサーというだけでなく、観客をダイナミックな動きや自信に満ちた態度やしなやかな優美さで虜にした。厳しい審美眼を持つ観客たちも、テクニックの不完全さを批判するのを諦めてしまった。
Il serait juste de dire que, s'il y a jamais eu un danseur "noble" totalement étranger à toute la génération d'"académiciens" du Kirov, de Konstantin Sergueev à Boris Bregvadze et Vladilen Semionov, c'est bien le jeune Noureev. Un oiseau rare, en vérité, pas seulement parce qu'il n'est pas un danseur "impeccable", mais parce que le spectateur est à ce point fasciné par l'ampleur de ses mouvements, sa confiance en lui et sa grâce féline que même l'œil le plus vigilant doit renoncer à saisir les imperfections techniques.
(コンスタンティン・セルゲイエフからボリス・ブレグワゼとウラジーレン・セミョーノフに至るキーロフの「アカデミズム信奉者」たちの世代すべてと完全に異質なダンスール・「ノーブル」がこれまでにいたとしたら、それはまさしく若きヌレエフだと言ってよいだろう。確かにまれにみる鳥であり、その理由は彼が「非の打ちどころがない」ダンサーでないというだけではなく、その動きの広がり、その自信、その猫のような優雅さに観客が魅了されるあまり、最も用心深い目ですら、テクニックの不完全さを把握する気をなくさざるを得ないからである。)

原文で「完全無欠」("impeccable")は否定されている。現に、ヌレエフのテクニックにあらがあるのはよく言われている。
académicienは仏和辞書だと「アカデミー会員」という訳語しかないが、アカデミックという言葉に「型にはまった」「伝統を守る」という意味合いがあるらしい。そういうキーロフダンサーと関係ない(étranger)スタイルなのがヌレエフだということ。

P.78 五月一一日バレエ団はパリに向けて出発したが、僅か数カ月後キューバのピッグス湾事件は人びとを震撼させ、その一カ月後にはベルリンの壁の建築が始まった。
Quand toute la compagnie s'envole pour Paris, le 11 mai, voilà seulement un mois que le monde a tremblé avec le fiasco de la baie des Cochons à Cuba, et un mois plus tard commencera l'édification du mur de Berlin.
(5月11日にカンパニーが総出でパリに飛び立ったとき、キューバのピッグス湾危機に世界が震撼してからわずか1か月であり、1か月後にはベルリンの壁の建設が始まる。)

"voilà A(時間表現) que B(節)"は「BしてからA経過している、A前からBである」というイディオム。ちなみに、ピッグス湾事件は1961年4月、ベルリンの壁の建設開始は1961年8月。原文は壁の建設が早すぎるが、ピッグス湾事件→キーロフ・バレエの出発→ベルリンの壁の建設開始という順序は正しい。

P.86 しかし彼女の見事な栗毛色の髪は赤茶色に輝き、時おり見せる子どもっぽい優しさを帯びた仕草でヌレエフを軽やかに動揺させた。彼女はヌレエフがおずおずとしながらも心を動かされているのを見抜いていた。
Elle a de magnifiques cheveux bruns aux reflets roux, qu'elle secoue parfois légèrement dans un gest tout empreint de douceur enfantine. Elle découvre un Noureev touchant, presque timide.
(彼女は赤みがかった茶色の見事な髪をしていて、時おり子どもっぽい優しさがすっかりあらわされた仕草で軽やかにその髪を揺らした。彼女の目に映ったのは胸を打つ、内気に近いヌレエフだった。)

「彼女が揺らした」(elle secoue)という言葉は、クララの髪(de magnifiques cheveux bruns aux reflets roux)を修飾する関係節(qu'elleから文末まで)の一部。
touchantは動詞toucher(心を動かす)の現在分詞。「心を動かされる」なら過去分詞touchéのはず。つまりヌレエフがクララの心を動かした。

P.87 ルドルフはクララを慰めるために寄り添い片時も離れなかった。
Pour se consoler, Clala s'accroche à Rudolf, le quitte le moins possible. (自分を慰めるために、クララはルドルフに愛着を覚え、そのそばからできる限り離れなかった。)

離れなかったのは明確にルドルフでなくクララ。

P.89 外出時には羽飾りのついたターバンを巻くかクロテンの帽子をかぶり、腰にマフラーを巻きつけコサック風のブーツを履いていた。その姿は"バヤデール"に登場する東洋の戦士ソロルであり、"タラスブルバ"の反抗息子アンドレイのようでもあった。
À la scène, sous un turban à aigrette ou un bonnet de zibeline, la taille ceinte d'une écharpe, chaussé de bottes à la cosaque, c'est à la fois Solor, le guerrier oriental de La Bayadère, et Andreï, le fils rebelle de Tarass Boulba.
(舞台では、羽飾りのついたターバンを巻くか、クロテンの帽子をかぶり、腰にマフラーを巻き、コサックブーツを履いた彼は、「ラ・バヤデール」の東洋の戦士ソロルであり、同時に「タラス・ブルバ」の反抗的な息子アンドレイだった。)

scèneは「舞台」。羽飾りのついたターバンはソロルの衣装。帽子やマフラーやコサックブーツはアンドレイの衣装と考えられる。

P.92 彼らは年々狭き門を通過してくる。
et ceux-ci, un par un franchissent le portillon,
(彼らは1人ずつゲートを通過した。)

"un par un"は「1つずつ、1人ずつ」。多分『光と影』ではunをan(年)と見間違えている。

P.94 すべての状況からルドルフの推測は間違ってはいないと思いました。
Qui disait vrai ? Entre l'attitude paisible du directeur, des policiers, des interprètes, et celle de Rudolf, pris de tremblements, pleurant et au bord de la crise de nerfs, j'hésitais. Un détail me fit cependant penser que Rudolf n'avait peut-être pas tort.
(誰が本当のことを言っているのだろうか。監督、警官、通訳の穏やかな態度、そして震えが止まらず、涙を流し、ヒステリーの極限にいるルドルフの態度の間で、私はちゅうちょしました。それでも、細かいことから、ルドルフはもしかすると間違っていないのかも知れないと思いました。)

『光と影』引用文と原文はともに、「ヌレエフは母が病気なので帰国する」というセルゲイエフの言葉と、「ロンドン行きの飛行機が離陸する予定だ」という文の間にある文全部。監督や警官や通訳の態度からは、ヌレエフが絶体絶命だとはラコットには信じがたかったということが、「2つの態度の間でちゅうちょした」という文から分かる。

P.136 ヌレエフはいつも怒り狂い、ほとぼりを冷ますため外出し運河に沿って歩かねばならなかった。
Noureev, toujours frileux, doit sortie et marcher le long des canaux pour se réchauffer.
(いつも寒さに弱いヌレエフは、体を温めるために外出して運河に沿って歩かねばならなかった。)

frileux(寒さに弱い)とfurieux(怒り狂った)は似たスペルだが、基本的な意味が「温め直す」であるréchaufferは「冷ます」とだいぶ感じが違う。

P.146 真実の愛を断念するときは
quand elle cède à une affection vraie,
(真実の愛に屈するときは)

"céder à ~"は「~に譲歩する、屈する」。戯れの恋に生きていたマルグリットが一途なアルマンの愛に押され、自分も本気になることを指す。

P.157 ヌレエフは公的には深い信頼関係を確認し演技の中では床を共にしていると言いながらも、恋人であったことを否定していた。
Noureev niera toujours en public avoir été l'amant de la danseuse, ajoutant, pour rendre son affirmation plus crédible, que s'ils avaient couché ensemble leur interprétation en aurait souffert!
(ヌレエフはフォンテーンの愛人だったことを公の場では常に否定し、自分の主張の信憑性を高めるために、もし2人が共に寝ていたら2人の演技が損なわれただろうと付け加えた!)

原文que以降のヌレエフの発言には「もし」(si)が短縮形s'の形で存在し、si節の動詞coucher(寝る)の時制は直説法大過去、主文の動詞souffrir(損なわれる)の時制は条件法過去。つまりque以降の文は英語でいう仮定法過去完了に当たり、「もし寝ていたら演技が損なわれたが、実際には寝なかったので演技は損なわれなかった」と示唆している。
"rendre son affirmation plus crédible"は「彼の主張をより信頼できるものにする」。

P.201 彼がその完璧な振舞いを愛してやまなかったのは、元ファーストレディ、ジャクリーヌ・ケネディだった。
Il n'y a qu'avec Jacqueline Kennedy qu'il adopte une conduite parfaite, sachant que l'ex-first lady n'aime pas la provocation.
(彼が完璧な振る舞いを取り入れたのは、ジャクリーン・ケネディとの間でだけだった。元ファースト・レディが挑発を好まないと知っていたのだ。)

試訳はほぼ直訳。さしものヌレエフもジャクリーン・ケネディの前では完璧な礼儀作法で振舞ったと読める。

P.208 たとえばマリア・カラス。ある夜彼女は決定的な言葉を投げつけた。「ルドルフ、あなたは二度と映画には出られないわ!」それは歌姫自身がパゾリーニの"王女メディア"で経験したことに基づく暗示だったのだが、それを聞いたルドルフの顔色はみるみる青ざめていった。
Ainsi Maria Callas, avec qui le danseur dînera souvent, tant à Monte-Carlo (pendant les années Onassis) qu'à Paris, émettra-t-elle un soir un jugement sans appel : 《 Rudolf, vous ne ferez jamais de cinéma ! 》 Allusion de la cantarice à sa propre et brève expérience avec Pasolini dans Médée et au fait qu'elle trouvait les pommettes de Rudolf pâles en comparaison des siennes.
(たとえば、マリア・カラスはモンテカルロ(オナシス時代)でもパリでもダンサーとよく食事をしたが、ある晩控訴を認めない判決を下す。「ルドルフ、あなたが映画に出ることはないわ!」歌手はパゾリーニとの「王女メディア」での自身の短い経験、そしてルドルフのほおが自分のほおに比べて青白いと思ったことをほのめかしたのだ。)

原文の"ne ~ jamais"は「一度も~しない」という意味であること(jamaisの前か後にplusが付けば「二度と~しない」という意味になるが)、ヌレエフの最初の映画「ヴァレンティノ」が公開された1977年秋にカラスが死去したことから、カラスの発言はヌレエフが映画に出る前のもの。
"allusion à ~"は「~をほのめかすこと」。原文でàに続くのは"sa propre et brève expérience avec Pasolini dans Médée"と"le fait qu'elle trouvait les pommettes de Rudolf pâles en comparaison des siennes"の2つ。カラスは「私ですら1作だけだったし、私より顔色の悪いルドルフが映画に出られるわけはない」と考えたのだろう。実際にはカラスの予想は外れたが。

P.219 クラシックのレパートリーを卓越したテクニックでこなすヌレエフが、幅を広げてコンテンポラリーダンスに時間を費やそうとしている姿勢を評価している人たちもいた。
même si certains d'entre eux estiment Noureev à tel point inégalable dans le répertoire classique qu'ils déplorent de le voir consacrer du temps à la danse contemporaine.
(もっとも、ファンの一部はヌレエフが古典のレパートリーであまりに比類ないレベルにいると評価するがために、コンテンポラリー・ダンスに時間を費やす彼を見るのを嘆いたが。)

「ヌレエフはファンにも絶賛された」に続く部分。"A à tel point que B"は「あまりにAなのでBである」で、原文でBに当たるのは"ils déplorent"以降。déplorer(遺憾に思う)を「評価する」とは解釈しようがない。"même si ~"は「~にもかかわらず」という意味なので、その後に続くのは前の文と反する内容であることは容易に推測できる。

P.220 彼の新たな挑戦へ弾みをつけた。
viennent étayer cet argument.
(この議論を支えた。)

この文の主語はヌレエフの古典レパートリーにおけるさまざまな長所だが、長いので省き、述語と目的語のみ引用した。argumentに「挑戦」という意味は見当たらない。この文は先に引用した「ヌレエフは絶賛もされたがコンテンポラリーでは不賛同もされた」という文の直後にあるので、「この議論」とは「ヌレエフがコンテンポラリーに挑戦することは是か非か」であることが分かる。ヌレエフの古典があまりに素晴らしいので、「コンテなんてやらなくていいから古典をもっと踊って!」という声も大きくなったということ。

P.232 そのロシアの誉れ高いダンサーは、ヴァレンチノに依頼されタンゴを教えたという伝説があった。
La légende veut en effet que le prestigieux danseur des Ballets russes ait demandé à Valentino de lui donner des leçons de tango.
(というのも、バレエ・リュスの名高いダンサーがヴァレンティノにタンゴを教えてくれるように頼んだということが伝説に必要だったのだ。)

ヴァレンティノはタンゴを教えるのを依頼された側。
主語が物の場合、動詞vouloirには「(目的語)を必要とする、をしなければならない」という意味がある。映画ではヴァレンティノの伝説を語るにあたって、この文でいうダンサー、ニジンスキーにタンゴを教えたという逸話が欲しかったという意味ではないかと思う。実際は、ヴァレンティノとニジンスキーに面識があったというのはこの映画独自のフィクションらしい。
ちなみに、ニジンスキーはバレエ団"Ballets Russes"に所属していた。原文ではrussesが小文字だが、原本にはバレエ関連で間違った記述がいくつか見られるので、これも誤記を疑っている。

P.303 ルドルフは彼曰く"完璧ないでたち"で長い間上演を夢見ていた劇場に向かった。
Rudolf porte la dernière 《 touche de perfection 》, comme il dit, à la chorégraphie qu'il rêvait depuis toujours de réaliser.
(ルドルフは実現することをずっと夢見てきた振付に、彼の言う最後の「完璧さの色合い」をもたらした。)

"porter A à B"の基本的な意味は「AをBに運ぶ」。この文でAに当たるのが"touche de perfection"、Bに当たるのが振付(la chorégraphie)なので、この組み合わせに合う"porter A à B"は「AをBにもたらす」、toucheは「タッチ、筆遣い」で、振付に最後の仕上げを行ったというのが一番自然な解釈に思える。
toucheは「恰好、外観」という意味もあり、訳本ではヌレエフの姿だと見なしたようだが、振付を劇場と言い換えるのは無理がありすぎるし、dernière(最後の)という形容も変。この文は「ラ・バヤデール」初演前日のことだが、その日に完璧ないでたちなら、翌日もやはり完璧ないでたちで現れるはず。
Category : ヌレエフ情報
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